993m
米山
勤労感謝の日は例年だと新発田市でフルマラソンの新潟県選手権が行われるのであるが
今年は競技場改修の為、中止と相成った。そこで空いた休日を利用して地元柏崎市のシンボル
である米山に登ることにした。民謡「三階節」で名高い山で三百名山にも入っている。
考えて見ると地元の山でありながら高校三年の時以来30年も登っていない。(年齢がばれる?)
随分と当時とは変わっているだろうと思い、期待感一杯で登った。
 当日はこの上ない晴天で絶好の登山日和。日頃の私の行いがよいせいか、私が何処かに
出かけると言う時は決まって良い天気になる。お天道様はやっぱり良い子の味方なのだ。
エッヘン。米山への登山口は色々あるが大平からのコースは何度も登っているし、このコースは
整備されすぎていてあまり面白くない。で、一番きつい?と言われている谷根(たんね)からの
コースにした。赤岩ダムの近くに車を止めていざ登山開始。道はいきなりの急登になるが、
ここを過ぎると大した事はない。落ち葉を踏みしめての快適な山行で落葉した木々の間からは
ダム湖が朝の光を浴びて輝いている。道は先日降った雪が消えずに残っている。高度が高くなる
につれ少しずつ増えてくるがそれほど気にはならない。やがて道は下りになる。一旦登ったのに
下ると言うのは何か損をした気分であるが止むを得ない。夏は木々が邪魔をしてここからは米山
の姿は良く見えないのだが、落葉しているので今日は良く見える。吉尾からのコースの峰が下界
で見る時よりもいやに迫って見える。
2000年 11月23日
道は再び上りになって先を進むとやがて道が細くなり、所々に鎖場がある。この辺りが
このコースの多分一番難所なのであろう。朝早く登った人がもう降りてきた。どうやら
頻繁に米山に来ている方のようで、山のご機嫌伺いに来ているといった感じで昼食も摂らずに
引き上げて行かれた。山の空気を吸えば十分なのであろう。さて痩せ尾根を登ると頂上が
見えてきた。もうずいぶん人が集まっているようだ。方位盤のある広場にひとまず荷物を下ろし、
頂上へ向かう。30年前とは違って頂上のあたりはずいぶん明るくなったような気がする。
避難小屋はログハウス風になり、薬師堂もだいぶお色直しがされたようだ。学生時代に登った
時は、この辺りで「とうき」と言うカレーの香りに似た魔除けの草の臭いがしたが、今は季節も
晩秋なので枯れてしまっているのか何の臭いもしない。昔、小学生の時に登った当時はここに
7mの鉄塔があり、登ると1,000mになるので勇んで登ったものだ。しかしその塔も強風で倒壊
してからは再建されていない。
 よく晴れているので360度のパノラマである。妙高連峰の火打山や妙高山、越後三山、眼下
の日本海などはっきり見て取れる。アマチュアカメラマンの方たちもこの期を逃さずあちこちで
三脚を立てている。絶好の秋晴れだ。雪上で昼食を摂り下山へ向かうが、まさかこの後とんだ
ハプニングが待ち受けていようとは夢にも思わなかった。
下山の時にも登ってくる人にたくさん会った。その人達に挨拶していたからと言う訳ではないが、
どうやら道を間違ったらしい。しかしその時は全然気がつかずにひたすら下っていた。だが気の
せいか雪の量が何だか朝登ったときよりも増えている。これを私は気温が上がったため雪が
緩んだのでかさばって見えるのだろうと勝手な解釈をしていた。そして米山湖が左手に見えるに
及んでも、上りと下りとでは景色が違って見えて当たり前だなどと平然としていた。しかしそれに
してもなかなか登山口が見えてこない。そしてずいぶん下ったなと思う頃、野田コースにある
鉄柵が見えて来た時には愕然とした。事ここに至ってやっと道を間違えたことに気がついた
アホな私であった。考えてみれば行きにはなかったような巨木もあったりしたのだからもっと早く
気がつくべきであった。どうやら谷根コースと野田コースの分岐で間違ったらしい。しかしいまさら
後悔しても始まらない。幸い携帯電話を持っていたので姉を呼び出して迎えに来てもらうことに
した。野田の登山口と谷根の登山口とでは何十キロも離れているので致し方ない。思えばこれが
市内の山であったからよかった。もし遠く離れた山であったならこうは行かない。慣れたどんな山
でも細心の注意を怠るべきではないとつくづく思った。
 谷根の登山口まで送ってもらってから時間がまだあったので鵜野浜温泉によって今日の汗と
失敗を洗い流した。