第四話

「おう、トウジ!元気か?」 ケンスケの明るい表情と対照的に、トウジの表情は冴えていなかった。 その事を怪訝に思ったケンスケが、彼を励ますために声をかける。 少し、項垂れていたトウジは、親友の登場に少しだけ表情を和らげたようだった。 「なんや、ケンスケか。脅かさんでくれ・・・」 その言葉とは裏腹に、驚きを一切見せないトウジに、ケンスケは不審な表情を見せた。 「・・・何かあったのか?トウジ」 「・・・・」 「・・・お、先生が来たから、理由は後で聞かせてくれよ」 トウジは授業中も、どこか上の空でボーとしていた。 ケンスケはいつもと違う彼の様子に首を傾げた ・・・いつもは机に突っ伏して眠っているのに、どうしたんだろ ケンスケ自身もそんなトウジが気になって、授業が耳に入らない。 二人が授業を聞いていないのはいつもの事ではあったが。 風があるだけマシと呼ぶべき、うだるような暑さが土のグラウンドを支配していた。 風がない日には殺人的な暑さとなるが、今日は山側から風が舞い降りていた。 「トウジ!朝から元気ないな」 体育の時間、50m走の順番待ちの中でケンスケはトウジに声をかけた。 義足のトウジは、走れるわけはなく、見学である。 ケンスケは、トウジの横に腰を下ろした。 声をかけられたトウジは、ゆっくりと振り返る。 トウジの言葉が紡ぎ出されるまでには、かなりの時間を必要とした。 「お前は・・知っとるんか?」 「え、何を?」 「・・・シンジの事や」 「え、アイツ何かあったのかい?」 ケンスケは、当然のように質問を投げかけたが、トウジの方はそれに答えるべきか、判断が着きかねている様子だった。 「・・・何があったんだよ」 「・・・イインチョから聞いたんやけど・・・」 「・・・何?」 「・・・アイツ死んだんやって・・・」 「・・・へっ?」 それを聞いたケンスケは、次第にその意味を理解したようだった。 彼は取り乱すこともなく、無言と無表情を作り出すことによって、その心情を表に示した。 むしろ、言ったトウジの方がやや取り乱していた。 「それは、本当か?」 「・・・イインチョは惣流から聞いたそうや・・・間違いないやろ」 「・・・・」 「・・・ワイが・・・変な事言うたから・・・」 「・・・・とりあえず後にしよう」 順番が回ってきたケンスケが、立ち上がってスタート位置へ向かう。 トウジは、その様子を眺めながら、目には虚ろな光を宿していた。
トウジ自身は、第三新東京市に帰るのは、まだ先でも良いと考えていた。 しかしながら、ヒカリは友人のことを心配し、出来るだけ早く帰ろうとしていた。 当然、ヒカリはトウジにもそうするように勧めた。 「イインチョの弁当が食べられなくなるから」 という、理由を付けてトウジも準備を進めていたが、その手は重かった。 彼の思考の大多数を、友人の死が支配していたからである。 ところが、彼はヒカリよりも早く、第三新東京市に来ることになってしまった。 それはそれで、ヒカリの弁当が食べられなくなることを意味していた。 そうなった理由は、突然だが、実に単純な物であったが。 「君の荷物が届くまで、しばらくここで暮らしてくれたまえ」 この暑い中で、背広を着込んだ数人の男達を、むしろ同情するような目でトウジは眺めた。 『警備上の問題』という説明で、トウジはここへ戻ってくることになったが、移動中、本人はその説明を脳内で反響させて首を傾げていた。 彼が自分の存在意義を過小評価していたからなのだが、それと共に黒服の男達への生理的な嫌悪感による物もあった。 しかし同時に、気になっていた親友の死をこの目で確かめることが出来る、という考えも浮かんでいた。 それらを複雑な表情に込めて、彼は男達の方へ振り返った。 「・・・すまへんな」 トウジの訪問を受けたミサトは、さして驚いた様子を見せなかった。 彼が街に来ることをあらかじめ報告書で知っていたからである。 一方、アスカは相当に驚いていた。 彼女がちょうど、遅めの朝のシャワーを浴びた直後だったからかもしれない。 アスカがシャワーを浴びた後にバスタオル一枚の格好で出てくるのは、いつもの事だった。 「久々の挨拶がビンタとは・・・相変わらずきついのう」 「アンタが急にやって来るからでしょ!」 「まあまあ、アスカ。彼も困っているでしょ」 「だいたい、ミサトもアタシがシャワー浴びているの知ってたでしょ!」 「もちろん」 悪童のような表情でミサトが言い放つ。 アスカは、継ぐ言葉を巧妙に封じ込められたため、矛先を再びトウジに向けた。 「だいたい、アンタが何でここに居るのよ!」 「・・・それはあんまりやで」 「ヒカリはどうしたのよ!あっちでもヒカリを困らせてたんでしょ!」 「うっ・・・」 言い合いの始まった二人を前に、ミサトは少しだけ表情を緩めた。 アスカがこれほどの大声を出すのを久々に聞いたからだった。 怒っている時ほど生き生きとしている様に見えるのは、彼女の天性であるようだ。 ミサトは、その騒音地帯をそのままにして、出掛ける用意をするために立ち上がった。 レイも無言でそれに倣う。 久々に顔を見せに行くのだ。 その準備に、多大な時間を要する事は解っていた。 強烈な日差しの中にその場所はある。 無数の十字架が立てられたその土地は、一種独特の空気を漂わせて訪問者達を出迎えた。 丘のようになっている土地であるのに、吹き込む風は僅かであり、そのよどんだ空気は訪問者の心の中にまで侵入を果たすのだ。 「ここがそう・・・」 ミサトの説明を聞いたトウジは、目の前の十字架を見つめて停止した。 トウジはそれを見て口を開いたが、口の中が乾燥するような感覚を覚えるだけで、何も言うことが出来なかった。 その役目を放棄した彼の口に対して、呼吸という必要最低限の事を実行させるだけでも、甚だ労力を要した。 同時に、体の芯から溢れ出た熱い流れが、彼の思考と彼の涙腺に達した。 「っく・・・」 トウジの脳細胞は、時間的には短いが、極めて密度の高い記憶を蘇らせて、彼を苦しませた。 肩を震わせるトウジを見ていたアスカは、この場所でなければ何か言葉を掛けられたかもしれない。 しかし、彼女自身も、それを実行するだけの心の余裕を生み出すことは出来なかった。 その光景を後ろの方から眺めることによって、辛くも自分を維持していたのだ。 ミサトは、トウジを見続けることが罪になるような気がして、横にいるレイの方へ視線を移した。 レイは無表情とも取れるような、冷たい表情をして、シンジの名が刻まれた十字架を見つめている。 レイが立っている場所の横には、別の十字架があった。 「碇ユイ・・・」 ミサトは、ゲンドウが示したその僅かな想いやりが、もう少し早く示されていれば、どれほど少年が喜んだかを思って沈痛な気分になった。 ミサトは、シンジがここに埋められたわけでは無い事を、彼女の親友から聞いて知っていた。 シンジの体の特殊性を考えれば当然であった。 それを踏まえれば、シンジの体がどこにあるかについても、推測は容易であった。 リツコはその事について、首を振るだけで何も語ろうとはしない。 マヤも同様であった。 ミサトは、せめて死んだ後ぐらいは静かに出来ない物かと考えて、再び不機嫌になった。 彼を最初に巻き込んだのはミサトなのである。 そこに理由が存在しても、事実は彼女を苦しめ続けるのだった。 「行きましょう・・・雨が降りそうだわ」 いつの間にか、空には厚い雲が張り出していた。 灰色を通り越して紺色に近い雲は、空をまるで夜のように変化させていた。 最後まで十字架を見つめ続けていたトウジは、彼の言いたい事の1%にも満たないが、それでも重い質量を内在させた言葉を紡ぎだした。 「シンジ・・・すまん」 奇妙な思考がシンジをとらえていた。 トウジの思い詰めた表情。 うつむいて何かを噛み殺しているかのようなアスカの表情。 レイの何も伺うことが出来ない表情。 憂いを多分に帯びたミサトの表情。 四者四様の悲しさを見たシンジは、全ての感覚が、悪寒にも似た冷気に支配されるのを感じていた。 今の自分の顔色は、目の前にいるトウジと同じぐらい悪いに違いない。 シンジはそこまで考えて、幽霊の顔色というのもおかしな話だと思った。 一方のトウジは最後までその場で思い詰めた表情のままであったが、ミサトに促されると重い足取りで帰っていった。 「・・・ごめん」 シンジもトウジと同じ様な言葉を絞り出すのが精一杯であった。
「目標確認」 「行くぞ!」 物陰から男達が飛び出して、早足で、だが足音を立てないように移動する。 目標との距離を詰めながら、彼らは懐から銃を取り出した。 彼らの姿は昼間なら目立ったであろうが、今は夜である。 それに、駅前にも関わらず、人通りは少なかった。 目標を挟んで反対側からライトバンがゆっくりと動き出す。 特徴に乏しいそのライトバンのドアが開いた。 「・・・三人」 冬月はつぶやくと同時に左右に視線を走らせた。 周りに人はいない。 後ろの三人と、目の前のライトバンの中の数人以外には。 彼はさり気なく背広の内側に手を入れた。 だが、彼がそこから手を出す前に後ろから刺すような衝撃が襲った。 『バシュ』 その音と同時に、冬月の意識は急速に霧で覆われていった。 彼の意識は、ライトバンに連れ込もうとする数人の男達をとらえると同時に途絶えた。 「・・・なるほど。状況は解った」 「パイロットの警護に人を回しすぎましたか・・・」 「いや、どうせ全てが万全というわけには行かぬ物だ」 執務室で報告を聞いたゲンドウは、書類をめくる手を止めて、報告するミサトを見た。 それは、見ると言うよりも、睨み付けるという表現の方がより適切であった。 彼が思考作業に入るときはいつもそうであるように、ゲンドウは手を顔の前で組んだ。 「・・・会議を開く」 久々に作戦会議室が使用されることになったが、報告を聞くゲンドウの隣には冬月の姿はなかった。 会議の議題もそれに関することである。 詳細な事実関係の報告が終わると、推測が主体となった意見交換が成される。 ゲンドウは、それを聞いているようでもあり、聞いていないようでもあった。 「犯人は・・・政府?ゼーレの残党?・・・敵が多すぎるのは困り物ね」 「犯人は政府と見るのが妥当でしょうね。それ以外ならもっと直接的手段に訴えるでしょうから」 「だとすると、狙いは・・・現在の研究状況の聞き出し。と言ったところね」 「なら、私を狙えばいいでしょうに」 「あなたを誘拐したら研究がストップすると思ったんでしょ」 「まだ資料の整理段階だから、私の出番はまだよ」 資料の整理など、MAGIの力を持ってすれば、そう時間のかかることではない。 実際には既に研究は始めているのだ。 だが表向きは、まだと言うことに成っている。 その事情を知ってか知らずか、ミサトは納得していないような返事を返した。 「もう一つ目的があるとしたら、警告の意味合いもあるでしょうね」 「・・・・効果があるかどうかはともかくね」 「それにしても何故、副司令を狙ったんでしょう・・・」 「・・・これと言って理由は見あたらないわねえ。だとすると、重要人物であれば誰でも良かったのかもしれないわ」 「すると、警告的意味合いが強いわけだ・・・あるいは人質か・・・」 そこまで黙っていたゲンドウがようやく口を開いた。 「葛城三佐。反応が最後に消えた地点を中心に調査を始めてくれ」 「はい。解りました」 「各人も身辺には用心しておいてくれ」 ゲンドウがそう会議を締めくくった。 「おはようございます」 冬月にとって、他人に起こされるのは久しぶりであった。 かといって、感慨に浸るには、やや目覚めが悪かったが。 冬月は、今置かれている状況を思い出したが、 それによって取り乱したりすることは無かった。 部屋の入り口で彼を起こしたのは、型どおりの服を着込んだメイドだった。 「・・・ふむ、今何時かね」 「もう表は朝でございます。朝食をお召し上がりになりますか?」 「そうする。それよりも、まず着替えさせてくれ」 「それでしたら、右のワードローブに、お召し替えがございます。ご利用下さい」 そう言われて冬月は辺りを見回した。 そこはなかなかに広い部屋であり、整頓された部屋であった。 捕虜に使わせるのはもったい無いであろう。 だとすると、客人として扱われているのだろうか。 部屋に窓が無いのは、逃げられるのを防ぐためか、 あるいはここが地下だからなのか、外見からは判断が付かない。 その両方である可能性は高かったが・・・ いつの間にか居なくなったメイドの服装、部屋の大きさ、 調度品から導き出される結論は、ここが大きな屋敷であろうという推測だけであった。 着替え終わった冬月は、とりあえずドアを開けて廊下に出た。 長く直線上に延びた廊下と、幾つかの部屋、廊下の突き当たりには階段が見えた。 廊下には見張りは居ない。 小型カメラで監視しているのだろう。 「やはり地下だな」 彼は導き出した結論に従って、突き当たりの階段を上った。 ミサトは駅前に来ていた。 地面に血痕などはない。 その事から、誘拐されたと見るのが妥当であった。 冬月が残した手がかりは幾つかあったが、 最も大きな物は緊急発信信号だった。 冬月が携帯していた小型発信器が誘拐されてからの足取りを伝えていたからだ。 「とりあえず、反応が消えた場所まで行ってみましょう」 車で移動すること30分ほど行った山道で信号は途絶えていた。 マコトは車から降りて、草むらを見て回っていた。 おそらく大人数で移動したはずであるから、その足跡を見つけるのは容易である。 とりあえず、この仕事を諜報部員に任せて、マコトとミサトは車内に戻った。 「で、この辺りの地図ですが」 マコトは車内コンピューターに付近の地図を写し出した。 だが、情報量は少ない。 つまり、山と道以外何もないのだ。 「・・・地図に載ってない可能性もあるわね」 「・・・これが付近の衛星写真です・・・・何もありませんね」 「何も写ってないけど、何も無いかどうかは解らないわ」 「・・・そうですね」 「赤外線は?」 「え〜と・・・これです」 「・・・・困ったわね」 マコトの見上げる先には、職務に忠実な顔を見せたミサトがいた。 彼女も久々の仕事だけに気合いが入っているようだ。 その顔が、不敵な色彩を含んでいるのは、彼女の特質と言うべきであった。 もっとも、こういった仕事は、本来諜報部で行うべき物なのだが、 戦争の時代には軍人が、平和な時代にはスパイが活躍するわけで、 今一番忙しい諜報部に代わって、今一番暇な作戦部が陣頭指揮を執っているわけである。 「地下の様子も調べられるように現在手配してますが、 衛星がこの上空を通過するのは約一週間後になります」 「・・・・・」 「ただ、それで見つかるという保証はありませんしね」 「・・・遠くへ行ったという可能性は?」 「山道は一本ですからね。諜報部がすぐに気付いて各道路を、チェックしてますが、 引っかかっていないところを見ると、この山間部一帯のどこかでしょう」 「・・・それでも広いわね」 その時、車のドアが開いて数名の諜報部員が戻ってきた。 その様子からして、収穫が無かったことが見て取れる。 唯一、彼らが見つけたのは、踏みつぶされた後捨てられたと思われるペンであった。 このペンが発信器になっていたのである。 「だとすると、途中で気付かれたということですね」 「・・・やっかいね」 「どうします?一週間待ちますか?」 マコトの問いに、ミサトは首を傾げた。 「残念だけど、一週間も待てるほど私は気が長くないの」 ミサトは、彼女独特の不敵な笑みを浮かべた。
彼に対する待遇は最高級の部類に属すると思われた。 外出が認められないことを除けば。 冬月は目の前に並べられた料理を見て、やや大きな溜息をついた。 朝食にしては、やや量が多かった。 テーブルを挟んで反対側にいる人物は、出された料理を美味しそうに食べている。 やや、薄汚れた感じのする男だったが、言葉遣いは丁寧であった。 「冬月先生。私が先生に望むのは、幾ばくかの質問に対する、 僅かばかりの回答だけなのです」 彼の自己紹介と、宣告、説得、要求を兼ねた言葉に、冬月は苦笑いを返すしかなかった。 まだ、彼が持っている台本の中身は解らない。 第一、その質問さえ解っていない状況なのである。 彼は攻勢に出ることにした。 「で、その質問とは何かね?」 やや唐突だったかと、冬月は相手の顔を見たが、 男は動じる風でもなく、珈琲を飲んだ。 「そう急ぐ必要はありませんよ、先生。 私の質問は先生の仕事に関することでは無いのです。先生の生活に関することなのです」 「生活?」 「ええ、例えば・・・先生の好みであるとか、 いつ頃に仕事場へお出かけになるかとか」 「・・・そんなことを聞いてどうするのかね」 「それは、お答えするわけにはいきませんが、 先生に害を及ぼす物ではないという事は保証しましょう」 「・・・ふむ」 「あとで、質問をまとめて紙にして、届けさせましょう」 冬月は珈琲を飲みながら、男の表情を追ったが、その真意を測り知ることは出来なかった。 冬月の謎は更にその深さを増した。 ただ一つ判明したことは、その謎が解消されるのが、 当分先のことになるであろうという事だけであった。 つづく

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