新潟日報>日報抄
 

 

 昭和前期の法学界に大きな足跡を残した末弘厳太郎東大教授が、官僚を痛烈に皮肉った言葉に「役人学三則」がある

▼ 「役人は万事広く浅き理解を得ることにつとむべし」「法規を盾にとりて形式的理論をいう技術を習得することを要す」「平素より縄張り根性の涵養(かんよ う)につとめること」。厚生労働官僚が
頭に浮かぶ。薬害で多くの人が死んでもきちんと責任を取らないばかりか、裁判では法を盾に取って患者を苦しめ続ける

▼天下り先という縄張りを広げるために、国民の年金保険料を食い物にする。そんな官僚が生み出した悲劇の一つが、四千人ともいわれる学生無年金障害者だろう。国民皆年金の原則から一方的に、成人に達した学生を排除していた。立法不作為の典型である

▼それなのに最高裁は、ずさんな立法活動を追認して無年金障害者敗訴の判決を出した。津野修裁判長とはどんな人なのか経歴を調べて驚いた。行政官一筋。旧大蔵省出身で内閣法制局長官を務め、六十六歳で最高裁判事になっている

▼役人学三則で末弘教授は「昨日まで法制局で法規立案に従事していた人を産業行政の局長にするようなことは、官界では茶飯事」という。行政府の立場で法律の審査をしていた法制局長官が一転、自分たちがやってきたことを法廷で裁く立場になるのも茶飯事なのだろうか

▼映画「蟻の兵隊」で描かれた中国残留部隊の元日本兵らが国に軍人恩給を求めた訴訟や、韓国人元軍人や従軍慰安婦らの賠償請求訴訟でも、国の主張を認め原告敗訴を言い渡している。国民審査の大切な判断材料だが、津野氏が次に国民の審判を受けるのは八年後だ。気が遠くなる。


[新潟日報9月29日(土)]

 

 神戸新聞・社説   無年金上告審/救済の視点が欲しかった
 

 

 障害を負ったにもかかわらず、障害基礎年金を受給できない人たちがいる。国民年金への加入が任意だった時代に、未加入のまま障害者となった二十歳以上の学生や専業主婦らである。

 元学生で四十代の障害者五人が、不支給の取り消しと損害賠償を国に求めた上告審で、最高裁は原告の訴えを退けた。新潟と東京地裁の一審では賠償などを命じる違憲判決を勝ち取ったものの、東京高裁の二審では棄却され、上告していた。

 各地で起こされた学生無年金障害者訴訟で最高裁が下した初の判断である。他への影響は大きい。

 国民年金は、一九八五年の改正で全国民共通の基礎年金制度を導入し、加入を成人すべての義務とした。ただし学生の義務化は九一年まで見送られた。

 その際、二十歳未満で障害を負った者は無条件に障害基礎年金を受給できるとしたが、成人後の障害者は国民年金に加入していることを条件にした。

 しかし、任意の公的年金への未加入を理由に、社会保障の枠から除外するのが、妥当なことだろうか。まして経済力の乏しい学生である。その人たちが障害者となり、苦しい生活を余儀なくされているのだ。

 加入が義務化された九一年までに障害を負い、障害基礎年金を受給できない元学生は約四千人にのぼるという。障害があり、同じような境遇にある主婦も約二万人に及ぶ。これらの障害者たちは、制度改正の谷間で放置されてきたというほかない。

 二〇〇一年になって、全国で約三十人の元学生が相次いで九地裁に提訴した。〇四年以降、地裁レベルでは、学生を放置し差別を生んだことを認め、「法の下の平等や生存権を定めた憲法に違反する」として支給や賠償を命じる判決が続いた。

 さらに〇五年には、議員立法で給付金を特別支給する救済策ができた。ただ本来の障害基礎年金額の六割程度にとどまり、十分ではない。これ以降、控訴審などで敗訴が続く流れも出てきた。「この救済策でよし」とするような判断からだろうか。

 今回、最高裁は二審の判断をそのまま支持して、国民年金法の規定を「合憲」とした。これで、障害基礎年金の不支給は確定するが、障害者救済の視点を欠いた判決といわざるを得ない。

 いま公的年金をめぐるさまざまな問題が噴出している。国や司法がこんな冷たい仕打ちでは、年金不信を増幅しかねない。

 現行の特別支給を拡充するなど、さらなる救済策を検討すべきだろう。

2007/09/29

 

 新潟日報>社説   学生無年金判決 立法不作為をなぜ問わぬ
 

 

 障害者の生活実態に目を背けたしゃくし定規な判決だ。学生無年金訴訟の上告審で最高裁は二審判決を支持し、原告の元学生五人の上告を退けた。

 最高裁が弁論を開かなかったことから、原告の敗訴は予想されていた。とはいえ、国民年金制度が根底から揺らいでいる今だからこそ、最高裁には救済を求める弱者の視点から憲法の理念を語ってほしかった。

 この訴訟は、学生時代に病気や交通事故で重い障害を負いながら、国民年金未加入を理由に、障害基礎年金が受けられなくなった元学生が国を相手に起こした。原告には新潟地裁に提訴した本県の男性二人もいる。

 二十歳をすぎた学生の国民年金加入は一九九一年三月まで任意とされ、成人学生の98%は未加入だった。就職するまでのわずか二、三年の空白期に、予期しない障害を負ってしまった人たちが救済を求めているのだ。

 同じ学生であっても大学一、二年生など未成年だった者は保険料を納めていなくても年金が支給される。この不平等の放置が、国の立法不作為にあたるかどうかが争点だった。

 一審判決は、法の下の平等を保障した憲法に反するとして原告の訴えを認め、国に賠償を求めた。ところが二審の東京高裁は「措置を講じなかったのは立法裁量の範囲内」と一転して原告の請求を退け、最高裁も支持した。

 学生無年金障害者は全国に約四千人いる。当時、学生の加入が極端に少ない状況や障害者の発生率を考慮すれば、無年金障害者が大量に生まれることを国は容易に予見できたはずだ。

 決定的な制度欠陥を見過ごした立法府の対応を追認し、任意加入自体も「不当な差別的扱いではない」とする判断は理解に苦しむ。

 年金に見放された重度障害者がこれからどうやって生活するのか。最高裁に求められたのは、こうした厳しい現実を思いやり、法の下の平等や生存権をうたう憲法の理念を体した救済の道を指し示すことではなかったか。

 老齢や障害、死亡によって国民の生活の安定が損なわれることを共同連帯で防止する。国民年金法の第一条は、セーフティーネットの理念と目的を高らかに掲げている。

 だが、国民年金制度はずさんな資金管理や不祥事が相次ぎ、国民の信頼を失っている。強制加入に移る前から無年金状態のまま置き去りにされている障害者は、元学生だけでなく専業主婦や在日外国人にも多い。

 救済措置として二年前に始まった特別障害給付金制度を拡充し、国民年金制度の抜本的な立て直しを図る。原告敗訴の最高裁判決が出ても、これが国の責務であることに変わりはない。

[新潟日報9月29日(土)]

 

 新潟日報>日報抄
 

 

 「国民年金に加入せず保険料も払っていないのに、障害基礎年金がほしいというのは身勝手だ」

▼成人に達した学生の国民年金加入が任意だった時代に、未加入のまま事故などで障害を負った人々に対する厚生労働省の対応である。新潟市の遁所直樹さんらが国に年金支給を求めた、学生無年金訴訟でも同様の趣旨で反論した

▼ずる賢い主張だ。厚労省は国民年金制度の根本原則から目をそらしている。生きている限り人は年老いる。障害を負う可能性も、誰にでもある。その場合に年金という形で、国民すべてが保障を受けられるようにしようというのが国民年金法の理念である

▼一九五九年につくられた国民年金法は保険料の支払い能力がない人も制度の対象にしたと、南山大学の岡田正則教授が書いている。所得の少ない人には保険料を免除して、将来年金を受けられる道を保障すればいい。免除期間中に障害を負った人には、障害年金を支給することとしていた

▼この国民皆年金の適用対象から、学生が除外されていた。任意加入すれば、必ず保険料を納めねばならない。苦学生を救済する免除制度は、用意されてなかった。制度の積極的な周知も怠り、加入率は1−2%。その結果生まれた四千人ともいわれる学生無年金障害者への年金支給を、厚労省は拒んできた

▼膨大な年金保険料の記録を無くした上に、「領収書を持ってこい」と支払いを拒んできた役所らしい対応だ。問題は最高裁である。二十八日の判決では、国が救済措置を取らずに放置した「立法不作為」などにどんな憲法判断を示すのか。年金ばかりか、司法への不信も高めないか心配だ。


[新潟日報9月20日(木)]