戎 克 庭 園
junk garden
つきかげ様

雪原のワルキューレ外伝
「トイレなファンタジー」


「え、なんだって」
 その場末の酒場で、でっぷりと太った用心棒兼給仕の男、ジークはその少女に問い返した。
「トイレはどこかと聞いている」
「トイレ?」
 ジークは少女を見る。漆黒の肌に金色の髪をしたとても美しい少女は、魔導師らしく灰色のフードつきマントを身につけている。賑やかな酒場の客たちは自分たちの会話に熱中しながら、その場違いな少女に意識を向けていた。
「トイレって、何それ?」
「何それって。あるだろう、ほら。用をたすとこ」
「ああ、大きいのとか小さいのの用をたすという、あれ」
「そうだ」
「ここの路地抜けて、右におれると空き地があるよ。そこで用をたせる」
「そこはみたよ、あれはトイレじゃない。囲まれてないじゃないか」
「え?だって、結界がはってあって空気は外にもれないから、臭いは広がらないし、呪力がかけられているから、出した物は分解して堆肥になるんだよ?」
「そうじゃなくて、見えるだろ」
「ああ、だれもあんたが用をたしてたって気にしないよ、ここではそれが普通だもの」
 少女の金色の瞳が危険な光を放つ。同時に手が印を切った。
「炎の魔界を統べるペイルフレイムよ、古の契約に従い、我の前に力を顕わせ」
 ジークは目の前に出現した火柱を避けて尻餅をつく。手にしていた盆に乗っているローストチキンは、炭と化している。ジークはため息をついた。
「あのねえ、このへんにはトイレなんてないの。ここは王国の東の果ての辺境だ。西方の文化を押しつけないでほしいな」
「まあ、まちなさい」
 客の中から一人の老人が近づいてきた。フード付きマントを身につけた姿は魔導師のようだ。銀色の毛をした優雅な佇まいを持つ大型犬を足下に従えている。
「儂はモーリンという名の魔導師だ。この犬はクレセント。まあ、おじょうさん。落ち着きなさい。この男ジークは気のいいやつだが、デリカシーに欠ける。ま、これでも飲みなさい」
そういうと、モーリンは陶器のマグカップを少女に渡した。少女は一口飲む。
「これはホットミルク?」
「そうじゃ。落ち着くじゃろ。あんたは西方の魔道王国アルケミアからきたのじゃろ」
「そうだ」
「うむうむ。そのような魔道によって洗練された国から来れば、ここのあの低レベルな魔道で用をたすなぞ我慢ならんにちがいない」
 少女はちょっと違うぞという目をしたが、モーリンは気にしていない。
「その点、儂の魔道は違うぞ。このクレセントを見なさい」
 クレセントの口が大きくさけ、広い穴が出現した。
「このクレセントは人間がようをたしたものを、その場で分解し食べ物に変換することができる。この高度な魔道はあんたの国でもそうはおがめんじゃろ」
 少女の瞳はさっきとは較べものにならないほど凶悪な光を放つ。ジークは恐怖を感じ、モーリンを席に戻そうとした。
「なあじいさん、そんくらいにしとけよ」
「いやいや、ここからが本番じゃ」
「聞きたいことがある」
 少女は感情を感じさせない声でいった。
「食べ物とは例えばどんな」
「ホットミルクとかな。さっき飲んだあれ、山羊の乳より旨かったろう。あれは儂の」
「やめてくれぇ」
 ジークが叫ぶのと少女が印を切るのは同時であった。
「地獄の第七層火焔地獄の支配者にして魔界の貴公子たるフレイムタイラントよ、古の契約を果たすときがきた、我が前にその力を顕わせ!」
 ジークはタックルでマーリンをなぎ倒す。
 地面に伏した二人の頭上に、炎の地獄が出現した。
 その夜、王国の東端にあるローズフラウの街に、巨大な炎の巨人が出現し天空へ駆け昇っていった。その禁呪を開放するに至った魔法的闘争は、吟遊詩人が一晩かかって語るような遠大なるサーガとなって百年のちにも伝えられたが、真相を知るものは少ない。