なんだか非科学的な話になってきたなあ
第弐話
少年の視界を埋めていた光が、姿形を形成しはじめた。
その形はやがて田園的な風景を映し出す。
・・・ここはどこかな
周りには幾つかの家が点在していたが、それらは個性的な形状を持っていた。
少年の目にはそう映った。
もっとも、それらは少年が知らない旧時代的な形状を成していたに過ぎないが・・・
・・・とりあえず・・・人をさがそう
全く人が見あたらない状況に少年は不安を感じた。
あてもなく彷徨う少年を、暖かい風が撫でては去っていく。
小鳥の歌に誘われるように、いつの間にか少年は丘の上に立っていた。
「すごいや」
思わず少年は感嘆の声を上げた。
周りを見渡すと、それは緑の自然に溢れた世界だった。
遠くの山々が、やや青みを帯びて見える。
「シンジ君じゃないか。どうしたんだい?」
ハッとして上を見上げるとそこには、木の上に登った少年が居た。
「あ、ああ、か、カヲル君・・・」
そう呼ばれた少年は、その独特の髪をなびかせてシンジの前に飛び降りた。
「か、カヲル君なの?」
「そうだよ、どうしたんだい?シンジ君」
「ど、どうしてこんな所に居るの?」
そう言われたカヲルはやや苦笑すると、
今まで登っていた菩提樹の根本に腰を下ろした。
シンジもそれにつられて横に座る。
「カヲル君?」
「ああ、シンジ君。ここがどこだか知っているかい?」
問われたシンジは首を横に振った。
彼にはまるで見当もつかない。
カヲルは、一度見たら忘れられないような、その笑みを崩さなかった。
「ここはね、解りやすく言えば精神の魂の世界だよ」
「は?」
「あ、全然解ってないね?」
さも面白そうに笑ったカヲルは、
今の心境を端的に顔に表しているシンジに対して、言葉を続けた。
「ここはね、肉体を離れた魂が出す互いの精神波が、影響しあって出来た世界さ」
「ふ〜ん」
「ハイパーボーリアンの世界だとか言われているけどね」
「・・・・」
「僕たちが人間たるゆえんは、自由にこの存在に成れるからなんだ。
アーリアンは死なない限り成ることが出来ない」
「・・・カヲル君・・・さっぱり解らないよ」
「ははは・・まあ、いいよ。見た物が全てだからね」
またも笑うカヲルにシンジはやや不機嫌な表情をした。
「でも、シンジ君。君の魂にはまだ力があるだろう?」
「・・・力?」
「そう、君の力を必要としている人はまだ居るはずだよ。ほら」
そう言って、カヲルは近くにあった水たまりを指差した。
その水たまりには、シンジの良く見知った家族が映し出されている。
「・・・綾波・・」
カヲルはその優しい視線でシンジを見つめると、
木に立てかけてあった琴を奏で始めた。
「じゃあ頑張ってね。シンジ君」
「え、うん」
その流れる旋律と共に世界が徐々に揺らぎはじめた。
「あとで、僕も行くことにするよ」
カヲルの最後の言葉と共に、シンジの視界は暗い世界へと切り替わった。
◆
窓から流れ込む風が、彼女の髪をさらいながら病室内に流れ込む。
アスカは朝からずっと外を眺めていた。
今はひたすら風を浴び続けたい心境だった。
そうすることで心の空白を埋められるかのように。
時折風が止む瞬間がアスカを不安に落とし込む。
昼はまだ良かった。
夜になると、自分が一人である事にたまらない不安感を覚えるのだった。
『RRRRR』
電話の呼び出し音が鳴って、アスカはやや眉をしかめた後、受話器を取った。
「はい」
『あ、アスカ?私、ヒカリよ』
「あ、ヒカリ?」
『あ、良かった。やっとつながったわ。病院だって事知らなかったから苦労したわ』
アスカはしばらくぶりに聞く親友の声に、思考の回復がやや遅れた。
ようやく状況を飲み込むと、途端に元気な声に変わる。
「あ、ごめんごめん。元気してる、ヒカリ?」
『こっちは元気だけど、アスカの方はどうなの?
病院だから元気って事はないだろうけど・・・』
「大丈夫よ。これくらいどうって事無いわ」
『ホント?・・まあいいわ。それより碇くんと綾波さんはどうしてる?』
「・・・・」
アスカは自分の鼓動が急に早くなったことに気付かなかった。
それ以上に、彼女が言葉を紡ぎ出すのに、
精神力の大多数を動員せねばならなかったからだ。
「・・・レイは元気よ・・・少し落ち込んでるけど・・・
・・・シンジは・・・あのバカは死んじゃったわ」
『え・・・』
一瞬にして重苦しい空気が辺りを支配した。
それは、窓から流れ込んでくる風だけで振り払える物ではなかった。
『ごめんなさい・・・アスカも落ち込んでるんでしょ』
「・・・いい・・知らなかったんだし」
ヒカリはしばらく沈黙した後、
雰囲気を変えようと別の話題に切り替えた。
『ねえ、アスカ。そっちの様子はどうなの?』
「・・・別に平和そのものよ。ちょっと工事の音がうるさいけどね」
実際には病室内に響いてくる音は限られている。
風の音とセミの声が主なのだが、彼女にとっては工事の音でも構わなかった。
沈黙よりは遙かにましだったからだ。
『じゃあ、今度お見舞い行っても良いかな』
「うん、良いけど・・・後一週間もしたら退院してるかもしれないわよ」
『そう、じゃあ今週中に行くから。色々お話ししましょう』
その申し出は有り難い物だった。
ともすれば、沈黙に押し潰されてしまいそうな心境だったからだ。
「わかったわ。で、いつ頃こっちに戻ってくるの?」
『そっちの学校が再開されるのが確か二週間後でしょ。それまでには帰ると思うけど』
「うん、じゃあ、お見舞い楽しみにしてるね。ヒカリ」
『じゃアスカも元気にしててね』
名残惜しげに電話を切ったアスカは重い溜息を吐き出した。
「平和か・・・」
誰に向けて声を掛けるわけでもなく、アスカは窓の外を眺めた。
「・・・嵐が去ると自分の惨めさが解るのね」
嘆きの要素を含んだアスカの独り言が、窓の外に向かって飛び去っていった。
◆
「ミサトさん・・・」
シンジの視界には、ベッドに倒れ込むようにして眠ったミサトの姿があった。
シンジの目にもミサトが疲れていることが解った。
同時にその原因が自分にあることも。
シンジはミサトに毛布を掛けてやろうと手を伸ばしたが、
彼の手は毛布をすり抜けて宙をさまよった。
何度となく試してみたが結果は同じだった。
「ミサトさん!」
何度となく声を上げてみたが、それも聞こえていないようだった。
「何とかしないと・・・」
しかし、何もできない状況にあることはシンジにも解っていた。
ふらつくようにミサトの部屋を出ようとして、戸に手を掛けたシンジだったが、
少しうな垂れるようにして戸をすり抜けていった。
シンジはレイの部屋にいた。
レイの声を聞いたような気がしたからだ。
行ってみると、レイは苦しそうに寝ている。
時折、寝言のように口を開くが、そこから漏れる声は非常に小さな声だった。
「綾波・・・」
シンジは、寝言で自分の事を呼ぶレイに何もできない自分が情けなかった。
レイの手を握ろうと思っても、その手はすり抜けてしまう。
「カヲル君・・・僕にどうしろと言うの・・・」
シンジは公園にいた。
暗い夜の公園。
だが、たとえ明るくても人に気付かれることはないのだ。
芝生の上に寝転がったシンジを、どうしようもない孤独感が襲う。
「僕に何が出来るの・・・・」
「君になら出来るさ」
「えっ?」
シンジは顔を上げた、その視線の先には、久しく会っていなかった人物、
永久に会えないはずの人物が居た。
「か、加持さん!」
「よ、元気か?・・・っていう挨拶はこの場合はだめか」
そう言って笑った加持の笑顔は、落ち込んでいたシンジにとっては大きな救いだった。
「そうか・・・加持さんも死んだのでしたよね」
「不本意ながらな」
加持はシンジの横に同じように寝転がると夜空の星を見上げた。
シンジもそれを見てまた空を見上げる。
「葛城が悲しんでたな」
「ええ・・・ごめんなさい」
「いやいや、君が謝る必要は無いよ。シンジ君も死にたくて死んだ訳じゃないだろ」
「はい・・・」
シンジは再び空を見上げた。
見上げる空から瞬く星々が自分たちを目がけて落ちてくる様な感覚を覚えた。
「ミサトさん・・・あのままじゃ・・・」
「ああ、だからシンジ君。俺から頼みがあるんだけどな」
「え、何です?」
二人は空を見上げたままだ。
星くずの一つが流れ星となって瞬いて消えた。
「葛城を・・・それから君の大事な家族を助けてやって欲しいんだ」
加持はそう言うと上半身を起こした。
シンジもゆっくりとそれにならう。
「・・・出来ることならやりますけど・・・・今の僕には・・・」
「・・・シンジ君・・・ちょっと見ていてくれ」
加持は立ち上がると歩き始めた。
シンジもつられて起きあがり、それに付いていく。
加持はブランコの前に立つと、精神を集中するように目を閉じた。
「加持さん?」
シンジが首を傾げる。
公園の樹から葉が落ちてくるに足る時間が過ぎると、
加持は突然目を開いて、ブランコを思いっきり蹴飛ばした。
・・・かに見えたが、加持の足はすり抜けて空を切った。
シンジが起きあがる加持に手を貸す。
「加持さん」
「・・ああ、すまないな、だがこれで解るだろ」
シンジは加持が指し示したブランコを見つめた。
そのブランコは鎖のきしむ音を定期的に響かせながら、僅かに揺れていた。
「えっ?」
「・・・風じゃ無いぞ。俺がやったんだ」
加持はまだ驚いているシンジを促して、芝生の所にまた寝転がった。
シンジも驚いた表情そのままに寝転がる。
「シンジ君にも出来るはずだ・・・」
「・・・・ホントですか?」
「俺に出来るんだからそう難しいことではないさ・・・
俺が出来るのはあの程度だが、シンジ君ならもっと凄いことも出来るはずだ」
シンジは何も出来ない絶望感の中に差し込んでくる光を、見つけた気がした。
その表情を確認した加持が、再び空を見上げた。
「練習してみると良い。どうせ俺達は暇を持て余している事だしな」
「・・・加持さんはどうやって出来るように成ったんですか?」
シンジは知らず知らずのうちに加持の方に身を乗り出していた。
「一週間ぐらい前かな、葛城が撃たれそうになってたんでな。
その時、そいつの顔を殴ってやったら、狙いを外して驚いた顔をしていたよ」
加持は少しだけ笑うと、空から目を離さずに答えた。
シンジは考え込む表情をしながら、また空を見上げた。
「さて、俺は子守歌でも歌いに行くよ・・・シンジ君も頑張ってくれ」
加持はそう言うと立ち上がって、シンジに微笑みかけると、
街中に消えるように去っていった。
一人になったシンジは、先ほどと違って孤独感に沈むことはなかった。
「解ったよ、加持さん、カヲル君・・・やってみる」
その声を聞いていたのは、夜空を走る流れ星だけだった。
◆
「初号機起動します」
オペレーターの緊張感を含んだ声が響くと共に、
他のオペレータも慌ただしく動き始める。
ディスプレイ上の数値が安定するまでの間、
同じく緊張感を含んだ報告が次々に発せられる。
もっとも、それを聞いている冬月はやや、呑気とも言える表情をしていた。
「暴走しないというのは気が楽で良いな」
「ああ・・・」
やがて、数値が安定したことを確認したマヤが、冬月を振り返って報告した。
「数値は高いレベルで安定しています。ハーモニクスいずれも問題ありません」
「では、ジオフロント内へ射出してくれ」
電磁レールに火花が飛んで初号機が射出される。
ジオフロント内に射出された初号機は、
その圧倒的な存在感でもって辺りを睥睨していた。
もっとも、この日はジオフロント内は立入禁止になっていたので、
その姿を見ることのできる者はわずかだったが。
「・・・碇くんのにおいがする・・・」
『レイちゃん聞こえる?』
「・・・はい」
『とりあえず、羽根を広げてもらえるかしら』
「・・・わかりました」
レイは背中に意識を集中させる。
初号機で行うのは初めてだったが、リリスで一度やっているので、
その感覚は覚えている。
「エネルギー反応拡大」
「曲率低下中」
初号機の背中に光り輝く羽根が広がった。
発令所のディスプレイが映し出す光景は、一種幻想的ですらあった。
「・・・第一段階は成功だな」
「ああ・・・・」
「よし。もう良い。初号機を回収してポッドの作業を急げ」
冬月が直接指示を出して、オペレータの作業が忙しさを増す。
ゲンドウはそんな様子を見ても相変わらずいつもの格好のままだ。
「赤木博士の怪我は大丈夫なのか?」
「・・・ああ、座っているだけなら問題ない。それに本人が希望している」
「・・・あまり無理はさせるなよ」
「ああ・・・」
ゲンドウの答えはどこまでも素っ気ない物だが、
冬月はそれを今更言う気にはなれなかった。
「それはそうと、偽装の方はどうなっているんだ」
「それは準備はしてある」
「ジャミングだけではとても隠し通せるとは思えないがな」
「その時は実験だったとでも言えばいい。どうせ口だけだ」
「ふむ」
30分後、ようやく準備が整った。
初号機の胸の部分に耐熱板を張り巡らせたポッドが装着される。
そのポッド内には何人かの技術者と作業員が乗り込んでいた。
「レイ。時間だ」
「・・・・はい」
眠った様に目を閉じていたレイにゲンドウが声を掛けると、
ディスプレイに映るレイはゆっくりと目を開けた。
「軟加速で射出しろ」
ゲンドウが直接指示を出して初号機はいつもより緩い加速で射出された。
再びその姿を現した初号機だが、今回は表の街中である。
青空の中の太陽から照りつける光が、初号機の装甲板に反射した。
初号機はそのまま羽根を広げ、青く澄んだ空へと飛び上がって行く。
その姿は、たちまちの内に小さくなって見えなくなった。
つづく
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