100題 - No74

激しい
窓からは柔らかな陽が差し込み始める。
常の趙雲であるならば、もう既に早朝の鍛錬で一汗かき、朝餉も済ませ、そろそろ登城しようかという頃だ。
やらねばならぬことは山積しているのだ、のんびりしている暇はない―――とでもいうように。

しかし、今日の趙雲は違った。
未だ寝台の上に横たわっている。
しかも眉根を寄せて、酷く辛そうな様子で。
……と言っても、決して病という訳ではない。

原因は―――趙雲の隣で申し訳なさそうな顔で正座している馬超だ。

「本当に悪かった!この通り!」
手を合わせて、頭を下げ、馬超は詫びの態度を示す。
「……」
だが、趙雲は険相な顔を崩そうとはしない。
無言のまま、怒りを滲ませた視線で、馬超を射る。
「心の底から反省している!
そのまぁ……なんだ、あまりにも久々だったもんだから、つい……」

「な……が…つ……い……っ!」
とうとう趙雲が口を開いた。
が、見事に声が潰れてしまっていて、所々しか音にはならない。
どうやら「なにがついだ!」と言いたかったらしい。
声を出すことさえ儘ならない自分に、趙雲はさらに苛立ちが募る。

そしてその苛立ちは、その原因を作った馬超へと向けられるのだ。
蹴りの一発でもお見舞いしてやろうとしたのだが、ただ少し身体を動かすだけでも脚の付け根から腰にかけて、鈍い痛みが走る。
「くっ……」
低い呻きを漏らす趙雲に、馬超が大丈夫かと趙雲を気遣う。
それを鋭い視線で制して、趙雲は心の内で散々悪態をつく。

そう―――昨夜は趙雲を組み敷いた馬超が、決して趙雲を離そうとはしなかったのだ。
飽くことを知らないように、どれだけ抱いても足りないかのように。
受け入れる側の趙雲にとっては、限度を過ぎる交わりは大きな負担を齎す。
とうとう趙雲が勘弁してくれと言っても、馬超は止めようとはしなかった。
趙雲が気を失ってしまっても、無理矢理に揺り起こされた。

時折、馬超は度を越して趙雲を求める時がある。
普段、褥を共にする時には、決して趙雲に無理はさせぬよう気遣いを忘れぬ男であるのに。
だがその箍が外れると、容赦なく趙雲を攻め立てるのだ。
それは大抵、馬超が戦へと発ち、趙雲と長く離れた後のことだ。

敵の肉を断ち、その血飛沫を浴びる。
そんな戦特有の高揚感は、性的にも酷く興奮を齎す。
それを散らす手立てとして、異性のいない戦場では同性を相手にすることが儘ある。
しかし、馬超はそれをしない。
決して趙雲がそれを止めている訳でもなければ、騒ぎ立てたこともない。

あくまでもそれは馬超の信念だ。
趙雲という決まった相手がいるのだから、他の人間になど食指が動く訳がない……ということらしい。
例え欲を散らすだけの関係だとしても、絶対に嫌だとも。
派手な外見に反して、案外一途なのだ。

が、そしてそういった理由で、多大なる被害を蒙るのは趙雲なのであった。
今回は予想よりも戦いが大きく長引いたせいか、いつもに増して馬超は激しかった。

全身の倦怠感も酷く、指一本を動かすだけでも億劫であったが、趙雲は大きく息を吸い込むと、意を決して起き上がる。
―――!」
顔を顰め、何とか上体を起こした趙雲は、その勢いのまま床へと降り立った。
……はずだったが、身体に全くといって良い程力が入らず、ぐらりと均衡を崩す。
「危ないっ!」
咄嗟に馬超が背後から趙雲を支える。
そうして再び、馬超の手によってゆっくりと寝台の上へと趙雲は身体を横たえさせられた。
「今日は無理だ―――ゆっくりここで寝ておけ」
「馬鹿……今日は……合同……演習が……」
途切れ途切れに告げる趙雲に、馬超が大きく頷いた。
「分かっている、黄忠殿の隊とだろ。
任せておけ、俺が責任をとってちゃんとお前の仕事は片付けてくるから」
戦以外の執務は従弟に任せっきりのこの男が何を言い出すのやら、と趙雲は疑わしげな眼差しで馬超を見る。
「俺とてやる時はやるぞ」
馬超は趙雲にそう言い残すと、手早く身支度を整え、趙雲の自室を出て行ったのだ。





「おや、馬超ではないか」
登城してすぐ趙雲が行う予定だった合同演習をこなし、城へ戻ってきたところへそう声を掛けてきたのは劉備だった。
その隣には羽扇をひらひらと揺らす諸葛亮がいる。
「そなたは昨日戦から戻ったばかりであろう?
疲れも溜まっているだろうし、今日は休みを与えられているのだろうに、何故ここに?」
「まぁ……その色々とありまして」
その訳をまさか正直に言う訳にもいかず、馬超は言葉を濁す。

「そう言えば、今日は趙雲殿の姿をお見かけしませんね」
諸葛亮が涼しげな顔で言うのに、馬超はぎくりと一瞬心臓が跳ね上がる。
「趙雲殿が行われる筈だった合同演習も、馬超殿……貴方が指揮しておられましたね?」
「なんと……子龍はどうしたのだ?」
諸葛亮の言葉を受け、劉備が不思議そうに馬超へと問う。

―――この性悪丞相め……もしや全て気付いているのでは?

心に浮かんできた不吉な予感を振り払いつつも、馬超は至って平静を装う。
「趙将軍は、少し体調を崩されたようで、今日は俺がその代理を務めさせてもらってます」
「何!?あの子龍がか!
それは大変だ、何か見舞いの品でも贈らねばな」
「いやいや!それ程大したことではなさそうな様子でしたよ。
明日にはいつも通り出仕されるかと」
馬超は力一杯、劉備の申し出を否定する。
もし本当にそんなことになれば、今日休んでいる理由が理由だけに、趙雲は恥ずかしさと心苦しさに憤死してしまいかねない。

「そうか……それならば良いのだが。
馬超もすまぬな、疲れているだろうに趙雲に代わって執務とは―――
「いや、俺は全然平気ですから」
良心の呵責に耐えながら、馬超は首を振る。
何だか自分だけが株を上げている気がする。
趙雲が出仕できない元々の原因は自分であるのにと。

「私もそう思いますよ、主公。
馬超殿は戦の疲れなどきっと消し飛んでおいででしょう。
どなたかの犠牲のお陰でね……。
しかし、もう少しご自重頂きたいものです」
ふふっと思わせぶりな笑みを浮かべて、諸葛亮は馬超へと涼しげな視線を投げて寄越す。
劉備は諸葛亮の言葉の意味が分からないようで、不思議そうな表情を見せるが、当の本人は至って涼しげなままだ。
そのまま二人は馬超の元から立ち去ったのだが、馬超はしばし呆然となっていた。

―――やはり、あの男には全部バレている。

と、冷や汗が背筋を伝うのだった。
二人の関係が他者に気付かれているなどと趙雲に知れたら、これまた彼は舌を噛み切ってしまいそうだ。
趙雲のことが気に入っているらしい諸葛亮が、そのことを話すとは到底思えないが、弱みを握られたようで癪に障る。
落ち葉を蹴り上げ、苛立ちをぶつけ、馬超は大きく溜息を吐き出すのだった。





夜遅くに、馬超は再び趙雲の邸を訪ねた。
流石は武人、回復力は抜群なようで、趙雲は寝台に臥せっているではなく、自室で書簡の整理を行っていた。

「子龍」
その背に馬超は恐る恐る声を掛けるが、返る答えはない。
まだ怒っているのだろうか。
だが今回は全面的にこちらが悪いのであるから、ただ詫びることしか馬超には出来ない。
「本当に悪かった……」
沈んだ口調で馬超はもう何度目かになる謝罪を告げる。

―――今回限りだからな。
次はないと思えよ」
まだ掠れ気味ではあるものの、趙雲からようやく許しの言葉が返る。
それを耳にして、馬超の顔がぱっと輝く。

「子龍!」
駆け寄ろうとした馬超に、趙雲は「但し」と付け加える。
「これから三日間は私の手が届く範囲に近付くな。
もし私に触れようものなら、遠慮なく竜胆の餌食になってもらう」
どうやらそれが趙雲の馬超に対する仕返しらしい。
たった三日間……されど三日なのだ。
近くにいるのに触れれないとは、馬超にとっては気が遠くなる程に日数だ。

「この人でなし!こんなに俺が謝っているのだ、許してくれても良いだろう!」
何だかんだと喚き続ける馬超を尻目に、趙雲はそ知らぬ顔で書簡に視線を走らせている。

本当はとっくに許しているのだ。
それどころか心の底では最初から怒ってなどいなかった。
馬超が自分だけを求めてくれるのが嬉しい。
言い寄る女が多いことも知っているし、戦場での高揚感はなかなか御し難いものがあるのも身をもって知っている。
にも関わらず、趙雲しか必要でないと言ってくれる馬超が愛しい。
その寄せてくれる想いの深さを感じる。

馬超が戦場から戻って来た日の夜は、激しく求められることは分かっているのだから、拒絶することも出来る。
力ずくで組み敷かれようとも、それを撥ね退ける力もある。
けれど、それをしないのは、趙雲自身―――長く離れていた馬超との触れ合いを望んでいるからに他ならない。
しかしそれを素直に認められない所が、自分の困った所なのだと趙雲も気付いているのだが、今更この性格は変えられそうもない。

本当は十日間と言おうと思ったのだ。
それを三日にしたのは、今日の馬超の猛烈な働き振りを、趙雲は副官から報告を受けていたからだ。
今日一日、立派過ぎる程に趙雲の代わりを果たしたらしい。

そして何よりも―――趙雲自身が十日間も耐えられそうにない……それが最たる理由だった。





written by y.tatibana 2006.06.16
 


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