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和歌山と千葉の「白浜の地名に対する歴史的な差異について

     

2025年5月27日


千葉と和歌山には「白浜」と「勝浦」のように共通する地名があります。
これは、「紀州の漁民が千葉へと移住して伝えたもので、歴史的に古くから両地域のつながりの深さを物語っている」。と、そういう話をする方がたまにいます。
地図を眺めていると、つい、言いたくなってしまいますが。
しかし、ちよっと待ってください。
現在の話としてではなく、それを歴史の中での共通点として捕えようとするとおかしな話になってしまうのです。
千葉の「白浜」は、平城宮337号木簡を見れば、
天平17年〔745年〕上総(かずさ)国安房(あわ)郡(現在の千葉県南房総市)からのアワビが送られたことが分かります。 これは荷札であったようです。
古代から、千葉には、白浜の地名が存在したのです。
一方、和歌山の「白浜」の地名は昭和15年に白浜町が誕生して初めて登場するのです。
それまでは、瀬戸鉛山村と呼んでいました。
少し、調べればわかるのに、どうして、こうも短絡的につなげてしまうのか? その話はさておいて、
和歌山県の「白浜」の地名は、どのようにして誕生したか調べてみたいと思います。
以下は、和歌山県の「白浜」の地名の誕生について、私が調べた範囲で判明したことと、あとは推定です。

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和歌山県の偉人、南方熊楠、山葉寅楠に加えてもうひとりの岩楠さん
御坊市出身の小竹岩楠(しの いわぐす)さん、この方は、白浜を語るには、忘れてはならない人物です。
和歌山県のホームページ「きのくにの先人たち」にも載っています。
まだ、白浜が瀬戸鉛山(せとかなやま)村と呼ばれていた時代、鉛山地区の湯崎温泉は有名でも、
白良浜にはまだ本格的な温泉施設がなかったころ、温泉ボーリングを成功させて今日の白浜温泉の礎を築いた人物です。
この辺の話は、「きのくにの先人たち」から引用すると

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同じ頃、岩楠は「白良浜付近で新しい温泉の掘削が試みられたが、技術的に困難で失敗に終わった」との話題を耳にしたことをきっかけに、温泉を中心としたリゾート開発を計画する。
大正7年(1918)、岩楠はその温泉掘削の権利を譲り受け、、翌年に「白良浜土地建物株式会社」を設立。困難な海中温泉掘削を成功させ、大正10年(1921)には旅館「白浜館」を建設した。
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とあります。

私が調べているのは、「白浜」の地名の起源です。
岩楠が関わった事業を見ると

大正7年「白良浜土地建物株式会社」設立
大正11年「白浜館」設立
大正12年「白浜温泉自動車株式会社」設立
(昭和5年 明光バス株式会社設立)

これ以降地名で使われるのは
昭和8年 国鉄白浜口駅開業
(昭和40年白浜駅に改称)

そして、ついに、
昭和15年 白浜町誕生

多分「白浜館」と「白浜温泉」に「白浜」の名前が最初に登場するのだと思います。
もっとも、元々地元で使われていたかも知れません。
(例えば白良浜のことを地元で白浜と呼んでいたとか)
これは、文献資料で見つかればよいのですが。
いずれにせよ、
温泉の地名に使われるようになったのは、小竹 岩楠がかかわっているものと考えても間違いないと思います。
名前の大切さは言うまでもなく、「瀬戸鉛山村」のままでは今日の隆盛がなかったかも知れません。
「白浜館」「白浜温泉」が誕生後、白浜が町の名前として採用されるまでは、
まだまだ、地元の反対が非常に強く、反対を押し切っての決断だったようです。
(湯崎温泉の老舗のプライドも強く、白浜温泉と湯崎温泉の両温泉名がしばらく併用されていた)

まとめますと
小竹 岩楠が「白浜」の地名の産みの親であることを実証できるような文献資料を見つけたい。彼の先見性をより示すために。
御坊ゆかりの先人たち 小竹 岩楠
白浜温泉開発の父
https://www.city.gobo.lg.jp/.../izin/1382922946455.html