100題 - No60 |
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静まり返った部屋で、馬超は一人、杯を傾けていた。 馬超が座る前の円卓には、空になった皿や酒瓶が幾つも並んでいる。 つい今しがたまで、同じ五虎将の趙雲と諸葛亮が自分の後継者にと蜀に降らせた姜維と共に卓を囲んでいたのだ。 しかし今、彼らの姿はない。 どれだけそこで一人飲んでいただろうか。 扉の開く音に馬超は顔を上げた。 中に入ってきたのは趙雲だった。 だが姜維の姿は見えない。 「お疲れ。 あいつは?」 持っていた酒器を眼前に掲げ、馬超は問う。 趙雲は馬超の向かいの席に腰を降ろすと、大きく溜息を吐く。 肩を竦めて、目の前の杯へと手を伸ばす。 「吐いたら楽になったのか、そのまま眠ったんで、客間に寝かせてきた。 やれやれだな……」 「ま、あれだけ飲めばそうなるだろうな。 あいつ、元々酒に強くないし」 馬超と趙雲が呆気に取られる程、この日の姜維は酒を浴びるほど飲んでいた。 二人の制止の声に耳を貸そうともせず。 そして、案の定酔いつぶれた。 真っ青な顔をして、気持ち悪いと口元を抑える姜維を趙雲が介添えして、外へ連れ出したのだ。 「あそこまであいつが暴走するとは……。 余程この間の戦のことがこたえているようだな」 呟くような馬超の言葉に、趙雲は頷いた。 「仕方あるまいて。 あれ程見事に打ち負かされてはな」 姜維が正気を失くすほどに酒を飲んだ理由―――。 それは先頃の負け戦が原因だった。 彼が先鋒を任されたのだが、敵の伏兵に両脇を突かれ、後続の部隊と分断された。 混乱の最中、姜維の副将を務めていた男が、あろうことか我先にと逃走したのだ。 本来ならば姜維を助け、兵の混乱を静めるべき男が……。 結局姜維の率いる隊の秩序は回復せず、多くの兵が命を落とす結果となった。 姜維自身は幸いにして助かったのだが、諸葛亮から兵を託されながら、成す術もなく敗走したのだ。 その屈辱たるや相当のものだろう。 ましてその副将を任じたのが姜維自身であったのだから尚更に。 「真面目そうな男だと思ったんだがなぁ……」 馬超は姜維の副将だった男の顔を思い浮かべる。 言葉を交わしたことはなかったが、印象的には決して悪くはなかった。 「人の本性など、そうは簡単に分からぬものだ。 まして今のこの世では自分ひとりの命を守るだけで精一杯なのだろう。 だからといって、伯約の副将の行為は決して許されるべきではないがな」 趙雲は言って、飲み干した杯を置く。 特別姜維を慰めるような言葉を二人が掛けることはなかった。 いくら副将の裏切りがあったとて、敗北の責は将である姜維にあるのだから。 甘やかすことは簡単だが、それが姜維の為になるとは思わなかった。 今回の敗戦が彼の経験や教訓となり、今後に生かしていくことが大切なのだ。 「で、お前はどうする?孟起。 邸に帰るのか?」 「うーん、どうするかな」 馬超は大きく伸びをして、次いでふわぁ…と欠伸を噛み殺す。 何だかんだと姜維につられる様に馬超もかなりの酒を口にしていた。 目の前の趙雲を見れば、彼もまた薄っすらと肌が染まっている。 姜維と違って馬超も趙雲も酒には強い方だが、それでも動くのは酷く億劫に感じた。 「泊まっていく」 「そうか」 どちらかの邸で酒を飲んで、そのまま泊まっていくことは珍しいことでもなく、趙雲もあっさりと頷いただけだった。 ―――ふと目を覚まして、辺りを見回す。 暗闇に目が慣れてくると、そこが見知らぬ部屋であることに姜維は気づいた。 慌てて起き上がると、酷く頭が痛んだ。 「痛たた……」 呻き声を漏らし、眉根を寄せる。 必死に記憶を辿れば、馬超と趙雲と卓を囲んでいたことが思い出されてくる。 二人に誘われて、趙雲の邸にやって来たのだ。 この間の敗戦が後を引いていて、二人の言葉も聞かずにあまり飲めもしない酒を浴びるほど飲んだ。 そこまでの記憶はあるのだが……。 ということはここは趙雲の邸なのだろうか。 頭に響かぬようにそっと寝台から姜維は降り立ち、扉を開ける。 廊下の様子には見覚えがあった。 確か邸の一番奥にある趙雲の部屋へと向かう時に通った。 兎にも角にも、記憶を無くすほどに酒を飲んでしまったのだから、二人にはさぞ迷惑を掛けてしまったに違いない。 何とも恥ずかしい限りではあるが、まずは非礼を詫びねばなるまい。 このまま知らぬ振りを決め込んで、眠ることなど姜維には出来なかった。 姜維はよろよろと何とも頼りない歩みで、最奥の部屋を目指す。 まだ酒は抜け切ってはいないようだ。 部屋からは微かな光が漏れていた。 趙雲がまだ眠りについてはいないと知り、姜維は扉を開けた。 馬超はもう帰ったのだろうかと疑問に思いながら。 「!!」 だが次の瞬間、姜維は驚きに全身が硬直した。 二対の瞳とぶつかった姜維の目は大きく見開かれる。 寝台の上に馬超と趙雲の姿がある。 驚愕する姜維とは対照的に、二人は至って平然とした様子だ。 「入るときは声ぐらい掛けろよ、伯約」 「な……何を……」 呆然と呟く姜維に、馬超と趙雲は顔を見合わせる。 「何って……見れば分かるだろう?」 と、これまた焦る様子もなく答えを返す。 自分は酔っ払って幻でも見ているのだろうか? 姜維は己の目を何度か擦る。 だが、やはり―――。 一糸纏わぬ二人の姿がそこにあった。 微かに息が乱れ、肌は汗ばんでいるようだ。 そして趙雲大きく割り開かれた脚の間には馬超の身体がある。 誰の目から見ても二人が何をしているのかは明らかだ。 「えっ……えぇ―――っ!?」 素っ頓狂な声を上げる姜維を二人は可笑しそうにニヤニヤと見ている。 人の悪い笑みを浮かべたまま、離れるでもない。 「い……一体……どういう……!?」 「私も知りたい。 動くのが億劫だとか言いながら、こういうことは出来るらしい。 何とも現金な奴だと思うだろう?」 と趙雲は姜維へ問いかけるが、その割りに全く嫌がっている風でも気分を害している様子もない。 「それとこれと別なんだ。 だいたいお前が誘ったんだろうが」 答えたのは姜維ではなく、馬超だ。 「そうだったかな」 「お前なぁ……」 惚ける趙雲に馬超は嘆息する。 すっかり二人の中からは姜維がこの場にいることが消え去っているようだ。 「あの……」 再び姜維が声を掛ければ、二人の視線は一斉にそちらへと向けられる。 「なんだ、まだいたのか伯約」 趙雲が言うのに、馬超が人の悪い笑みを深くした。 「もしかしてお前も混ざりたいのか? 俺達は一向に構わんぞ」 「な……なっ…」 瞬間、姜維の顔が見事なまでに赤く染まった。 「おーおー、照れちゃって、可愛い奴だな。 お前にもこれくらい恥じらいがあればな、子龍」 「煩い、お前にだけは言われたくない。 で、どうするんだ、伯約? お前も入る?」 二の句を告げない姜維にさらに追い討ちを掛けるような言葉を、趙雲は平然と問う。 真剣なのか、からかわれているだけなのか、そんな判断はもちろん姜維にはつこうはずもなく……。 「し……失礼します!」 ようやくそれだけを搾り出すと、姜維は脱兎の如く、趙雲の部屋を飛び出して行った。 まさか馬超と趙雲が恋人同士だったとは―――。 僅かでも想像したこともなかった。 確かに二人は年が近いこともあってか、平素から良く互いの邸を行き来しているようではあったが。 目の当たりにした光景が忘れられず、姜維の心臓はばくばくと激しく脈打っていた。 同性同士の関係は戦場ではよくあることだと聞いていはいた。 だが姜維は自身はそのような経験はなかったのだ。 にもかかわらず、五虎将と呼ばれる二人が実際ことを為している場面を目撃してしまったのだから、姜維の動揺や衝撃は計り知れないものだった。 しかも「混ざりたいのか?」だの「入るか?」などと言われては。 今になって思えばただからかわれただけだろうと思う。 姜維がそういったことに不得手なことを見抜いた上での言動だろうと。 あの場でもし「喜んでご一緒させて頂きます」などと返していたら一体どうなっただろうか。 恐らく二人とも大いに焦ったに違いないのだ。 恋人同士が睦み合っている場に、全く関係のない人間が入ることを由とする人間がどこにいるだろうか。 最初から姜維が慌てて立ち去るであろうことを二人とも予測していたのだ。 そしてまんまとその通りになった。 きっと二人して自分のことを笑っているに違いない―――姜維は地団駄踏む思いだった。 先の戦の事といい、今回のことといい……どうしてこうも自分はすぐに心が乱れてしまうのか。 その結果相手の良い様に踊らされてしまう。 どんな時でも冷静であらねばならぬと丞相である諸葛亮からも常々言われていることなのに。 「はぁ……」 深い溜息と共に、姜維はまだふらつく足取りで趙雲の邸を後にしたのだった。 翌日。 二日酔いに痛む頭を押さえながら出仕した姜維は、回廊の向うからやって来る人物を目に留め、立ち止まった。 昨日の今日で、あまり顔を合わしたくはない人物―――馬超であった。 つくづく己の運の悪さを嘆きながら、さてどうした表情を作れば良いものかと姜維は思案する。 何食わぬ顔をすれば良いのか、それとももう一度昨夜の非礼を詫びた方が良いのか……はたまたからかわれたことを怒るべきか。 そんな姜維の心の内など知る由もない馬超は、姜維に気付くと軽く手を上げた。 「よう、伯約。 何だかまだ顔色が悪いな。 二日酔いが酷いんだろ?」 馬鹿にしたような馬超の物言いに、姜維はムッと眉根を寄せる。 実際には正にその通りだったのだが―――。 「決してそのようなことはありません! 馬将軍の方こそ趙将軍共々、昨夜は遅かったんじゃないんですか?」 「ご明察。 寝たのは明け方近くだったな」 と、馬超の方は全く姜維の切り返しなど意には介していないようだ。 実に明け透けに答える。 逆に姜維の方が昨夜のことを思い出してしまい、また頬に朱が差す。 それを見てまた馬超はくすりと笑いを漏らすのだ。 「ほんと、初々しい奴だな。 お前もしかして経験ないとか?」 「―――っ!? ば……馬鹿にしないで下さい! 私だって、私だって……」 姜維は馬超を睨みつけるが、 「なら、昨日だって逃げ出したりせずに一緒に混ざれば良かったのに。 あっ、もしかして、男同士は駄目なのか? 女も良いが、男の方が余計な気を使わなくて良い分、気楽だぞ」 馬超は至って涼しげにそんな言葉を口にする。 羞恥にますます顔と言わず、全身が火照る。 だが目の前で人を喰った様な笑顔を浮かべている馬超を見て、姜維はぐっと拳を握り締めた。 ―――落ち着け、落ち着け。 何度か心の内で繰り返し、姜維は大きく息を吐く。 そのうちに全身の熱は引いていき、平静が甦ってくる。 そうして負けてなるものかとばかり、姜維もまたゆったりとした笑みを浮かべるのだった。 「ならばぜひ今度はご一緒させて下さい。 私が趙将軍を抱いても宜しいのでしょう?」 まさか自分の口からそんな台詞が出てくるとは馬超は思ってもみなかったに違いない。 馬超の酷く焦る様が見れるだろう。 姜維の中では、これで形勢が逆転する……はずだった。 だが―――。 「あぁ、俺は一向に構わんぞ。 ふーん、そうか……お前はそっちがご希望か。 見た感じだと、抱くより抱かれる方かと思っていたが」 などと、姜維の予想を大きく外れたところで馬超は驚いている。 「は!? なななな……何を仰っているんですか、貴方は!? 私の言っている意味が本当に分かっています? 私が趙将軍を抱くんですよ?」 姜維が取り戻した平常心は、あっという間に崩れ去っていく。 趙雲が他の男と関係を持っても本気で構わないと思っているのだろうか。 それとも冗談だと取られているのか。 「私は本気なのですよ、馬将軍!」 「だから俺は構わぬと言っておるではないか。 何故俺にそうも突っかかる?」 馬超は心底不思議そうな表情で、姜維を見ている。 だが姜維にしてみれば、余程馬超の方が分からない。 「何故って……趙将軍は貴方の恋人でしょう? そ……それなのに、他の人間と関係を持っても構わぬと貴方は仰るのですか!!」 一瞬、馬超は呆気に取られたように言葉を失い―――。 そして。 大声で笑い出した。 「な…っ、何が可笑しいのですか?」 自分は間違ったことなど何一つ言っていない筈だ。 ましてそこまで笑われるほどのことなど何も……。 「あはははっ! これが笑わずにいられるか。 何を言い出すのかと思えば、俺と子龍が恋人? そんな訳ないだろ!」 余程可笑しいのか、馬超は未だ笑い続けている。 「えっ!?」 姜維はただただ混乱に陥る。 それに追い討ちを掛けるように馬超が言う。 「俺の好みは色が白くて、肌の柔らかい、妖艶な美女だ。 あいつとは全く掛け離れているだろうが。 第一あいつは男だぞ? 恋人のはずがなかろう」 姜維は最早茫然自失だった。 何がどうなっているのかさっぱり分からない。 確かに馬超と趙雲は身体を重ねていたではいか。 あれはただたわむれの行為だったのか……? それとも昨夜の出来事は夢だったとでも言うのか。 と―――。 姜維は背後に気配を感じた。 酷く嫌な予感がした。 往々にして最近の自分はついていないのだ。 振り返るな! 頭がそう命令するのに、身体はそれに反して動く。 ゆっくりと身体を反転させた、その先に居たのは―――趙雲だった。 「!!」 姜維は目を見開いた。 昨夜から驚くことは多々あったが、これがその中でも最大だった。 それは……。 あの趙雲が―――泣いていたから。 両の目から静かに涙が零れ落ちている。 驚きと混乱の中、姜維はそれで全てを理解した―――。 written by y.tatibana 2005.01.16 |
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