第52号(H22.1) 電友下越へ戻る
○長男はつらいよ 阿賀町 西村 力
普通部電信科印刷通信班訓練生として長野電気通信学園へ入寮せよ、ついては寝具一式
を送りなさいとの通知があったのは、確か昭和41年3月に入ってからだと記憶してい
る。
私の生家は福島県境の山あいにあり、夏は暑く冬は厳寒豪雪でまさに人間の住めるよう
な土地ではないが、先祖様からの授かり地で、皆我慢しながら自給自足の生活を送ってい
る貧乏集落である。
新しい寝具をそろえられるほどのゆとりはなく使い古しの布団はなんとかおくったものの
着ていくスーツなどあるはずがない。つい先日まで来ていた学生服にズックという格好で
入寮した。同期の仲間と権堂界隈へ繰り出すときは決まって誰かが着古しのブレザーを貸
してくれた。仲間は恵まれた家庭で育ち真新しいスーツを何着か持ち合わせていたので古
着の一枚くらいくれてもよさそうなものにと思っていたが寮に戻ると決まって持ち帰って
いった。でもありがとう。41普電のみんな。
それから文字どおり波乱万丈な人生がスタートし、平成20年3月定年年齢を迎えた。
この間上司・先輩・同僚の皆さんに支えて頂いて42年の会社勤めに終止符を打つことが
できた。ほんとうにありがとうございました。
この辺では長男があとを継ぐというのは至極当たり前で先輩方が皆そうであったように
私も何のためらいもなく退職後は家に入り家督を継ぐものだと思い込んでいたことから特
段のトラブルもなく平成20年4月、家族を新潟の自宅に残したまま独り身で親元へ戻っ
た。
[誤算]
農作業は子供の頃から手伝いをしたりこの目で見ていたので2~3年親から技術指導を
受ければ何とかできると踏んでいた。親父イ・‥肥料何使えばいい?そうだな上の田から
蒔いてこいなんて会話がかみあわない。それもそのはず親父は極度の難聴に見舞われてい
た。
畑作は専ら母が工作しており、畝はどうやって立てるんだと聞けば縄を張ってその上を
鍬でひびけという。ひびけとはどうするのだと聞けばお前は百姓一年生でなにもわからな
いよくもまあ百姓するなんて言ったもんだと怒り出す始末。無理もない。親は農具を持っ
て指導できるほどの体力がなくなっていた。大きな誤算であった。
誤算の極めつけは昨年秋の収穫期、脱穀の際ハサ木8段目から転落落下、第3腰椎圧迫
骨折、遺憾とも仕方なし全ての作業を放り出して安静加療4ケ月、親父によればハサ木の
作り方がへタだったからとか。何言うか親父は指一本ふれなかったくせにと腹立たしい。
後日親父から米は例年より2俵多く獲れたぞとの報告にあわせ、腰を痛めては米つくりは
無理、親も高齢でもう限界だからこの際田の耕作はやめようとの話しが持ち上がり、家庭
一同にそれがいいということになり、私がこだわりをもって耕作しようと始めた稲作は無
念にも1年であきらめざるを得なかった。
[転作]
幸にも腰の怪我は3月頃には張りは若干残っていたもののほぼ痛みもとれ普通に動ける
までに回復できた。こうなるとじっとしていられない性分、これまで親父の代まで米を作
ってきた田んぼを私の代で荒らしたくない。何とか他の作物ができないかとの一念で農協
等相談に駆けずり回った。当阿賀町ではそば栽培を奨励している。毎年奨励金ももらえる
からそば栽培に転作してはどうかとの助言を得た。
そばは私が子供の頃母が作っていた。作付けは期間が三ケ月位と短く農協が買い上げてく
れる。自分で栽培してそば粉に引いて自分でそばを打つ。これにこだわってみようかと一
念発起、活動開始。そばは水を嫌う作物なので排水をよくしなければならない。毎日のよ
うに田んぼに通い溝を掘って田の中に床型の畝を立てた。畑の形は出来たものの長雨が続
いてなかなか種が蒔けない。8月下旬にようやく蒔くことができた。本来8月上旬には蒔
き終えるのがいいらしい。この分だと実が付かない心配はあったが結果を待つしかなかっ
た。うれしいことに3~4日で芽が出始めみるみるうちに青々とした畑に生まれかわってい
った。こうなると毎日会いに行<のが楽しくてしょうがない。耕運機のエンジン音を響かせ
てルンルン気分で芸道を駆けてく。
ある早朝、農道の急斜面で草を食べている二頭のにほんカモシカに出会った。草を食べな
がら私の通りすぎるのをじっと見ている。リスも毎日ほぼ同じ場所で私の姿を見つけると
あわてて森へ逃げ込む。こんな楽しみをしながら毎日のように通い、生育も順調に思えた。
田んぼ一面にそばの白い花が敷き占められこの分だと結構の収穫がみこめるかなと楽しみ
もふくらんでいった。
ところが他の人は収穫が終ったというのに一向にそばの実がつかない。普及員さんにき
て観ていただいたところ花粉を運ぶハチとかあぶとかの昆虫が少ない土地で受粉していな
いから実はつきませんとぱっさり。なんともショックな話しでありませんか。でも種蒔き
が遅かったのでもう少し待ってみようと辛抱強く実のつくのを待った。
奇跡はおこらなかった。花は全て落ちてしまいみすぼらしい姿のそば畑になり見るに見か
ねて断腸の思いながら草刈機械で刈り取り家まで運んで堆肥にするのがやっとであった。
[ヘルパー]
高齢に伴う体力の減退の早さに驚いた。この夏ごろまで家の裏の畑からきゅうりとかナ
ス等の野菜を採ってきていた母が最近眼がみにくくなったので転ぶといけないからあまり
外へはでないことにするとか言い出したかと思った矢先、家の中でも思うように動けなく
なってしまった。サァ大変炊事・洗濯・掃除・ゴミだし等全てが私に振りかかってきた。
一番困ったのが炊事 何を作るかが毎日の悩み。二人はさっさとテーブルに腰掛て今日は
なんのごちそうかななんてのんきなことを言っている。
このほかにも毎月定期健診に二人を病院まで連れて行き薬を処方してもらわなくてはな
らない。これがまた一日がかりの大仕事なのだ。
あれやこれやでもう限界。このことを家内に言うと“何をいまさら自分から進んで選ん
だ道じゃないの、こっちはこっちで大変なんだからぐちは言わないでなんとか乗り切って
よ”とぴしゃり。わかってはいるけどさ。ちょっとだけ言わせて 長男はつらいよ・と。
(次回は弥彦村の高橋レンさんにお願いします。)