トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ PDF RSS ログイン

EM世界観裏情報


ダスリヤーン帝国の内情とキルクルの関係

 私は、北方外交官として主にダスリヤーン帝国との交渉に赴いていた。
 ダスリヤーン帝国は、冬になると雪が降り、一面が銀世界になる。作物は多くは育たず、地はやせ細っているが、その活気はキルクル以上だった。
マツレー・アルペンシュタ

[ギルバルト皇帝即位前まで]

 ルブパール歴1525年、中央大陸の北方にて、初代皇帝アルトゥール・ダスリヤーンはヤーン人勢力の一派を率い、周辺国を従えてダスリヤーン帝国を開いた。その中でも著しく活躍した13人の戦士たちを円卓の騎士と呼んだ。
 それから1世紀が経ち、第13第皇帝の長男ミヒャエルが皇帝に即位する。この時からだろう。北国の一国でしかなかったダスリヤーン帝国が、一時は世界の半分を掌握するほどの大国家へと変貌する兆しが現れてきたのは。
 当時のダスリヤーン帝国は、皇帝と有力貴族のパワーバランスが釣り合わず、特に三大貴族と呼ばれる3家の台頭が著しかった。そんな中で即位したミヒャエルは型破りな皇帝だった。
 数々の新政策を打ち出し、ミヒャエルは帝国をかつてない大きな繁栄へと導く。しかし、重要な役職に平民を起用するなど貴族からの反感も大きかった。
 さらに、周囲からの反対が大きい中、大学時代の後輩であった平民出身の女性を妻に選び、側室をひとりも迎えないほどの愛妻家を見せる。さらなる貴族の反感を買ったのは言うまでもない。
 ミヒャエルには実弟がいた。後の第15第皇帝ギルバルト・ダスリヤーンである。ミヒャエルは軍の総大将をギルバルトに預け、自らは執政皇帝と名乗った。ダスリヤーン帝国が安定の軌道に乗り出すと、軍部を掌握しているギルバルトにクーデターを唆す貴族の親戚もいたという。
 しかし、当の本人は頑として首を縦に振らず、逆に唆した貴族の一門を自分の妻と共に辺境の地へと追いやったとされる。このことから、長男のミヒャエルと次男のギルバルトは堅い信頼で結ばれていると噂された。
 ところで、ミヒャエルには妻との間に世継ぎができなかった。
 ミヒャエル皇帝の在位中は第一皇子は弟のギルバルトで、第二皇子はギルバルトの甥アマデウスのままであることから、彼が存命中に養子を迎えることすらしなかったのが伺える。
 反対に、ギルバルトは当時の有力貴族たちの娘を次々に側室に迎え、多くの子を成していた。このことから、ギルバルトは軍部だけでなく貴族からも厚い信頼を得ていたという。
 これを当時の皇帝派(主に平民出)は快く思っておらず、多数を占める貴族派(三大貴族を中心とした支配階級の一派)との意見対立がしばしば起こっていた。

 もうひとつ、ミヒャエルは大学で考古学を専攻していた。特に、遺跡と呼ばれる古代文明の調査に勤しんでいたそうだ。即位後も、各地に点在する遺跡を調査する中で、ミヒャエルはギルバルトと共にギフトと呼ばれる遺産の研究を進めていった。
 ミヒャエルは、この中で「来るべき脅威」について発見したとされる。彼はこの「来るべき脅威」の対抗策として、巨人伝説(実際、古代に作られたとされる巨人像が各地で発掘されている)に出てくる10分の間、無敵になるという巨人を再現することに決めたのだという。EM(エムブリオマシン)開発はこの時からすでに存在していたようだ。

[ルバプール歴1653年、帝国歴128年]

 第14代皇帝ミヒャエル・ダスリヤーンが突然の死去したことにより、第15代皇帝ギルバルト・ダスリヤーンが即位した。ミヒャエルの死亡の原因は病死とされる。三大貴族が絡んでいると噂されるが、その真相は謎のままで立ち消えた。遺されたミヒャエル皇帝の妻はギルバルトの後妻となるが、間もなく死去したという。
 後に大侵略をした皇帝として有名なギルバルトだが、その実、即位時は開戦派でなかったことはあまり知られていない。

[ルバプール歴1663年、帝国歴138年]

 帝国でEMの試作機を完成した時、交流のある国々にも披露するセレモニーをしたが、10分間しか真価を発揮しない性能やあまりの新奇性のため、その有用性に疑問を抱かれるだけに終わった。
 当時秘書官として同席したサイ・シュレットの議会メモにその時の各国の空気の分かる記述がある。「ダスリヤーン皇帝に対して、玩具の兵隊でもつくる気か?とのヤジが飛ぶ」
 ただ、この中でサイ・シュレットだけはEMの有用性を的確に評価していた。ここにそのメモを記す。
 「戦車とは運用の理念が異なる。ゲリラ戦、電撃戦での活躍が伺える。目視での索敵が主流の戦場においては一考の価値あり。また、大規模な突然の奇襲においての対抗策としても実用性があるだろう。」翌年、サイ・シュレットの進言と軍部の見栄もあり、キルクル共和国は帝国から流れた資料を基に自国でのEMの開発に着手した。これがエルプタイプ、引いては臨時政府軍の基礎となる。
 ギルバルトが開戦派へと傾いたのは、この時期からだと言われる。事実、帝国の貿易はこの年を境にゆっくりと変化していた。その変化は秘密裏に進められており、それが判明したのは開戦から数年後のことだった。

[ルバプール歴1667年、帝国歴142年]

 昨年から初めての量産型EM、クーバニッカの大量生産を行ってきていたダスリヤーン帝国は、この年、「来るべき脅威」に備えるため、各地へと侵略(後の“大侵略”)を始めた。同年に帝国へと下った国は数十カ国に及ぶ。キルクル共和国もその例外ではなかった。首都を落とされた後、ほとんどが帝国の支配下へと置かれて政府は解体される。
 その主たる原因は、帝国の誇る陸海空の三大超兵器(ベヒモス・レヴィアタン・ジウ)はもちろんのこと、玩具の兵隊と揶揄されていたEMが、当時の主力である戦車部隊を圧倒していたということだ。女傑フェルネッサ将軍は語る。「当時は驚きだったね。ヘリを超える速度で戦車隊へと肉薄してそれぞれが一騎当千の活躍をしてくるのさ。地雷原を用意して、運よく爆発してくれるのを期待するか、見晴らしの良い戦場でしか勝ちようがなかったよ。」
 輝かしい功績を次々と上げるものの、帝国の新たに獲得した領の統治は杜撰であった。その多くは、貴族派が統治していたという。ダスリヤーン帝国キルクル領には、三大貴族のひとりエルツメフ・クオーツオニキスが就任。その圧政は他国にも漏れ伝えられた。

[ルバプール歴1668年、帝国歴143年]

 政府解体から1年、キルクル王室(とはいっても象徴的なもので、実権はなかった)のメリプシア・キルクル王女を掲げて首相代理(本人いわく、押し付けられた)のサイ・シュレットが臨時政府を立ち上げ、エルツメフへの反抗を声明した。この年、多くの反抗組織の声明が一斉に上がったことで、帝国は全て同時に対処する必要性が出た。
 EM専門の傭兵斡旋企業ティアマットによるEM派遣が本格的になったのもこの時である。ティアマット取締役のメシュギルは帝国の反抗組織と手を結び、この年からEM同士の戦闘が繰り広げられることとなった。これにより、戦線の動きが激しい戦争(帝国から見れば内紛)へと突入した。
 当初は余裕の表情をしていたエルツメフだが、戦況が悪くなることで顔色が悪化し、急遽他国で反抗組織の壊滅を果たした第三皇子ヴォルフ・ダスリヤーン少佐と彼の率いるヴァイス・フリューゲル部隊を呼び、臨時政府軍の壊滅を命じた。本来であれば、管轄の違うヴォルフを独断で呼ぶことは許されないことだが、当時の貴族派が牛耳る軍隊の中では、それが許される風潮だったようだ。
 なお、臨時政府軍とヴォルフとの交戦において、初めて“銀のEM”の確認がなされた。これは、EMに似ているというだけで、表面は液体金属に覆われ、瞬間移動を行うという企画外の性能を誇っており、全ての勢力に対して攻撃を行ったとされている。

[ルバプール歴1669年、帝国歴144年]

 この年、キルクル共和国臨時政府は首都アデニンの奪還を果たし、本土解放宣言を行った。これにより、ダスリヤーン帝国はゲリラとみなしていたキルクル共和国臨時政府軍への目の色が変わる。
 皇帝直属の親衛部隊“円卓の騎士”。その詳細は明らかとされないが、EM同士の戦闘においても一騎当千を誇るとされる精鋭の姿がキルクル内で確認されたのだ。
 それと同時に、“銀のEM”の出現頻度も高まり、突然出現した砂嵐により農村が消えるという異常気象も見受けられるようになった。
 また、首都奪還に際して行方をくらましたエルツメフは、キルクルの遺跡にあるサテライト・レーザーを用いて皇帝暗殺を企むも、臨時政府軍EM部隊と皇帝派のヴァイス・フリューゲル隊の両者によって阻止されている。これをきっかけに、皇帝派と貴族派の対立はより大きい物となった。

[ルバプール歴1700年、帝国歴145年]

 この年は、激動の年である。まず、長年をかけて貴族派を取り込み地盤を固めていたギルバルト皇帝は、この年、統治に失敗していた有力な貴族たちを名指しで非難し、彼らを処罰することにした。また、兼ねてから「来るべき脅威」と言っていたものが“銀のEM”や砂嵐による被害といったものであると伝え、抵抗組織に帝国への反抗を止め、「来るべき脅威」に立ち向かうための協力をするよう全世界へ放送した。
 これに激昂したエルツメフは、1500m級の超弩級移動要塞ベヒモス“ノーブル・エルツメフ”を起動させ、キルクル共和国臨時政府を壊滅させた後、帝国本土へ侵攻しようとする。
 しかし、臨時政府軍は3つに及ぶ防衛ラインを形成し、最終防衛ラインにて、“ノーブル・エルツメフ”を見事轟沈させた。
 ちょうどその時、世界各地では銀のEMが空から降り注ぎ、EMを持たない国々が滅亡する非常事態へと切り替わる。ダスリヤーン帝国の動きを静観していた国々は、突如自分たちが10分の間にその圧倒的な力によってねじ伏せられたことで、世界各国は混迷の一途を辿る。これを“恐怖の10分”と呼ぶ。
 また、ダスリヤーン帝国は、キルクル共和国臨時政府を新たにキルクル共和国として認める書状を送るも、臨時政府はこれを拒否。キルクル本土全てを解放するまでは交戦の構えを取る。その時のやりとりを記す。

帝国外交官「この非常事態に何を言う?!今こそ、脅威に立ち向かうべきではないか。」
サイ「脅威?我々には、あなたがたが脅威でしたよ。そして、あなたがたの膿取りだけに私たちの国が存在するわけではありません。」
サイ「キルクル共和国臨時政府の目的は、かつてのキルクル本土の解放です。それを成し遂げるまでは、我々はあくまで臨時政府としてあなた方に抗いますよ。」
帝国外交官「ふん、この非常事態に取れるものは取っておくということか。あさましい。よかろう。その言葉、後悔するなよ。」
サイ「望むところです。」