電友下越 61号(H24.4)               電友下越へ戻る

 

 

 

 

○「趣味はインターネットに助けられ]

                                    新潟市中央区  相 馬  一

私は『趣味』を難しく考えないで興味の有る事を楽しめば良いと思い、満足出来れば何でもOK!と自分ペ

ースで楽しんでいます。子供の頃は「鉄道、船舶模型」の制作に熱中し、50歳代からはドライブ一人旅」、

 「ゴルフ」、「城や城下町」の探訪、最近は「県内の戦国山城」の探訪など雑多です。

 中学生の頃は船が好きで新潟港の中央埠頭へよく行っていました。港には貨物船、タグボート、巡視船艇、

艀等の出入りがあり飽きもせず見るだけで満足でした。丁良この頃、海上自衛隊初の国産護衛艦「はるかぜ]

 (旧駆逐艦クラス)が三菱重工長崎造船所で建造され私の中では美しさが秀でている特別な思いの艦艇でし

た。この護衛艦は昭和31年から30年間就役した後、昭和61年に江田島第1術科学校で係留実習艦とし

て使用されていましたが、傷みがひどくなり平成14年に解体されました。

 中学生当時のこと市内の模型店で「はるかぜ」の木製キット(全長70センチ)を見つけその年の夏休み

は製作に没頭し、今も大切に持っています。当時は資料が少なく細かい個所は想像しながらの大雑把な作り

でいつかは精密模型を作りたいと思っていました。

 あれから50年が経ち忘れかけていましたが一昨年の春、帆船模型を作る方と知り合い「はるかぜ」の精

密模型作りに挑戦することにしたのです。          写真をクリックすると大きくなります

 50年も前の艦船ですから困ったことに設計図作成に必要な手掛かりがありません。そこでインターネッ

トで情報収集が出来るのではないかと考えました。早速、「はるかぜ 護衛艦」でキー検索をしたところ貴

重な情報の中に解体直前の「はるかぜ」の写真20数枚と防衛大学校展示室に三菱重工長崎造船所が製作し

た「はるかぜ]1/100の精密模型があることが分かり早速、担当教官に連絡を取らせて頂いたところ、

経年劣化で傷みがひどく分解修理中であるとのこと。私にとっては千歳一隅のチヤンスでした。防衛大学へ

出かけ粘土で船体の形どりをしたり、艦全体や艤装晶の写真を撮ったり沢山の貴重な資料を得ることが出来

ました。模型ながらも全長1メートル、巾10センチで家の柱のような角材が必要です。細工がやりやすい

ホウの木を探しましたが見つかりません。インターネットで探したところ岐阜県飛騨市の製材所で見つかり

特別注文しこれで準備は整いました。製作2年目ですが鋸や特殊カンナで削り、ヤスリを使っての仕上げ工

程で船体はほぼ完成です。現在は艦橋や甲板蟻装に取りかかっていますが完成にはあと1年はかかりそうで

す。

 インターネットのことは一昔前にはパソコンが高価でネットワークがまだブロードバンドではない環境

だったので、利用者が少なく情報も格段に少ない状況でした。

 私は定年後に自分の時間を持つことが出来て、今は電友会サークル「インターネットを楽しむ会」に入会

したり、『趣味』の資料を収集したり、越後の「城」や「戦国山城」に関しては郷土史家やマニアなどの埋

もれた資料の発掘などインターネットは大変役に立っています。最近はホームページの作り方の手ほどきを

受けたり1日3時間もパソコンの前に座っていることもあります。

これからも生活に張り合いを感じられる趣味に出会えるといいと思っています。

(次回は新潟市東区の 松田 猛さんにお願いします)