第参話

「・・・報告は以上です」

マヤの報告は概要のみであったにも関わらず、かなりの長さに達した。
その間冬月は、報告書とマヤの顔の間で、視線を往復させていたが、ゲンドウの方は報告書を見ているだけであり、報告の声を聞いているのか、外見からは判断が付かなかった。

「データバンクが残っていたのは助かったが、状況は厳しいな」
「ああ・・」

ゲンドウの声はいつもよりも、ややこもって聞こえた。

「とりあえず、機材はほとんど無傷のようだ。何とかなるだろう」
「何とかしなくてはいかん」
「それから・・・サンプルが3体しか無いというのは話が違うようだが」
「・・・データバンクを調べれば解るだろう」
「ふむ・・・まずはデータか・・・
・・・伊吹君、取り合えずその方向で準備を進めてくれ」
「はい、解りました。では、失礼します」

マヤが出ていった扉を見ながら、冬月は普段よりも少し重い微笑みを浮かべた。

「ま、何事も予定通りには行かない物だ」
「修正がきけば差し当たって問題ない」
「ふむ、そういうことだな」

相変わらずゲンドウの視線は報告書に固定したままであり、その声のみが冬月へと向けられていた。

「ところで、ドイツが月ロケットを計画しているという話を聞いたが・・・」
「・・・どうせ無駄だ。ATフィールドは未だ健在だからな。初号機以外に突破できる物はない」
「ふむ、確かに」

冬月は納得すると、報告書に視線を戻した。
そして、それに添えられているディスクを端末にセットする。

「これか・・・」

映し出された映像を見るために、ゲンドウの視線が初めて報告書を離れた。









「ほお、二ヶ月先だとぬかしていたのにな」
「ま、好意的に見れば、勤勉な姿勢と取れますが」
「逆に見れば、フライングだ。秘密裏に何かやらかすんじゃないのか」

男はボトルとグラスをテーブルに並べて、ソファーに座り込む。
もう一人はそれを受け取って、やや赤みがかった液体を二つのグラスにそそぎ込んだ。

「実行を早めますか」
「今回は予定外だ。だが、大した事では無かろう」
「では、予定通りに」
「そうしてくれ」

グラスが氷と接触する音が響く。
その氷が、芸術的な色彩の光を反射させて、テーブルに光の模様を作り出した。

「ところで、白鳥が頷いたようですね」
「ああ、奴もこれ以上の介入は受けたくない様子だったがな」
「これから忙しいでしょうな」
「ああ、これでロシアが静かになればいいがな」

それが合図であったかのように、二人は無言で立ち上がると、
一人は扉へ向かった。

「では、何かあったら、またお会いしましょう」
「・・・何も無いことを祈るよ」












「・・・でね、アスカ」
「何、ヒカリ?」

ヒカリが病室を訪れた事で、灰色だった世界にようやく色彩感が戻ってきた。
日曜日ということで、アスカの病室にヒカリが見舞いに来たのだ。

「で、荷ほどきしていなかった物も多いから。そんなに苦労はしないと思うけど」
「ふ〜ん、じゃあ出来るだけ早く帰ってきてよね」

それはアスカの切ない願いであるようだ。
孤独は今のアスカにとって辛すぎた。
ヒカリにもそれは解った。
だが、その影はヒカリ一人で補いの付く物なのではない。
もしかしたら、誰にも出来ないのではないかと思われた。
ヒカリにはそれが解る。
解るからこそ、彼女は精一杯明るく振る舞っていたのだ。
少しでもその影を照らせるようにと。

「じゃあ、そろそろ帰らないと・・・・」
「え〜、もうそんな時間?」

出来るだけ明るくヒカリは振る舞った。
アスカも表面上明るく応えた。
さすがに、一日中話し込んでいたので、ヒカリは疲れたが、
アスカの方は名残惜しげに手を振った。

「じゃあ、戻ってきたら連絡するから」
「電話してね、その時は、他分退院してるから」
「解った、じゃあね〜」

手を振る二人は表面上、明るく振る舞っている。
だが、ヒカリがドアから廊下に出たとき、
一瞬だけアスカの表情が悲しい物になったのを、ヒカリは見逃さなかった。

「アスカ・・・元気だして」

そのつぶやきは病室のドアに当たって、虚しく四散した。






『ロンドンで開かれている包括的和平会議は、大詰めを迎え、ロシア代表も議会選挙に対して理解を示した模様です。

これによって、暴動にまで発展したロシア国内の混乱は、平和的な収拾の目処がついたと言えそうです。次に・・・』


テレビから流れてくる声が、ミサトの鼓膜を刺激している。
しかし、それが意識に届いているかどうかは疑問であった。
ただ、テレビの画面を眺めているだけである。

彼女は、疲れている訳ではなかった。
戦争は終わり、彼女の役割はほとんど無くなったと言って良い。
このところ、夜勤も少なくなった。
しかし、精神的な疲労感は日に日に巨大化していっているようだ。

「はぁ・・・」

何度目かの溜息に、その疲労感は現れていた。
彼女は胸のペンダントをもてあそびながら、テレビのチャンネルを次々に変える。
最近、テレビのリモコンは、超過勤務を余儀なくされているようだった。

「さて、明日はアスカも帰ってくるし・・・さっさと寝ますか」

ミサトは最近独り言をいう事が多くなっていた。
本人もそれに気付いている。

・・・誰に聞いて欲しいのだろうか

そう考えて彼女はやや不機嫌になる。
自分の心が直線状に延びていない事に気付くからだ。
それが、回り道を形成して、自分を惑わせているのではないかと。

それが正しいかどうかは解らない。
だが少なくとも、発せられた言葉とは裏腹に、彼女が眠ることが出来たのはかなり遅い時間だった。







シンジは夜になると公園でブランコを蹴り飛ばしている。
その光景は非常に滑稽に見えるのだが、今のところ、この光景を目撃しているのは加持のみであった。

「シンジ君、そう焦っても旨くいかないよ」

加持はシンジに声をかける。
確かにシンジはやや焦っていた。焦るに値する目的があるからだ。
この練習は毎晩行われていた。
その成果の現れか、風が吹く程度に揺らすことが出来るように成っていた。
しかし、練習を続けていると集中力が落ちてくるのか、次第に揺れが小さくなる。
シンジにとって、このような存在になっても疲労を感じるというのは驚きだった。

「ふぅ・・」

加持の横に座り込んで一息ついたシンジは、芝生の上に寝転がった。
隣で少し微笑んだ加持も、同じように寝転がる。

しばらく静寂に支配された風が流れた。
静寂を破ったのは加持だった。

「なあシンジ君。俺以外で誰かに会ったことあるかい?」
「え?」
「いや、俺とシンジ君だけっていうのもおかしな話だろ」
「ええ・・・それらしい人を見かけたことはあります」

『人』という表現にやや苦笑した加持は、その笑みを保ったまま体を起こした。

「じゃあ、俺の目の前に居る人に会った事はあるかい?」
「え?」

シンジは体を起こして、辺りを見回した。しかしそれらしい人は見えない。

「え、どこです?加持さん」
「ほら、そこだよ。良く見てみな」

シンジは加持が顎で指し示した方向をじっと凝視した。
するとぼんやりと人影が見えてくる。

「・・・・」

シンジの目の前に立っている老人は、記憶にない容姿を所有していた。
突然現れたその老人に驚きながらも、シンジは首を振った。

「いえ・・・初めてです」
「そうか」

そう言って、加持は立ち上がった。
シンジも、老人を見ながら立ち上がる。

「僕は会ったことがあるつもりだが。シンジ君」
「え、そ、そうですか。すいません」
「いやいや、覚えていないならしょうがないよ」

そう言って、やや笑った老人の表情に、シンジは少し首を傾げた。
どこかで見たような笑いだったからだ。
老人はシンジの横を通り過ぎるとブランコの方向へ歩いていった。
つられてシンジも付いていく。

老人はブランコの鎖をつかむと、シンジの方を向いた。
そして、先ほどと同じ様な笑みを浮かべると、ブランコを揺らした。

「え・・・・」
「ま、こんなのはコツだ。コツをつかめば、それ程集中しなくても出来る」

ギシギシと鎖を擦れ合わせて揺れるブランコに、シンジはやや唖然としていた。
老人はそれを見て更に笑うと、今度は地面にあった、こぶし大の石を持ち上げた。
そして、それをシンジに投げてよこす。

「ほい」
「うっ」

シンジは反射的にそれを受け取ろうとしたが、石は軌道を変えただけで、地面に落ちてしまった。

「ま、今日の所は家に帰って子守歌でも歌えばいい。歌は全てを語ってくれる。
それに焦っても身に付く物では無いよ・・・身は元々無いか」
「はあ」

再び笑った老人に、シンジは呆気にとられた返事を返した。
それを聞いて更に笑った老人は、姿が揺らいだかと思うと、途端に消えて見えなくなった。

「あ・・・」

唖然としていた、シンジが周りを見回すと、すぐ後ろに加持が居た。
加持は、少しだけ驚いていたようだったが、それ以上に、彼独特の表情によって覆い隠されていて、シンジにはそれを伺い知ることは出来なかった。

「さて、シンジ君も子守歌を歌いに行くかい。君の家族が待っているよ」










アスカが退院する事になった。
ミサトの表情は、久々の明るさを取り戻していた。
それだけに、大きく残った影が目立つのだが、少なくとも、アスカの退院自体は喜ばしいことであった。

「ちょっとミサト。病人が居るんだから、もう少し優しくしてくれない」
「良いじゃないアスカ。ちょっとぐらい」
「レイも何か言ってやりな・・・ぅぐえ」

例によって、本人に表現させるところの芸術的な運転が展開されていた。
助手席に座ったアスカは、その選択を大いに後悔していた。
一方後部座席のレイは、振られないようにつかまって、歯を食いしばっていた。
賢明な判断と言える。
話しながら後ろを振り返ったアスカの方は、舌を噛んだからだ。




「ここのところ病院ばかりだったものねえ」
「そうよねえ、久々に帰ってきたって感じがするわ」

レイが用意した料理は、時間がなかったため量は少なかったが、アスカが腕に包帯をしたままだったので、夕食に要した時間はいつもより多かった。

「おかえり。アスカ」
「・・・ただいま」

先ほども交わした儀礼を再び行ったアスカは、照れ隠しのためか、紅茶を一気に飲み干した。
ミサトがそれを見て微笑む。

「ミサトはどうなの?相変わらず仕事忙しいの?」
「う〜ん、平和になったからねえ、仕事は少なくなったわ」
「ふ〜ん、平和ねえ・・・もう、私は用済みよね」

アスカが自嘲的な微笑みを浮かべ、立ちあがってもう一杯紅茶を入れる。

「ドイツに帰ることになるのかしら・・・」
「・・・そうは成らないでしょうね。当分・・・」

アスカは少し驚いて、手に紅茶をこぼしそうになった。
レイが無言でアスカの注意を促し、事なきを得る。

「どういう事?ミサトが居て欲しいっていうなら、別に居ても構わないけど・・・」
「それも多少はあるかもしれないけど、それよりもあなたの安全を考えての事よ」
「・・・・なるほどね」
「で、アタシの新たな職務が、あなた達を守る事ってわけよ」

最強の兵器のパイロット。しかも今のところ世界に三人しか居ないのである。
平和になった今では、逆に今まで以上に危険が及ぶ可能性があると言えた。
この場に居ないトウジの護衛も、増強されている。
「・・・しょうがないわね。しばらくこの街に住んであげるわよ」
「ふふ、そうしてくれると助かるわ」

ミサトの手に握られたビールの缶が空になり、それを合図に三人は立ち上がった。
久々の三人での会話は、それなりに楽しい物だった。
しかし、一人が欠けていることの寂しさを、同時に感じさせるに足る物でもあった。

その事をアスカはベッドの上に寝転びながら思い返す。
すると、昔の光景が同時に思い出されてきた。

「バカ・・・」





目の前で疲れて眠ってしまった少女をシンジは見つめていた。

「ごめん・・・」

その言葉は空気を震わせるに至らない。
言葉が届くという事がいかに素晴らしい事か、シンジは痛烈に感じていた。
それでも、彼は子守歌を歌い続けた。

『霧が白く閃いて、魔王が見えると君は言う
見てごらん、空にきらめく星々が
ずっと君のことを、見守ってくれるよ
愛しく美しい子よ、おやすみ


風が木の葉を揺らし、魔王が誘うと君は言う
聞いてごらん、春の風はこんなにも麗らかで
小川の流れが、子守歌を歌ってくれるよ
優しく清らかな子よ、おやすみ


冷たい露が頬に触れ、魔王がさらうと君は言う
触ってごらん、五月がくれた美しい花々が
優しく君を、包み込んでくれるよ
愛する可愛い子よ、おやすみ』

シンジは、最後にアスカの頬に残った涙の跡に手を触れた。
そして、優しく拭う。
アスカの表情が少しだけ穏やかになったように感じられた。

「・・・おやすみ」










「船津三佐だ。よろしく」

ネルフの立場は非常に複雑であった。
ゼーレに丸め込まれる前に、日本政府を味方に付けたのはよいが、その関係は実に奇妙な関係であった。
一応、ネルフは国連の一組織である。
一つの国だけから協力を受けたり、あるいは協力したりする事は問題があった。
それが解っているからこそ、ゲンドウは新技術の引き渡しを餌に丸め込んだのである。
彼は、その約束を実現させる気を、1rも持ち合わせていなかった。

ところが、日本政府はゲンドウが考えるより遙かに老獪であった。
まず、アメリカに対して、暴走したアメリカ軍の一部が日本を攻撃したことへの賠償を求めた。
これは正当な要求であったため、アメリカもこれを飲んだ。
そして、得た資金をネルフに投入したのである。

ゼーレと対立したために、アメリカやドイツから資金が入らなくなったネルフを、いわば買収したのであった。
当然、その見返りが日本に落ちることを認めさせるための資金投下であった。


「おかげで、彼のような観光客を受け入れねばならん」

冬月のやや忌々しげな説明を聞いて、ミサトはその観光客の方を振り返った。
船津三佐は案内を押しつけられたシゲルと共に、ケージの下で初号機の整備を眺めていた。

「日本政府の特使にしては、ずいぶんと若い連中を連れていますね」

マコトも遠巻きに彼らの様子を見ている。
観光客にしてはずいぶんと熱心で、さかんにメモを取っている。
彼らの撮影を禁止しなければ、まだ観光客らしく見えたかもしれない。

「ふむ、きっと、戦自の技術部から来た連中だろう。見た程度で解るぐらいに我々の技術は幼稚ではないよ」
「そうですね」
「しかし、そういう連中を連れてきたということは・・・」
「将来、取って代わってやろうという魂胆だろうな。出来るかどうかはともかく・・・」


日本政府が次に打った手はネルフの非武装化であった。
しかし、肝心のエヴァは月へ行くために必要であるという理由により、ネルフの手に残ってる。
結局、表の兵装ビルを取り壊した程度であった。
更に、ネルフを純粋な研究機関とするために、国連大学との統合を提案した。
旧東京が放棄されて以来、国連大学は消滅したままであったが、これをネルフと統合化して復活させようと言うのである。
しかし、学者が日本に集まりすぎることを恐れた各国によって、反対されてしまった。

冬月の方はこれには好意的であった。

「久々に先生と呼ばれるのも悪くないな」

もっとも、リツコやマヤは甚だ非好意的であった。

「出来の悪い助手はいらないわ」
「そうですよね。私が精一杯お手伝いします」

シゲルはそのやり取りを聞きながら、一言嘆いた。
賢明な発言とは言えなかったが。

「変人がこれ以上増えると、俺みたいな常識人が困るよ。なあマコト」

同意を求められたマコトは、やや困ったような表情を浮かべながら、立ち上がった。

「なに、あれほどの人間はそう居るものじゃないよ。じゃ、少し失礼する」
「おい、どこ行くんだ・・・」
「・・・誰が変人ですって?青葉さん」
「あ、マヤちゃん・・・いや、その・・・」

結局、シゲルはその発言の報いとして、観光客の案内を押しつけられたのであった。
人体実験の被験者にされなかっただけマシだ、とは逃走に成功したマコトの言葉である。


そのシゲルは、観光客の質問の嵐を浴び、疲れ切って戻ってきた。

「はぁ、疲れた」
「ご苦労。なかなか似合ってたぞ」

もっとも、質問のほとんどは技術的な物であり、シゲルは困惑するだけで、実際に答えていたのはリツコだった。

「お疲れさま、先輩」
「ありがと。さすがに疲れたわ」

体調が万全とは言えないだけに、その疲労感はシゲルのそれより深刻であった。
しかし、彼女は珈琲を飲むと、再び立ち上がって研究室に向かう。
マヤもそれを無言で追った。

その後ろ姿を追っていた冬月が、隣で珈琲をすすっているゲンドウに声をかけた。

「おい、碇。いいのか?」
「・・・・」
「そのうち倒れるかもしれんぞ」
「・・・困る」
「・・・ならば、何か手を打ったらどうだ」
「・・・・・考えておく」

ゲンドウは体勢の不利を悟ったのか、突然立ち上がって、執務室へ向かった。
冬月は、その背中に向かって、溜息を投げつけた。

「・・・・碇・・・飲み残すなよ」







つづく






You can write a mail to me.

Return