57号(H23.4) 電友下越へ戻る
○半世紀以上のお付き合い統計課OB会
北 沢 和 夫
新潟電話局に昔、統計課がありました。通話量や交換機の稼働量を調査する課で、自動運用部門が誕生
する昭和30年代後半までありました。この課のOB会は、数代の新潟電話局長が会長だった時代もあっ
たという会で、半世紀以上も続いています。幹事を50年以上もしている方もいます。毎年20名以上の
参加者で、東京からの参加者もいます。年齢は70才未満が1~2人、あとは70才以上です。かなり昔
の話が出て来るので、採用をお聞きしたら昭和11年といわれ驚いたことかありました。
上司が大勢おられ頭が上がりません。直属の課長だった方が4人もいます。女性を含め係の先輩もいます。
私は70代前半ですが今では若手と言われ、時には気合を入れられます。ぼやっとしていると若手、手伝っ
てやれといわれます。私も自然に半世紀前の部下に戻り、体が動きます。
会で初めて知り合った方もいます。新潟出身で本社へ行かれ、その後各地に赴任した方、結婚を機に退職
した方です。毎年今っていると半世紀前からの知り合いたった感じがします。
酒の強い先輩の方々は昔と同じです。会は昼の11時頃から始まり夕方近く散会です。若手組はもう限界
で、この時に帰ります。先輩の一部の方々はさらに夜の部に移ります。
後輩の入会がないので、今でも若手扱いにされますが、その気になって元気が出ます。頭の上がらないこ
ともありますが、懐かしい皆さんに会えるので楽しみにしています。
(次回は新潟市西区 小関淳司さん にお願いします。)
(事務局から)
今回の地震は千年に一度とのことてすが、本当にひどい惨状でした。
私事ですが、3月15田こ被災地の東根高市に向かいました。新潟市を午前11時出発し同市に
午後6時半に着いたのですが、道中、停電のため各家庭、コンビニは勿論、信号も点いていなく、
真っ暗で行き交う車もほとんど無いその静寂さはなんともいえませんでした。でも、カーナビは目
的地までキナンと案内してくれました。(カーナビには本当に感謝です。)
翌朝、分かったのですが、津波が来たと思われる道路の両側は1m以上の瓦礫が続き、ところに
より流されてきた自動車や家屋の一部など大災害のツメ痕を残しておりました。
新潟への帰途では、前日にガソリンを満タンで330km走行したので、朝から給油のつもりがず
っとできず、山形県小国町までやっと着き、3軒目のガソリンスタンドでようやく10リットルを給油し
て無事帰ってきました。
この大震災からの復旧、復興には大変な資金と時間がかかるものと考えられます。
個人では少ないかもしれませんが、多数の会員の義援金で被災された仲間に少しでも役立てれば
と思います。
(担当 宮島)