| 障害者の生活実態に目を背けたしゃくし定規な判決だ。学生無年金訴訟の上告審で最高裁は二審判決を支持し、原告の元学生五人の上告を退けた。
最高裁が弁論を開かなかったことから、原告の敗訴は予想されていた。とはいえ、国民年金制度が根底から揺らいでいる今だからこそ、最高裁には救済を求める弱者の視点から憲法の理念を語ってほしかった。
この訴訟は、学生時代に病気や交通事故で重い障害を負いながら、国民年金未加入を理由に、障害基礎年金が受けられなくなった元学生が国を相手に起こした。原告には新潟地裁に提訴した本県の男性二人もいる。
二十歳をすぎた学生の国民年金加入は一九九一年三月まで任意とされ、成人学生の98%は未加入だった。就職するまでのわずか二、三年の空白期に、予期しない障害を負ってしまった人たちが救済を求めているのだ。
同じ学生であっても大学一、二年生など未成年だった者は保険料を納めていなくても年金が支給される。この不平等の放置が、国の立法不作為にあたるかどうかが争点だった。
一審判決は、法の下の平等を保障した憲法に反するとして原告の訴えを認め、国に賠償を求めた。ところが二審の東京高裁は「措置を講じなかったのは立法裁量の範囲内」と一転して原告の請求を退け、最高裁も支持した。
学生無年金障害者は全国に約四千人いる。当時、学生の加入が極端に少ない状況や障害者の発生率を考慮すれば、無年金障害者が大量に生まれることを国は容易に予見できたはずだ。
決定的な制度欠陥を見過ごした立法府の対応を追認し、任意加入自体も「不当な差別的扱いではない」とする判断は理解に苦しむ。
年金に見放された重度障害者がこれからどうやって生活するのか。最高裁に求められたのは、こうした厳しい現実を思いやり、法の下の平等や生存権をうたう憲法の理念を体した救済の道を指し示すことではなかったか。
老齢や障害、死亡によって国民の生活の安定が損なわれることを共同連帯で防止する。国民年金法の第一条は、セーフティーネットの理念と目的を高らかに掲げている。
だが、国民年金制度はずさんな資金管理や不祥事が相次ぎ、国民の信頼を失っている。強制加入に移る前から無年金状態のまま置き去りにされている障害者は、元学生だけでなく専業主婦や在日外国人にも多い。
救済措置として二年前に始まった特別障害給付金制度を拡充し、国民年金制度の抜本的な立て直しを図る。原告敗訴の最高裁判決が出ても、これが国の責務であることに変わりはない。
[新潟日報9月29日(土)] |