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家族構成 | ・両親、 ・妻 (淳 子) ・長女( 愛 ) おかげさまで中学生になりました ・次女(那 奈) 5年生 ・長男(麟太郎) 7歳 ・三女(静 佳) 3歳 |
| 最近 のマイブーム |
青汁(自家製) | |
| 特技 | ・ちょっとの時間でも寝ることができる(長女の意見) ・NHK大河ドラマの解説 ・落し物 ・忘れ物 ・何があっても3食欠かさないこと |
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| 趣味 | 読書(主に歴史本) | |
| 健康管理 | ・肝臓もだいぶ弱ってきたので飲みすぎに注意する。 ・禁煙(喫煙を見かけましたら家族宛にご一報を。) ・朝のウォーキング。 |
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| 昭和36年12月 | 三日月町三津に生れる。 | |
| 昭和48年 3月 | 三日月小学校卒業。 | |
| 昭和51年 3月 | 三日月中学校卒業。 | |
| 昭和54年 3月 | 小城高等学校卒業。 | |
| 昭和61年 3月 | 明治大学政経学部政治学科卒業。 在学中、雄弁部に入部。 先輩である三木武夫元首相を師と仰ぎ「政治倫理の確立」街頭キャンペーンに参加。 |
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| 昭和63年 | 単身渡米、アメリカ大統領選挙にボランティアとして参加。 | |
| 平成 元年 | 衆議院議員秘書となり、厚生大臣秘書を務める。 | |
| 平成 7年 | 県議会議員に初当選。33才の最年少議員。 自民党県連青年局次長に就任 |
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| 自民党佐賀県第2選挙区支部青年局長に就任。 | ||
| 平成10年4月 | 臨時議会において文教厚生委員会の副委員長に就任。 高齢者福祉・少子社会対策特別委員会の所属となる。 |
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| 平成11年4月 | 県議会議員二期目トップ当選。 | |
| 平成13年 | 有明海玄海再生等環境対策特別委員長に就任。 総務委員会に所属。 自民党佐賀県連青年局長に就任。 |
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| 平成14年 | 文教厚生常任委員長に就任。 地域経済・雇用対策特別委員会に所属。 |
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| 平成15年 |
3期目当選
土木水産常任委員長に就任
三日月町体育協会会長に就任
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| 平成16年 | 佐賀商工共済問題特別委員会 委員長および文教厚生常任委員会 理事に就任 | |
| 現在に至る | ||
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志のある政治を 明治大学政経学部に入学後、雄弁部に入部。 先輩である三木武夫元首相の政治浄化に賭ける情熱を受け継ぎ、2ヶ年にわたり「政治倫理の確立」街頭キャンペーンに参加。 遊説隊長などを務める。これからも、学生服姿で街頭に立った頃の理想を胸に”政治改革”に情熱を注いでいきます。 |
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アメリカ大統領選挙に学ぶ ロッキード事件、リクルート事件など、たび重なる疑獄事件・・・。 大手をふってまかり通る金権政治。腐敗した日本政治を憂い、民主主義の原点に立ち返り、理想の政治を追い求めてアメリカに渡りました。何度も政党に手紙を出し、大統領候補の事務所に直接お願いし、ボランティアとして受け入れてもらいました。そこには、若者が世界中から馳せ参じていました。生活を守るために活動する婦人もいました。何よりも候補者の理想に共鳴し参加している人々です。国家の希望を語り、政策を全米中に訴え、弁論・ディベートで競い合う選挙戦でした。 彼等には,自国のリーダーを支え、自らの未来を選択するんだという決意と熱気が満ちあふれていました。そこでは、あらゆる人々に門戸が開かれていて、自らの手で政治の流れを変えていくんだという勇気を学びました。 |
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子供たちの未来のために 明日の未来を担う子供たちは,私達の宝です。感受性豊な思いやりのある子供たちを育てる環境づくりに一層努めねばなりません。子育て世代の負担の軽減はもちろんのこと。地域においては、各種の文化活動やボランティア活動など、より多くの参加の機会をつくるべきです。安心して生み育てることができる、心の通い合う教育を推し進めます。 福祉の充実〜厚生大臣秘書の経験を生かして〜 健康で生き生きとした人生をおくる。 これは我々の願望です。21世紀には、4人に1人が65歳以上という高齢化社会を迎えます。高齢者の方々が安心して生きがいを感じられるような環境づくりが大切です。住み慣れた地域や家庭で暮らせるよう、在宅福祉の一層の充実と心ふれあう町づくりに力を尽くしていきます。 |