ドビュッシー:チェロソナタ
この曲は1915年に書かれ、ドビュッシーの晩年の作品で最も完成された曲の一つです。この曲は人生のいろんな側面を表していて、一部をクラウン(ピエロ)に例えて表現しています。この曲では、第二楽章を中心にクラウンが喜怒哀楽の特に喜と哀の部分を強く表現しています。また、第一楽章は、チェロのモノローグから始まり、
雄弁なところと哀愁が入り混じったとろにも、それを感じることができます。
私が思うに、ドビュッシーは自身とピエロを重ね合わせていたのではないでしょうか。当時のドビュッシーは病気を患い、時代背景は第一次世界大戦などの情勢の不安定があり、沈みがちな精神状態だったでしょう。ですが、作曲家としての生命力やフランスへの愛国心で表面上だけでも毅然としたいという気持もあったと思います。
その葛藤が、ピエロの哀愁であり、喜劇的であると思ったのでないでしょうか。
一緒に演奏するチェロの横坂源さんは素晴らしい才能の持ち主であるだけではなく非常に努力家で、一度こう思うと徹底的に作り上げるところがあります。この曲は演奏上、楽曲を弾き分けるのが難しく、演奏者は演じなくてはいけないので、一筋縄ではいかないと思います。彼なら素晴らしい音色と孤高の精神で見事な演奏をしてくれると思っています。
ドビュッシー:映像第1集
映像第1集は1904年から05年に作曲され、「水の反映」、「ラモー賛」、「動き」の3つの曲からなっています。ドビュッシーはデュラン社宛の書簡に「この3つの曲は、全体にうまくまとまっていると思います。自惚れからではなく、ピアノ音楽の歴史の中でこれらはシューマンの左か、ショパンの右かの席を占めることになるだろうと確信しています。」と書いています。
その自負に違わず、20世紀初頭としては、和声上、楽曲構成上、リズム上、革新的な作品です。
「水の反映」水の動きや、流れの勢い、太陽の光による陰影など、水を絵画的に、詩的に、あるときは擬人化してリズムやメロディーを構成しています。左手のバスの響きに、右手の倍音を乗せるように演奏するといいと思います。「ラモー賛」は敬愛した作曲家ジャン・フィリップ・ラモーへの賛辞を通じて、フランス人としての誇を永遠に象徴化した曲です。
フリギア旋法や自然倍音音階を意識し、美しく響くように左右のバランスをとりながら演奏していく感じです。「動き」は完全5度のドとソの間に、レとミとファの動きの反復で最初の主題が成立しいて、その無窮動にも聴こえるリズムの上に様々なモチーフが重ねあわされて、抽象的な美しさが極まっています。
ブーレーズ:ピアノソナタ1番
1946年に作曲された初期を代表する曲で、限られた音の半音の集成による音列を、様々な方向や音域に展開してソナタを形成しています。このピアノソナタ1番はヨーロッパの楽壇に驚きをもって称賛され、のちの作曲家に多大な影響を及ぼしました。もしこの曲がなかったら、後に続く曲が少なくなったと思われ、歴史を変えた感があります。
メシアンもこの曲を高く評価していました。
メシアンが講師をしていたドイツのダルムシュタット夏季現代音楽講習会で、ブーレーズは頭角を現していました。そのころのメシアンの考え方はブーレーズにも浸透し、展開、拡大されています。ブーレーズがメシアンと違う点は、人間の感情を排除して、音のみの抽象性が際立っていている点です。
メシアンも「音価と強度のモード」という発想が似た曲があり、数学的な構想で作曲されていますが、その曲でも人間の聴覚的感性を優先させたという違いがあると思います。
メシアン:「鳥のカタログ」第一巻より第2番「キガラシコウライウグイス」
鳥のカタログは1956年から58年にかけて作曲されました。キガラシコウライウグイスがさえずるときに、他の鳥たちも彩を添えています。数学的な構築が散見され、そこにキガラシコウライウグイスさえずりを分析した音が一緒になり、再構築されています。鳥がテーマの曲ですが、最後に宗教的な部分があり、
至福に満ちた響きを感じるところが素晴らしいと思います。この曲をメシアンに習ったときには、左手の出だしの完全5度の第5音を普通よりちょっと浮き立たせるように演奏するよう言われました。それが、メシアンらしさでもあると思いました。
メシアンもドビュッシーも自然を愛していることには違いはありませんが、ドビュッシーは自然を文学的、哲学的、美学的に咀嚼して作曲しました。メシアンは鳥類学者であったこともあり、鳥のさえずりを生かして、自分の表現したいものを作曲した点に違いを感じます。
ドビュッシー:ベルガマスク組曲
この組曲は「プレリュード」、「メヌエット」、「月の光」、「パスピエ」の4つの曲から成り立っており、1890年ごろから1905年頃までの15年の歳月をかけて作曲されました。旋律の呼吸が途切れぬよう、長く歌が継続するように演奏に配慮しています。また、リズムもよく特徴を考え理解しながら、歌を大きくとらないと、
ドビュッシーの思うところの表現が違ってきてしまうように思います。
ドビュッシーの「月の光」は、私のリサイタルのアンコールでは本編に入っていない限り、演奏しているので、数え切れないほど弾いていると思います。まろやかな、中間色の音色で、旋律がなるべく多声的で自然に横に流れるように弾くようにしています。この曲は特にお客様と心が通じる瞬間が分かるので、心の交流を得る、至福のひと時となります。
ドビュッシー:版画
版画は1903年に作曲され「塔」、「グラナダの夕べ」、「雨の庭」の3曲からなります。中国、スペイン、フランスをイメージして作曲されているので、心の中で旅するように演奏すると、リズムと性格付けに役に立ちます。「塔」は五音音階を主題として、ロ長調の主和音に付加された美しい和音外音が、東洋の神秘を感じさせます。3曲とも最弱音で表現するところが多く、
その時に音色が曖昧にならないように、特に「塔」では明瞭になるよう、両手が独立するように演奏を心がけています。「グラナダの夕べ」はハバネラのリズムが生かせるようしています。「雨の庭」は乾いた庭に雨がぽつぽつと降るイメージを持って、フランスの童謡から引用した旋律を上手く融合させながら気を付けています。強い音も多くみられますが、単に強い音というのではなく、
雨のイメージが崩れないように、流動性のある表現がいいと思います。
音楽遺産 〜受け継がれる感性〜(チラシ裏面)
「遺産」とは残された財産という意味ですが、有形、無形の両方があり継承していくもの、という感覚が私にはあります。
音楽は、作品から人、人から人へと継承されるものだと思います。私の師であるメシアンはドビュッシーをとても熱心に研究することで、その聴覚を受け継いだのではないでしょうか。ブーレーズもまたドビュッシーに傾倒していましたから、作品からの継承はもちろんのこと、メシアンに師事したことでメシアンからのエスプリも引き継ぎ、それを展開しました。
そのどちらも、幾ばくかは私に伝わり、今回共演する類まれな才能を持つ横坂源さんにも移り、聴衆の方々にもきっと届くことでしょう。
今回演奏する浜離宮ホールは素晴らしいホールで、最低音から最高音、最弱音から最強音まで、気品高く調和して隅々まで響きます。使用する楽器は前回と同じくYAMAHA CFXで、ピアノ技術者は鈴木俊郎さんです。CFXは演奏者が望む多彩な機能を備えているので、その精神を繊細に反映してくれます。
そのピアノを、鈴木さんが調律してくださるので、私は信頼し、音に身を委ねられます。
リサイタルはいつもとてもハードではありますが、終わった後には得も言われぬエネルギーが満ちてきます。そのエネルギーはお客様からいただくもので、次の演奏に転化、昇華していく力となります。
継承と支えと循環の複合したイメージを「音楽遺産」という、今回タイトルに込めました。過去、現在、未来へと続く「音楽遺産」を皆様と創造できることを今から楽しみにしております。
写真上:2016年4月15日 浜松アクトホール 横坂源チェロリサイタル
写真中:2016年4月5日 銀座ヤマハホール CD「ドビュッシー&ショパン」録音
写真下:2015年9月15日 浜離宮朝日ホール 藤井一興ピアノリサイタル