100題 - No84 |
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死は予告なしに訪れる。 いかなる者も、前もって確実にそれを知ることは不可能だ。 ましてこの乱世。 相次ぐ戦、病、餓え。 いつ死が訪れてもおかしくはないのだ。 物言わぬその身体に縋りつく者の姿を、私は直視できなかった。 見慣れた光景であるにも関わらず。 死というものを改めて認識させられるのが怖かったのだ。 (いつか私も、こうしてあの人の亡骸に縋る日が来るのだろうか?) そう思うだけで胸が締め付けられる。 恐ろしさに身体が震えた。 あの人が命を失うことなど考えたくはないのに、常にそれは私の中にあって離れない。 あの人のそんな姿を見るくらいなら、自分の方が先に逝ってしまいたい―――。 それが逃げだと言われてもそう願わずにはいられなかった。 「どうした、姜維? 随分と浮かない顔をしているな」 街の巡察からの帰り、声を掛けられて顔を上げれば、馬将軍が立っていた。 「ああ……いえ、何でも」 私は慌てて笑顔を作って見せるが、馬将軍には私の沈んだ心情が伝わったのか、慰めるように頭を撫でられる。 いつもなら、子供扱いしないで下さい!と怒鳴るところだが、今日の私にはそれが心地良く思えた。 黙ってされるがままになっていると、馬将軍が首を傾げた。 「やっぱりおかしいぞ、お前。 やけに素直だな。 拾い食いでもして、腹を壊したか?」 茶化されても、いつものようにいきり立つ気にもなれない。 深々と溜息を吐き出しつつ、ゆるゆると私は首を振る。 「本当に何でもないのです……」 そうは言うものの、私の頭からは先程の情景が忘れられずにいた。 病で亡くなった夫に泣き縋る妻の姿。 命を失った夫と同じほどに顔面蒼白で悲しみにくれていた。 その姿があの人と私自身に重なって見え、思わず私は目を逸らしたのだ。 「馬将軍…」 ふと尋ねてみたくなった。 いつも威風堂々としているこの人も、戦乱の世に生きている。 そして馬将軍にも、とても大切に想っている人がいることも知っている。 ならば私と同じような想いを抱いてはいないか、聞いてみたくなったのだ。 「馬将軍は趙将軍よりも先に命果てたいとお思いですか? 趙将軍に先に逝かれるくらいなら、自分の方が……と、やはりそうお考えですか?」 私の問い掛けに、馬将軍は面食らったように少し目を見開いた。 突然なにを言い出すのかと、驚いているようだ。 「はぁ?」 それでも私は構わず馬将軍に詰め寄った。 「お願いします! 答えて下さい!」 そんな私の勢いに押されたのか、馬将軍は考え込む素振りをみせる。 私に死に対する自分の考えを話して良いものか、考えているのだろう。 しばらくして、馬将軍は口を開いた。 「俺は、あいつより先には死にたくないなぁ…」 その答えが私には意外だった。 愛する人が先に逝ってしまっても、馬将軍は構わないというのか。 自分よりも少しでも長く生きていてもらいたいと思うものではないのか。 残された後の悲しみと絶望の中で、耐えられるのか。 自分が質問したにも関わらずそんな答えが返ってくると、私は思ってもみなかった。 「どうしてですか?」 「どうしてって……そりゃ、あいつが先に死んだら悲しいに決まってるけど、あいつを残して逝くのが心配なんだよ。 正確には心配というか、不安というか、嫉妬というか、俺の我侭というか」 「え?」 ますますもって分からない。 「俺が死んだら、あいつは決まった相手がいなくなる訳だろ? そうするとだな、言い寄ってくる女やら男やらが沸いて出てくる。 中身はふてぶてしいし、図太いし、可愛げの欠片もない奴だけど、見た目が何せ良いからなぁ……。 俺以外には人当たりも良いし。 で、俺以上に素晴らしい奴がいるとは思えないけど、もしかすると魔が差してそういう関係になるかもしれないだろ。 それは絶対に耐えられん! あいつが俺以外の人間と―――だなんて許せないから、俺はあいつより先には死にたくない」 一気に捲くし立てて、馬将軍は満足げに笑った。 誤魔化そうと嘘を言っている様子は全く見受けられない。 私はといえばもちろん呆気に取られていた。 「そ、そんなことで……趙将軍より先に死にたくないと……。 だいたい死んでしまったら、残された趙将軍がその先どうなるかだなんて分からないでしょうに」 「煩い奴だな。 お前が答えろっていうから答えてやったのに。 ただ俺は自分の思った所を正直に言ったまでだ」 「でも……」 「だいたいな、俺は―――」 私を遮るように続けた馬将軍の言葉に、私はまた驚かされるのだった―――。 その後、私は城で趙将軍を捕まえ、馬将軍に対してしたのと同じことを問うてみた。 すると、趙将軍も面食らいつつも、しばらく逡巡した後、答えてくれた。 「私はあいつより先には死ねないな」 そう馬将軍と同じ答えを返す。 「え?」 私の内心の驚きなど知らぬ趙将軍は、至って真面目な顔つきで続ける。 「私が孟起より先に死んでしまったら、誰があの馬鹿を制御できるんだ? 執務はすぐにさぼる、規律は守らない、周りの迷惑顧みず思うが侭に振舞うあいつを残して逝くだなんて、恐ろしい真似は私には出来ん。 私がいなくなれば更に箍が外れることは間違いないからな。 馬岱殿お一人に、あやつの面倒でこれ以上気苦労を掛けるのは忍びなさ過ぎる。 何の因果か、孟起と関係を持ってしまった以上、そんな無責任な真似は出来ん」 言っている内容は違えども、まさに答えは馬将軍と同じではないか。 どちらも相手より先には死にたくないと。 そのことに、ただただ私は驚いた。 「ま……まさか、馬将軍と示し合わせたなんてことは……」 「は?私が孟起と?」 趙将軍は意味が分からないとばかりに眉根を寄せる。 とても演技には見えない。 怪訝そうな表情のまま、趙将軍は口を開く。 「そもそも私は―――」 その後に続いた趙将軍の言葉もまた……。 二人は言った。 「今の今まであいつが死ぬと考えたことなんてなかった。 どうやっても死にそうにもないからな」 と。 私に尋ねられ、初めて考えてみたとそう言うのだ。 二人が私の質問に考え込んでいたのは、自分の考えを私に告げるかを悩んでいたのではなく、いきなり今まで考えてもいなかったことを尋ねられ困惑していたのだ。 その言動からはとても恋人同士には思えない二人。 しかし一見では分からない深い所で繋がっているのだろう。 相手の死というものに怯えて、あらぬ考えを巡らすこともない。 そんな馬鹿げたものよりも、生きている今を大切に考えているに違いない。 私もあの人とそんな関係が築ければどれだけ幸せだろうか。 いや……築いていこう、これから。 死に脅かされることのない強い関係を。 後日、修練場で手合わせをしていた二人に、礼を述べると、馬将軍も趙将軍もきょとんとして顔を見合わせた。 「何か礼を言われるようなことでもしたか?」 と、見事に二人の台詞は重なった。 私が噴き出しつつ、 「お二人は対照的なようで、本当に似ておられますね」 そう言うと、二人は心底嫌そうな顔をした。 その表情もまた良く似ていたものだから、私は思い切り笑い声を上げてしまい、二人から睨みつけられたのだった。 written by y.tatibana 2008.11.08 |
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