金は天下の回りもの
金は天下の回りものだ!いつもこちとらをよけてまわるのがきにくわねぇが。
ツルゲーネフの「猟人日記」よりの一言。もちろん訳を日本人がやっているので、原文どうりではないと思うけど、それでも本質ははずしていないのが訳。出て行く量と入ってくる量の差があまりに激しかったりすると、「よけられている」感覚に襲われるのもうなずける。年がら年中、金がないと嘆いている学生たちにとっては、うなづける名言なのではないかな。
ところで、ちょっと気になっているのだけど、「回りもの」という表現には常に受動的な意味合いが付きまとう。お金を使う目的意識があって働いていて、それでも金は回っている、といわれると、なんだかまわりの流れに押し流されているようで気分のあまり良いものではない。そこで、「金は天下の回しもの」とするとちょっと能動的な感じが出る。もしかしたら今の日本の不況って、こんなところからきているのかもしれない。金の流通がなければ景気の回復を望むことはできないんだけど、「回りもの」だと思っていると、誰か他の人が回してくれると思うので使うこともない。使うこともなければ入ってくることもない。こんなことのくりかえし。現に景気回復を祈る人は世の中に多いけど、たんす貯金はあとを絶たず、「万が一」のときの貯蓄を欠かさない。少し自分で回す気になると、ちょっと景気が回復した気分になれるかもね。
(1999/12/10)