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カラーテレビはいつ普及したのか?


私にとっての「三丁目の夕日 カラーTVが我が家にやってきた日」

2010年5月15日
   2010年6月3日 更新

・東京オリンピックがカラーTVを普及させたというのは真っ赤なウソである。
にも関わらず、自宅でカラー放映を見たと称する人が多数いる。
・東京オリンピックの開会式のカラー放映を実際に見た人は、閉会式は白黒で放映されたことも知っているはずである

1.初めて、カラーTVを見た日


それは、1960年、私が和歌山市立城北小学校3年生の時であった。突然クラスの担任の先生が興奮した様子で、「皆さん、カラーTVを見せて頂きましょう! 」ということで、授業を中断し、クラス全員が訳も分からずに担任の先生のあとに続いて講堂に向かった。
 講堂に入ると舞台の真ん中にどでかいTVが鎮座しているのが目に入った。
 並の大きさではない、1クラスが50人以上の時代に、学年A,B,C,Dの4クラスで200人を超える人数が、講堂に一同に会しても、十分に見応えがあった。
 これから始まると言うときに、1人来ていないことに気がついた先生は、自分もカラーTV見たさで、こともあろうにクラス委員の私に、連れてきなさいと命令するのである。私は悔しい気持ちを抑えて教室に戻ると、問題児は反抗して言うことを聞かない。あきらめた私が講堂に戻った時には、アニメの番組がほぼ終わる頃合いであった。ほんの2〜3分であったが、しかしその鮮やかさは忘れ得ぬものであった。小学校でカラーTVを見せてもらったのは、この時が最初で最後であった。
 ところで、1960年と言えばNHKがカラーの本放送を開始した年であり、東芝が日本で初めて発売したカラーテレビでも精々17インチであった。その時期に小学校で見せて頂いた、あのばかでかいカラーTVはいったいどこのメーカー製で、何インチの大きさで、何の目的で作成されたものなのか? この件に関しては、詳しく知りたいと思うが情報がまったくない。

2. 東京オリンピックのカラー放送


1964年、我が家の小さな白黒TV(14インチぐらい)の前で、一人開会式を見ようとしていたところ、父が私を呼びに来た。近所のお金持ちのお宅のカラーTVを見せてもらいに行こう! というのである。このお宅はスズキのバイクの修理・販売を手がけ、当時大通りでも木造の2階建ての家が立ち並んでいた当時に、鉄骨3階建てのビルを自宅兼職場としていた。 このお宅の20畳程の応接間には、当時としては大画面のカラーTVが備え付けられていた。以前から何回か父に連れられて、当時カラー放映されていた番組は少なかったが、NHKの「シャープさんフラットさん」などを見せてもらっては感動していた。
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このテレビのメーカー、型番については不明であったが、ネットで色々と調べているうちに、ついに、それらしいテレビを見つけることが出来た。 判定のポイントは、テレビでは珍しい観音開きのトビラが付いていたことだ。 奥さんがトビラを開いていた光景を思い出したのだ。 このテレビは1960年発売の日本ビクター製の21CT-11B(下記資料参照)でサイズは21インチ。 一方価格は54万円とある。 当時の公務員の初任給が1万円の時代である。今で言えば数百万円以上?になるのだろうか。とても庶民の手に届くレベルではなかった。 ちなみに、我が国初のカラーテレビを発売したのは東芝でおなじ1960年のことであった。(下記資料参照)
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 この日はさすがに、20人程度の近所の人が詰めかけて、立ち見席になっていた。
(ここで注意してほしいのは、私の当時の家は和歌山市駅に近く、路面電車が走る大通りに面しており、市街の中心に近いところでもこのような状況だったということである。)
 開会式の特に印象に残ったシーンは、聖火がトラックに入場してきた時の走者の後に白い煙がたなびくシーンであった。、逆光の競技場の暗い背景に、その白さは際立ち、どこまでも青い快晴の空とのコントラストがもたらす臨場感はカラーならではのものであった。
 また、閉会式の時には、私が一人でこのお宅を訪問して、見せて頂くことになった。だが、結果は期待はずれで、白黒放送だったのだ。近所の人は知ってか知らずか、それとも閉会式は興味がなかったのか、私以外にはだれも見に来なかった。

 今思えば、開会式を大型のカラーTVで鑑賞できたのは、非常に幸運であったと思う。
ちなみに、我が家にカラーTVが初めて入ったのは、実に遅れること6年、1970年になってからのことで、画面サイズは20(19?)インチのパナカラーであった。庶民の生活レベルで購入出来るようになったのは、この頃からであった。 ちなみに、この年のカラーTV普及率は、Wikipediaの資料によれば、約20%となっている。この数値は意外にも私の予想に反して世間では結構早い導入だったことを示している。

 話を戻して、さらにこの資料を見ると、1964年のカラーTV普及率は、ゼロを示している。、これは私の持っていた感覚に近く、東京オリンピックの開会式を自宅のカラーTVで鑑賞した人は、実は皆無に近いのである
 さらに1966年(私が中3)になってようやく0.3%というレベルとなっている。 
 しかし、この頃には、役所や旅館等人が集まるところにはカラーTVの設置が普通になっており、1966年に修学旅行で渋谷のNHKを見学した時に、カラーTVの展示を見ても、目新しさは何も感じなかった。

 

3. キドカラー号の思い出

 1968年、日立がキドカラー号という飛行船を使って全国を空からキドカラーの広告塔に使った時期があった。
 私の住む和歌山市にも飛来、水軒の埋め立て地の一角を基地として、近畿の空を宣伝飛行していた。私は叔父の車に乗せてもらって、見物に行ったことがある。但し、公開していたわけではなく、敷地内に入ろうとしたところ、飛行船からマイクで注意を受け、追い出されてしまった。
 日本で戦後初めて見る飛行船(私にとっても当然初めて)ということで、大変な人気であったが、肝心のカラーTVの拡販につながったのかどうか?はなはだ疑問もある。

4. 1964年当時のカラーテレビとは


技術面では

 日立が蛍光体にキドカラーという新蛍光体(希土類を使って赤の発色を改善したとWikipediwには書かれている)を使って発色を変えたと言っていたが、ほとんどの人はその意味する所は分からなかったと思う。
 幸い私はカラーTVの技術を紹介するイベントが地元で開催され(1964年私が中1の時)、その当時の国産のカラーTVの発色がいかに貧弱であったかを知っていた。
 コントラスト、鮮やかさに関しては、まだまだ、とても満足出来るレベルではなかった。
 また、発色だけではなく、シャドーマスクが粗く、TVのブラウン管に近づいてみると、RGBの各ドットが明瞭に見えるほどであった。
 また、この時のイベントで展示されていたカラーTVには、その後消滅してしまったRGBの3ブラウン管(投影式ではない)のミラー合成式のカラーテレビも展示されていた。 (構成については下記大阪市立博物館の展示資料がわかりやすい) このテレビは1964年発売の三菱製のトリネスコープ6CT-338と呼び、6インチの小型ブラウン管を3個使用していた。価格は12万円と、当時のカラーテレビの30万円から比較すると半額以下であった。(下記三菱トリネスコープの資料参照)
 このように1964年当時には、まだ技術的にも未完成な所が有り、方式も統一されていない状況であり、かつ価格も極めて高価なものであったが、我が家にカラーTVが入った1970年頃には、色彩が大変鮮やかで、何の遜色もないカラーTVとなっており、価格的にも手が届くレベルになり普及率が急激に伸びて来たことも納得できる。
 日立のキドカラーは確かにカラーTVの品質的な面での革新的な技術であったように思っている(想像)

価格面では

 1960年カラーテレビ発売当時の価格は、今の貨幣価値に換算するといったい、いくらになるのか大変興味があるところだが、計算の方法がある。日銀が消費者物価の係数を発表している。(下記資料参照) それによると、
  1960年     328
  1964年     413.3
  1970年     577.9
  2009年    1765.8
1960年発売のビクター製21CT-11Bの54万円は
54×1765.8/328≒290.7(万円)
何と300万円近い価格に相当する。これでは、一般庶民は手が出るはずがない!
1964年のオリンピック開催当時には30万円程度まで下がったようだが、それでも、
30×1765.8/413.3≒128(万円)
まだまだ、庶民には手が出ない。
それでは、我が家にカラーテレビがやってきた1970年では、20万円程度になっていたのだが、それでも
20×1765.8/577.9≒61.1(万円)
うーむ! 親父なかな頑張ったな!。
 それでは、普及率が50%を超えた1972年では、当時20万円のカラーテレビが、今の価格でいくらに相当しているのか調べよう。この年の消費者物価指数は643.8
20×1173.7/643.8≒36.5(万円)
30万円台になって、急速に普及をし出したことが分かる。

5. あとがき


 カラーテレビが庶民の居間に普及するには、妥当な価格とそれに見合った性能が満たされなくてはならないが、1964年のオリンピック開催当時にはまだ、条件が揃っていなくて、市場には出回っていなかったことは確実で、ほとんどの方が白黒テレビでオリンピックの開会式を見たはずであるが、自宅のカラーテレビで鑑賞したと主張する人が多いのに驚く。これは後に映画とか、ビデオを見たことで、記憶がカラーに塗り替えられてしまったというのが真相ではないだろうか?。
 

参考資料