100題 - No80 注:馬趙前提の諸葛亮×(→)趙雲 「憎しみ」へ続く |
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別れを切り出したのは、私の方からだ。 「もう、同情されるのは沢山です」 そう冷たい声音と眼差しで告げた私に対し、貴方は何も答えはしなかった。 ただ寂しそうな……そして哀しそうな瞳で、私のことを見つめていただけだった―――。 「補給物資の件はどうなりましたか?趙雲殿」 諸葛亮は城の執務室に呼び出した趙雲に、次の戦に向けての彼に命じていた件の報告を聞く。 諸葛亮の真向かいに座した趙雲は一度頷く。 「その件に関しましては―――」 命じられた補給物資の調達や運搬に関しての手筈を、趙雲は澱みなく諸葛亮へと述べる。 その伏目がちな趙雲の顔を、諸葛亮は文机越しにそっと見遣る。 淡々としたその表情からは、どんな感情も窺い知ることはできない。 否―――今この場で、別段彼は特別な感情など何一つ抱いてはいないのだろう。 丞相と将軍。 ただそれだけの関係になってどれだけの時が流れただろう。 遥か昔、自分が流浪の劉備の元に召抱えられたばかりの軍師で、彼が一介の武人だった頃―――その関係は今とは大きく異なっていた。 褥を共にし、身体を重ね、朝を迎える……そんな時を過ごしたこともあったのだ。 いかなる時も冷静沈着と評される彼の―――艶めいた表情や、甘く喘ぐ声、快楽に乱れる姿を自分は知っている。 しかし、それは最早遠い昔のことだ。 自分が彼との関係に終止符を打ったのだから。 「―――ということで宜しいですか?」 趙雲は一通りの説明を終え、諸葛亮へと問いかけた。 伏せられていたその視線が諸葛亮へと移される。 諸葛亮へと向けられた美しい漆黒の瞳は、やはりただ静かなだけであった。 「ええ、問題はないようですね。 さすがは趙雲殿、お見事です。 それでは、そのように準備の方よろしくお願いします」 諸葛亮もまた内心など悟られぬ調子で、平然と頷きを返し、指示を出す。 「承知いたしました。 すぐに取り掛かります」 拱手し、趙雲は立ち上がる。 そのまま踵を返した趙雲の背に、諸葛亮は再び声を投げ掛けた。 「貴方は変わりませんね」 呟きにも似た小さな諸葛亮の声を、しかし趙雲は聞き逃さなかったようだ。 足を止め、振り返る。 怪訝そうな面持ちでもって。 諸葛亮は机上の羽扇を手に取るとそっと口元を覆う。 「久々に酒などご一緒に如何ですか? 今宵、特にご予定がないのでしたら、どうぞ私の邸へいらして下さい」 趙雲の訝りを無視する形で、諸葛亮は全く別の話題へと転じる。 しばらく趙雲はそんな諸葛亮の顔を困惑した面持ちで見つめていたが、諸葛亮はそれ以上何も言おうとはしない。 「……お招きありがたくお受け致します」 諦めたのか、趙雲はそう言い残すと、諸葛亮の元を辞して行った。 「本当に―――貴方はあの頃と変わっていない」 一人だけになった室内に、諸葛亮の呟きが再び落ちる。 それはとても冷酷な声色で……羽扇で隠した口元にはそれに相応しい酷薄な笑みが浮かんでいた。 綺麗な顔も。 しなやかな肢体も。 強さと優しさ、そして―――残酷さも……。 夜の帳が下りる頃、趙雲は約束通り諸葛亮の邸へやって来た。 客間ではなく諸葛亮の自室に通され、趙雲はまたもや微かに眉根を寄せた。 しかしそれに気付かぬ振りをして、諸葛亮は趙雲を歓待する。 円卓の上には酒や肴が既に用意されていた。 「さぁ、どうぞお座り下さい。 お疲れのところを招きに応じて下さり、ありがとうございました」 微笑みながら、諸葛亮は自分の正面の席へと趙雲を誘う。 趙雲が座るのを待って、諸葛亮は彼の杯へと酒を満たす。 趙雲もまた同じようにしようとするのを、諸葛亮は止める。 既に諸葛亮の杯には酒が注がれてあった。 「お呼び立てした上に、お気を遣わせては申し訳ありませんので。 今宵は互いの立場を忘れようではありませんか。 昔のように……」 言って、諸葛亮は自分の杯を掲げ、先にそれを飲む。 目線で促され、趙雲もまた諸葛亮に倣った。 そうしてしばらく穏やかに二人だけの酒宴は続けられた。 だが、それはもうすぐ終わりを告げることになるのだ。 諸葛亮の手によって―――。 そんなことなど趙雲は知る由もない。 「貴方とこうして差し向かいで酒を飲むのは、どれくらい久しぶりでしょうか。 私達の関係が終わって以来ですか……。 あの頃はよくこうして二人で飲みましたね―――そして身体を重ね合わせていた」 諸葛亮は世間話でもするように涼しげな顔で……だが突然にそんな遠い過去を口にする。 趙雲の眉間には、その不審さを現すように今度こそくっきりと皺が刻まれた。 「一体、丞相は何をお考えなのですか? 今日の貴方は何処かおかしい」 趙雲の問い掛けを、諸葛亮はにっこりと柔らかな微笑みでもって受け流す。 しかしその瞳が決して笑っていないことに、趙雲は気付いていた。 青白い冷たい炎を宿している。 諸葛亮のその眼差しに趙雲は覚えがあった。 二人の関係が終わったあの時に、彼が見せたのと同じものだと。 「馬孟起……」 趙雲の疑問を無視し、諸葛亮はぽつりと唐突にある男の名を漏らす。 その瞬間、趙雲の顔つきが僅かながら強張った。 趙雲の反応を見逃さず、諸葛亮は満足したように一つ頷いた。 「この国に降って間もない彼と、随分仲が宜しいようですね。 頻繁に互いの邸を行き来していることも、存じています。 一族を失って手負いの獣となった彼は、未だ周囲と馴染もうとはしない―――貴方を除いては。 今は毎夜のように彼に抱かれているのでしょう?」 ここに至って流石に趙雲の瞳が険を帯びる。 「そのようなお話がなさりたいのでしたら、私はこれにて失礼致します」 そうして立ち上がった趙雲であったが、その途端にくらりと視界が揺れるのを感じた。 咄嗟に卓の上に手を付き己の身体を支えようとするが、何故だが腕に力が入らない。 腕だけではない……全身を倦怠感が襲い、自分の意志から切り離されてしまったかのように言うことをきかない。 「……くっ…」 短い呻きを漏らし、趙雲は己の身体を支えきれず、とうとう床へと倒れ伏した。 趙雲が全体重を掛けていた為に、円卓もまたそのまま傾き倒れてしまう。 酒や肴が床に散らばり、陶器の幾つかは床に叩きつけられ砕けた。 意識はあるが、どうしてだか身体の自由はやはり効かなかった。 先程の酒か、もしくは料理の中に、何らかの薬が混入されていたのだと想像することは、趙雲には難しくはなかった。 そういった知識にも諸葛亮が長けていた事を、趙雲は忘れてはいなかった。 そんな趙雲を、席から立ち上がった諸葛亮は冷めた瞳で見下ろしている。 「貴方はとても残酷な人だ。 私の次は馬超殿ですか―――本当は相手のことなど愛してなどいないくせに、愛している振りをして近付く。 主公に頼まれたからでしょう? 馬超殿と昔の私の立場はとてもよく似ている。 誰も信じられるような人間はおらず、周囲にも受け入れて貰えず、味方の中にあっても孤立していたあの頃の私に。 それを主公はとても気に病んでおられた。 そんな主公に命じられて、優しい貴方は相手に近付き、身体までひらいた。 けれどそんなものは愛情ではなく、同情に過ぎない……。 そして貴方自身の主公への忠心を示すが為だったのでしょう。 同情なんてものは、相手を癒すどころか、更に深く傷付けるだけなのだと貴方は気付いていないのですか? それとも気付かぬ振りをして、憐れな相手を嘲笑い、蔑んででもいるのですか?」 「違い……ます……」 呂律の回らない舌で、何とか趙雲は言葉を搾り出す。 必死で頭を持ち上げ、傍らに立つ諸葛亮を見上げれば、冷たい瞳と目が合った。 くすりと諸葛亮が馬鹿にしたように笑う。 「否定なさいますか。 私が貴方のそんな本心に気付き、別れを告げた時には何も仰らなかったというのに……今更」 諸葛亮はそのまま屈み込むと、趙雲の顎を捕えた。 ぐっと更に趙雲の顔を上向かせ、その唇へと己のそれを重ね合わせる。 それが始まりの合図だった。 written by y.tatibana 2007.12.22 |
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