あ〜、壊れてます
書かない方がよかったかも
第壱幕
第六場
打ち砕かれた水晶が降り注いできたかのような星空。
二人の影が上を見上げながら言葉を交わしている。
「碇・・・我々のカードはあまりにも少ないぞ・・・」
「・・・解っている・・・だが、我々には最後の切り札がある。問題はない」
二人のいる部屋は、その広い空間の殆どを空気が閉めている。
だがその空気は、鉛の海にも例えられるほど重苦しい。
この部屋で語られてきた事柄の99%は、常人には理解しがたい事柄であったが、
少なくとも、その重苦しさは全員が理解するであろう。
「・・・今日は星がよく見える」
「・・・」
「・・・我々があの星々の海へ旅立てる日が来るのかね」
「・・・近いうちではない・・・だがそう遠い日でもない。
その前に、我々が今やっておくべき事がある。旅は子供達に任せればいい」
天井のディスプレイに映る空は、雲一つない星空である。
冬月は視線を水平に戻すと、手に持っていた書類を机の上に差し出した。
「これは六号機のデータと、赤木博士からの報告書だ」
「・・・六号機はいつ頃着きそうだ?」
その書類に目を通すと言うよりも、眺めるといった様子で、読みながら、
ゲンドウが尋ねる。
「3日後には到着する予定だったが、どうやら遅くなるかもしれん」
「・・・ゼーレか・・・」
「お前が居ない間にいろいろと報告があってな。
輸送を妨害してくるのは間違いないだろう」
ゲンドウが微妙に眉をひそめながら、報告書のページをめくった。
「・・・どのような妨害をかけてくるか、報告はないのか?」
「いや、それは解らなかった・・・どうする碇。護衛は十分とは言え無いぞ」
「・・・問題ない。パイロットを向かわせる」
「レイ君をか?」
「いや、レイはこの街からは出せん」
「シンジ君を向かわせるのか。しかし、彼が離れると、ここが危険になるぞ」
「問題ない。奴らはまだダミーを完成させていない。すぐには来られまい。
それに、偽装工作はする。気付かれんようにな」
「・・・解った。手配しておく」
「解った?シンジ君」
「・・ええ、話は解りました」
ミサトは、ビールを飲みながらも、その表情にいつもとは異なる成分を含めて、
シンジと話をしている。
話しかけられたシンジの方は、洗い物をしていたので、
ミサトからその表情を読みとることは不可能であった。
「まあ、2,3日だから、そう深刻がらなくてもいいわ」
「ええ、そうですね。ん〜、じゃあ食事とかどうします?」
「ん〜そうねえ、あたしも忙しいから作れないしねえ・・・」
それはそれで、別の安堵感を得たシンジであったが、
問題は解決されていない。
レイの料理の腕はまあまあで、最近まで料理をしたことが無かった事を考慮すれば、
驚くべき事であるのだが、シンジが居ない状況で料理をするかどうかは疑問であった。
アスカの方は、最近になって急にやり出すようになったのだが、
その突然の心変わりの理由と共に、その味もまた不分明であった。
「まあ、レイの料理も結構いけるし、たまには出前とか外食も良いかもね」
「・・・そうですね・・・じゃあ、後で綾波に言っておきます」
「よろしくね・・・・さて、もうひと仕事かな」
「え?」
「アスカぁ〜、ちょっち来てくれる?」
ミサトのその声は陽気さの衣をまとっていたが、
シンジはその表情から緊張感を感じた。
呼ばれたアスカは、テレビの番組が良いところであったらしく、やや不機嫌であった。
「・・・ミサトさん?僕は向こうに行ってましょうか?」
「・・そうね・・・これは私の仕事だから」
レイの部屋の方へ向かうシンジの背中に視線をやると、
ミサトはアスカに向き直って、一つ咳払いをした。
そのアスカの不機嫌な顔が、驚きと、困惑、
そして氷のように冷たい表情へと変化するのに、さしたる時間は必要なかった。
「・・・解った?今のところ弐号機を乗りこなせる可能性があるのは、
あなただけしか居ないの」
「・・・」
アスカはややうつむき、微動だにせずにミサトの話を聞いている。
聞き終わった後には、無表情で全く考えを読むことが出来ないアスカが居た。
そんな、アスカを見ても、話したことをミサトは後悔しなかった。
いずれ、アスカが直面しなければならない問題である。
ミサトとしては、乗っても乗らなくてもどちらでも良いと考えていた。
ただ、その選択によって、アスカが後悔するような事にはなってほしくなかった。
ミサトは、年長者としてのささやかな義務を果たそうとしている。
「・・・どちらを選んでも私は別に構わないわ。
ただ、もし乗らなかったとしたら、シンジ君やレイに負担がかかるでしょうね。
そうだとしても、シンジ君は決して声に出したりはしないでしょうけど。
・・・なんだか、卑怯な言い方よね」
ミサトは自嘲の表情をうかべながら、既に空になったビールの缶をもてあそんでいる。
「でも、その点でアスカはシンジ君に何かしてあげられるわ。
アスカも解っているでしょ。シンジ君があなたの為にしてくれた事」
「・・・・」
「まあ、あなたが辛い思いをするのは解るから。私は強制しないわ。
でも・・・後悔しないようにね」
「・・・・」
「・・・・一晩考えてみて、明日にでも返事を聞かせてもらうから」
ミサトはそう言って立ち上がると、自室へ消えていった。
残されたアスカは、うつむいたまま、無表情のままでその思考の中に埋もれていた。
◆
翌日、シンジを見送ったアスカ、レイそれにミサトの三人は本部までやった来た。
そのアスカは今、エントリープラグ内である。
「よく、乗る気になってくれましたね」
「そうね・・・でも、彼女も悩んでたわ」
ミサトとマヤが弐号機にエントリープラグが挿入される様を見ながら話す。
「でも、問題はこれからよ」
「そうですね・・・・じゃあ、はじめてください」
マヤの宣言で何度となく繰り返されてきた手順通りに、シンクロが開始される。
・・・神経接続正常
・・・ハーモニクスすべて正常
・・・起動臨界まであと4秒
・・・弐号機起動します
「やったわ」
その表示を見たときミサトが思わず声を上げた。
マヤも喜びの表情を浮かべる。
シンクロ率は安定起動のレベルに達していた。
「今度はどうかね」
その時、冬月がマヤの後ろからやってきた。
冬月は、報告よりも、その二人の表情から結果を知った。
「ふむ、これで一安心と言ったところか」
「そうですね」
マヤと冬月がディスプレイを見上げながらつぶやくように言う。
「シンクロ率の振動幅が大きくなっています」
「・・え、どういうこと」
「他の数値も、徐々に不安定になってます」
「・・・精神力が持たないのかしら」
ミサトのそのつぶやきの終わりに、オペレータの叫び声が重なった。
「神経接続拒否がはじまりました!」
「シンクログラフが逆転します!」
「いけない、実験中止!」
「停止信号送信・・・・反応無し」
「弐号機暴走します!」
「主電源カット!!」
「内部電源に切り替わりました。残り10秒」
「・・・弐号機活動を停止」
あらかじめ減らされていたバッテリーのせいで暴走と言っても、
ロック装置の一部を破損しただけだったが、結果が関係者に与えた衝撃は大きかった。
ミサトは、ただ弐号機の頭部を見つめるのみであり、マヤは暗く沈み、
いつもは穏和な表情をしているはずの冬月も厳しい表情でデータを見つめていた。
そして、おそらく、最も衝撃の強いであろうアスカに対して、
ミサトはかけるべき言葉を考え出せずにいた。
「おそらく、精神的な余裕が少ないので、持続時間が短いのでしょう」
「ふむ、しかし5分と保たないというのは問題だな」
ようやく精神的再建を果たしたマヤと冬月が、テスト結果を検討している。
ミサトは再建に最も時間を要した。
今はアスカに声をかけるためにこの場にはいない。
「何度かテストを繰り返すことで、改善されると思われますが・・・」
「ふむ・・・その時間があるかどうかは問題だな」
「・・・近いうちに出撃するのですか?」
マヤはその質問が出過ぎた物であることを認識してはいたが、
それが口から出るのを抑えることは出来なかった。
冬月は珍しく、その回答をぼかした。
「・・・劇的に改善されるかもしれないしな。
シミュレーションの方で何度かやってみる事にするか・・・」
「・・・はい」
「・・・だが、もう一度乗ってくれるかな・・・」
それが一番の問題であることは、両者の認識の一致するところであった。
自分が役に立たない人間だと思いこんでしまうのではないか。
そして、その推測が的中する確率はかなり高いように思われた。
この問題の解決を一番手に引き受けるべきミサトは、
アスカに対して未だ適切な言葉をかけられずにいた。
気絶した状態で収容されたアスカは、暴走時間が短かったこともあってか、
後遺症はなかったが、それでも、その日は意識が戻らなかった。
次の日の10時頃になってようやく、目覚めたアスカにミサトは声をかける。
「・・・そんなに暗く沈まないで・・・アスカ
・・・一時とは言え起動したんだから、大丈夫よ」
ミサトは、思いつくままの言葉を並べていたが、
それが一時の慰めにすらなっていないことはアスカを見れば容易に解ることであった。
「・・・・」
感覚の全ては、沈黙と停滞、重苦しさと苦々しさである。
ミサトは、この雰囲気だけでも払いのけようと、渾身の精神力を動員した。
「・・・さ、とりあえず今は家に帰りましょ」
その言葉が、一種の逃げであることを苦々しくも感じるミサトであった。
アスカはその言葉にも、表情を変えることなく、
ベッドから、降りようとした。
その時、ドアがノックされ、ミサトが返事を返す前に、
慌てた様子のマコトが入ってきた。
「た、大変です。シンジ君が意識不明の重体だそうです」
「な・・・なんですって!」
その叫びにも似た言葉は、病院の廊下に響きわたった。
◆
シンジは少しの荷物と少しの不安を抱えて甲板に降り立った。
護衛機として付いてきた戦闘機が上空を数回旋回した後戻っていく。
VTOL機から降り立ったシンジは、隣の機からちょうど降りてきた青葉シゲルとともに、
船内まで案内された。
弐号機が船でやってきた時と違い、今回護衛しているのは日本の船が主で数も少ない。
シンジが降り立った船も、前の時とは大きさはずいぶんと小さいように感じられた。
艦橋での挨拶もそこそこに、早速六号機の所まで案内された二人は、
そこでリツコと再会した。
「あ、リツコさん」
「あら、シンジ君。以外に早かったのね。それに、青葉君も」
おまけのように扱われたシゲルは、やや苦笑いを浮かべた。
確かに、彼は護衛役といった仕事には向かないし、自身もそれを認識していたのだが、
ミサトは忙しく、マコトはその手伝い。
マヤはリツコが居ない本部に居なければならない。
消去法で残ることにやや不満のある彼だったが、
「まあいいさ、シンジ君と海で音楽について語り合うかな」
と言って、それを承諾した。
それを聞いたマコトが、からかいの要素を51%、
残りの49%に冷やかしをこめて見送ったのだった。
「おまえと趣味が合うとは思えんがな。まあ、迷子になってシンジ君を困らせるなよ」
「大丈夫だって、なあシンジ君」
「え?何ですか?」
「このお兄さんがシンジ君に何か言ってきても真に受けちゃいけないよ。
この狼さんに食べられちゃうからね」
「なあ、シンジ君。マコトの言う事は気にしないでくれ。
彼はお姉さんに、たくさん用事を言いつけられて少し疲れてるんだ」
「はあ・・・」
「お、シンジ君は俺の言う事じゃなくて、シゲルの言う事を信用するのかい」
・・・苦笑しながらもシゲルは鞄の中から白い箱をとりだした。
「これ、シンジ君の書き換え用のデータです」
「ありがと。早速書き換えるわ・・・どう?シンジ君。六号機を見た感想は」
「・・・そうですねえ。全体が見えないんでよく解らないですけど。
色は零号機みたいですね」
「・・・そうね、ベースは白だったんだけど、違和感があるといけないから、
生体部品を一部交換して色を同じにしたの。それでも中身はかなり違うから」
「へえ〜」
「あと、ホントはS2機関も搭載してたんだけど、なかなか引き渡してくれないのよ。
で、S2を外すかわりに、なんとか頼み込んだの」
「S2機関?」
「そう・・・電源の心配がいらないから楽になるはずだったんだけど」
その日は、久々にリツコに会ったこともあって、シンジは一緒に食事をとった。
運ばれてきた料理はやや味付けが濃かった物の、それなりに美味しい物だった。
「ミサトは元気にしてる?」
「ええ、元気と言えば元気ですけど、最近忙しそうですね」
「そう・・・忙しさで気を紛らわせてるのかしら」
リツコが考え込む仕草をしたが、すぐに料理の方へ関心を戻す。
シゲルがそれを見ながら、やや首をひねった後、口を開いた。
「そうそう、マヤさんが心配してましたよ、しばらく顔を見てないからって」
「・・・確かにマヤには悪いことしてるわね」
その日は、別に問題なく一日が終わった。
ミサトから目的を聞かされていたので、一日中緊張していたシンジは、
寝室で横になると急速に眠くなるのを感じた。
実際、その日は何も起きなかったが、その次の日のまだ日が昇らない時刻に、
艦橋ではちょっとした異変が起きていた。
「何でしょう?」
「潜水艦のようだな」
「妨害でしょうか?」
「しかし、わざわざ電波を出して見つかるようなことをするかね」
「だいたい、この電波は何なんでしょうね」
「・・・先方に聞いてくれ」
その正体不明の電波を捕らえたのは1時頃の事であった。
その電波を発している潜水艦は、攻撃してくる様子もなく、
ただ船団に付いて来るのみである。
「こちらとしては、何もしてこない以上、手が打てないからな。
とりあえず反撃体勢を整えておけ」
「はっ!」
シゲルは廊下を行き交う水兵の足音で目が覚めた。
時計を見ると、まだ2時になっていない。
「シンジ君は・・・まだ寝てるか」
どうも、ただごとではないと感じたシゲルはとりあえず動ける格好に着替える。
その音に、眠たそうにしながらもシンジが起きた。
「起きたかシンジ君・・・すまないな。どうも外が騒がしくてな。
シンジ君も少しだけ起きておいてくれ」
「・・・はい。何かあったんですか?」
「解らん。とりあえず確かめてくる。念のため鍵をしておいてくれ」
眠そうにするシンジに微笑みを返すと、シゲルは部屋を出ていく。
シンジは、ドアのロックボタンを押すと、小さい窓から空の星を眺めた。
とりあえず、着替えを済ませて、眠気を取るためにお茶を入れる。
「ピー」
「はい。青葉さんですか?」
「わ、私・・・」
「あ、リツコさん。ちょっと待ってくださいね今開けます」
艦橋までやってきたシゲルは、何が起こっているかを知らされた。
同時に、潜水艦の行動に対する疑問を共有することとなった。
「提督。警告を発しますか?」
「むう・・・戦闘体勢は整ったのか?」
「全艦戦闘配置を完了しています」
「よし、警告を出せ」
全共通回線を通じての呼びかけが、数分間にわたってなされたが、
結局、反応は何も得られなかった。
「どうします?」
「・・・よし、威嚇攻撃」
その命令に、艦橋に緊張が走る。
シゲルもただならぬ事態の推移に、不安感が顔に出るのを抑えることが出来ない。
「第一弾発射!」
静かな宣言の後、数十秒の沈黙があり、続いて鈍い衝撃音が響いた。
水中で爆発した魚雷によるものだ。
「反応見られません」
「・・・よし、第二、第三弾連続発射」
再び、数十秒の沈黙と、連続した衝撃が響く。
「目標、進路変更!」
「む・・・効果あったか」
「・・・目標、コースを外れていきます。依然として電波は確認」
「離脱するまで警戒は緩めるな」
艦橋では、潜水艦に対する疑問と推量とがぶつかり合う論議が開始されたが、
今のデータだけでは、それが推測の枠を出ないのは衆目の一致するところであった。
とりあえず、一段落したことを見て取ったシゲルは艦橋を後にした。
「リツコさん。どうしたんです?少し顔色が悪いですよ」
「な、何でもないわ・・・それより・・・シンジ君。
あなた・・・司令のことどう思っているの?」
「え・・・」
その質問は、シンジの予想の範疇を大きくはずれる質問であった。
そのために、自分が動揺していることにすら気付かない。
「・・・どう思うって・・・
・・・憎んでいるのかもしれません・・・」
「・・・そう」
「・・・でも・・・最近はどうなのか自分でも解りません」
「・・・」
「・・・トウジを傷つけることになったのは今でも、父さんのせいだと思ってます。
・・・でも、あれは・・・ああする以外に方法が無かったんじゃないかって。
・・・最近、思うようになってきたんです」
「・・・・」
「・・・・もちろん・・・僕がもっとしっかりしていれば、
他に方法はあったんでしょうけど、そうじゃなかったから・・・・
・・・父さんには他に方法が無かったかもしれない・・・って思うんです」
うつむきながら、シンジはそこまで言って、顔を上げた。
リツコの顔色は、入ってきたときよりも更に悪くなっているような気がした。
「僕は・・・いつも逃げてばかりなんです・・・それしか方法が無くても・・・
・・・僕は・・・自分が汚れることだけ嫌って・・・・他人を傷つけてきたんです。
・・・しかも・・・正当化するために・・父さんのせいにしてる・・・最低だ・・・」
「・・・・」
「だから・・・もう、自分のために・・・自分の逃げのために他人が、友達が、
そして家族が傷つくのは・・・止めにしたいんです・・・父さんに謝らなきゃ・・・」
「・・・・あの人は、あなたのことを気にかけているわ。
あなたの前では決して見せないでしょうけど」
「・・・」
「・・・・私のことなんか少しも考えてくれないのにね」
「・・・リ、リツコさん?」
いつの間にか、リツコはシンジの目の前に、見下ろすように立っている。
リツコの両手がシンジの顔に触れた。
「シンジ君・・・私と一緒に死にましょう。
そうすればあの人は悲しんでくれるわ」
「ちょっ、リツコさん!」
「そうすれば私の事を考えてくれるわ。シンジ君も本当の姿を見ることが出来る」
「どうし・・・」
リツコに首を絞められたシンジは、続きを言うことが出来なかった。
床に押し倒されたシンジは、締めつけてくる手を振り払おうともがく。
「シンジ君、おとなしくしてね。ゆっくりと楽に死ねる薬を用意したから」
「んぐぐ・・・」
ようやく、片腕を取り払うことに成功したシンジが、声を上げようとした時、
シンジの腕に針状の物が突き刺さった。
その痛みは大したことは無かったが、リツコの異常な目とその表情に、
シンジは恐怖と、驚愕とを感じ、発しようとしていた声は封じ込まれた。
「シンジ君、もうすぐで楽になるわ」
そう言うとリツコはシンジの体から離れ、服のポケットに入っていたケースから、
もう一本の針を取り出し、それを自分の腕に突き刺した。
「あなたも、私もあの人に見てもらえるわ。
あの人は悲しむでしょうね。いい気味だわ」
もはや、異常を通り過ぎた目をしているリツコを見て、シンジは一歩も動けなかった。
その時、後ろのドアのランプが光った。
「シンジ君。オレだ開けてくれ」
「青葉・・・さん」
シンジが、声を発してドアに駆け寄ろうとした時、
リツコが倒れ込むようにして、シンジを押さえ込んだ。
ドサッという物音にシゲルは首をひねった。
先ほどからドアは開く様子はない。
「寝ちゃったのかな。ま、いいや。え〜っとカードはどこやったかな。
・・・あ、あった」
ドアを開けたとき、シゲルの目に飛び込んできたのは、
シンジを押さえ込みながら気を失っているリツコと、
苦しそうな表情をするシンジが倒れ込んでいる、という光景であった。
「シ、シンジ君?それにリツコさん」
「ど、どく・・・針に毒・・・」
「え?」
シゲルが辺りを見回すと、リツコのポケットから飛び出した黒いケースと、
その中から散乱した針があった。
室内には僅かに薬品の臭いが立ちこめている。
シゲルは心臓をジャンプさせると同時に、半瞬で状況を飲み込んだ。
廊下を歩いていた兵士を捕まえて、状況を説明し、医者を呼ばせる。
さらに、シゲルはリツコのポケットをあさった。
「解毒剤・・・・・無いか・・ならば
・・・すぐ戻ってくる」
シンジがその言葉を聞き取れたか疑問であったが、
シゲルは、リツコのポケットからカードを取り出すと、
廊下を歩いている兵士達をはねのけて、リツコの部屋まで走っていく。
リツコの部屋は、かなり離れた位置にある。
彼は、化学に詳しいわけでも、リツコの使った毒が何なのかも解っていなかったが、
自分に出来ることを最大限発揮するために走った。
それは、すれ違う兵士達があまりの勢いに、思わず道をあけてしまうほどであった。
シゲルの捜し物はすぐに見つかった。机の上に、開け放たれた箱が置かれ、
その中に、小瓶に入った液体があったからだ。
箱には、リツコが持っていた黒いケースが納められていたと思われるくぼみがある。
室内はやや荒れており、物につまずきそうになったが、彼は箱の戸を閉めて、
箱ごと抱えこむと、急いでもと来た道を走っていく。
彼は、永劫とも思える廊下のつながりを必死の形相で走った。
「はあ、はあ、はあ・・・」
シゲルが部屋に着いたときは、
すでに軍医が二人を床に寝かせて状態を調べているところであった。
彼は、持ってきた箱から小瓶を取り出し、軍医に説明する。
その軍医は、箱に書いてある文を少しだけ読んだ後、二人の腕にその液体を注射した。
「お若いの。ご苦労じゃったな。あとは二人の体力次第じゃ」
その軍医の言葉もシゲルには聞こえていないようであった。
彼は近くにあった椅子に腰掛けながら、
思いだしたように襲ってくる疲れと戦っていた。
◆
「なるほど・・・そういうことか・・・」
冬月がシゲルの書いた報告書を見ながら、独り言とも取れるような反応を示す。
そして、その報告書をゲンドウに回しながら、もう一つの報告書を受け取る。
それは、幾つかの診断カルテや、手術後の結果等が記された物であった。
冬月は、文面から目を移さずに、シゲルの隣に立つ病院の医師に尋ねる。
「それで、赤木博士の意識は戻ったかね?」
「いえ・・・未だに意識は戻っておりませんが、脳波は正常です」
結局、シンジとリツコは空輸されて病院に入院した。
この時点で、六号機が襲われたら、深刻な事態へと発展したであろうが、
冬月が素早く手を打って、大規模な対潜哨戒網がはられた。
それによって、攻撃を諦めたのか、
あるいははじめから攻撃の意志が無かったのかは不明だが、何も発見されず。
無事に六号機は、新横須賀港に入港し、現在は本部の格納庫内で整備が行われている。
「ふむ、それで・・・君の見解はどうなのかね?」
冬月が顔を上げながら、再び医師に尋ねる。
「おそらく、今回摘出された装置は、電気的な信号を発して、
対象者の脳波を狂わせる物でしょう。
操るとか、そういう高度な装置では無いようです」
「なるほど、すると青葉君から報告があった電波を受けて、
その装置が作動したと考えるのが妥当なところか」
「はい。脳波を狂わされた対象者は精神状態が極度に不安定になります。
ですから、普段は押さえ込まれていた些細な恨みや、あるいは破壊衝動等が
励起されたのではないかと推測されます」
「・・・ふむ、しかし赤木博士がシンジ君に恨みを持っていたとは考えにくいな」
そういって冬月は、ゲンドウの方に視線を振った。
冬月には、ゲンドウの顔を流れる血液の量が微量ながら変化したように感じられた。
医師は言葉を続ける。
「マインドコントロールという可能性もあります。ごく浅いコントロールならば、
普段、表に出ることはないでしょう」
「・・・ふむ、パイロットを狙うように仕向けていたのかもしれんな・・・
青葉君。シンジ君は何か言っていなかったかね」
「はい、私が彼を発見した時は、既に意識が朦朧としている状態だったようで、
詳しいことは解りません。意識を取り戻した後については、
記憶に若干の混乱が見られるので、まだ聞いていませんが」
「そうか・・・では、二人とも下がっていいぞ」
二人が扉を開けて外に出ていくのを見送った後、
冬月は隣にいるゲンドウに話しかけた。
「碇・・・」
「ああ、パイロットが標的だったか・・・やられたな」
「私はそんなことを聞いているのではない・・・赤木博士はどうするつもりだ?」
「・・・・」
「・・・お前が不器用な奴だって事ぐらいはとうに解っているつもりだったがな」
「・・・」
「・・・老人達につけ込まれたわけだ。とは言え、根本の原因はお前だな」
冬月の、久々に発せられる痛烈な言葉を聞いても、
ゲンドウは報告書から視線を動かすことはなかった。
「おい、碇・・・」
「・・・・」
「・・・・・とりあえず精神的に安定しているようだったら、現場に戻すか?」
冬月のため息と同居した提案に、ゲンドウはゆっくりと頷いた。
それを見た冬月は、やや安心すると、退室しようとドアまで歩いたが、
不意に振り返って、ゲンドウを見据えた。
「いつか、ゆっくりと、二人で話し合うんだな。それがお互いのためだ」
それまで、報告書を見つめていた視線が、初めて冬月を捕らえた。
冬月はその視線に応えることもなくドアを閉めた。
つづく
You can write a mail to me.
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