管理組合への支援


知人数名でマンション管理組合を支援するため、顧問建築士協議会で活動されている今田会員のお話を伺いました。
後に機会があり、支部会報に執筆頂いた文章を転載します。
なお、勉強会では、実際管理組合の顧問としての活動によって、
管理委託の問題(内容を見ずに委託料を支払っているなど)を指摘されるとともに、
委託内容を精査した実例などを公開していただきました。


マンション管理組合への支援を通じて

マンション管理を巡る諸問題が取り沙汰されるようにようになってどれほどになるでしょうか。
阪神淡路大震災以降ジャーナリズムで取り上げられることが多くなったようですが、
この大不況の「おかげ」で管理組合もコスト意識の面では以前から比べると随分変わったようです。
1960年代から本格的に供給され始めた分譲マンションの急激な老朽化を看過出来なくなって、
議員立法により平成十三年から「マンション管理適正化法」が施行されることになったのは周知の通りですが、
果たしてどれほど事態が改善されるか大いに疑問が残る処です。
と言うのも問題の根の半分はむしろ「住民側」にあるのであって、
建物管理の問題など全く関知して来なかった私達建築家の怠慢もさることながら、
要は詰まるところ、現代社会の至るところで遭遇する「自己責任の欠如」の結果ではないかと言う気がしてならないからです。

 管理組合はご存知の通り殆どがボランティアで運営されています。
輪番で止む無く、あるいは大抵が「運悪く」くじを引き当てて理事に「ならされた」人たちにとって、概ね一年の任期と言うものは
建物管理の何たるかを垣間見るだけの期間でしかないことは無理もありません。
その一年を大過なくやり過ごすのが精一杯で、果たして管理組合が健全な財務内容を維持しているのか、
適正な管理が適正な価格で提供されているのかは無論のこと、
建物の劣化がどれほど進行しているのかなど意識する余裕を持ち合わせている人は殆ど皆無と言って良いでしょう。
結果として自己の財産管理を無批判に他人任せにする以外に為すすべを知らない状況が至るところで放置されているのです。
ただこれは必ずしも無理からぬ事情ばかりとは言えません。
その底辺にはわが国の市民社会共通の「他に依存する体質」が見え隠れしているように思います。

言うまでもなくマンション管理は本来所有者自身が行うべきものなのですが、
周知の通り圧倒的多数の管理組合が管理業務を「一括委託」しているのが実状です。
管理費の名目で家賃の如く支払われる、事実上「全てが金で済む」世界で、当事者としての「主体性の発露」など望むべくもありません。
マンションが急増するなかコミュニティーの崩壊が叫ばれ始めて既に久しいのですが、
それもその筈、共同財産さえ満足に管理出来ない処でコミュニティーなぞ芽生える訳がないように思います。
そう考えると所謂「一括まる投げ管理」の弊害はただ単にマンション管理の世界に止まらず、
私達の想像以上に大きいのではないでしょうか。
何事によらず「金で済ませよう」とする悪しき慣習から脱却し、管理組合、つまり個々の市民が主体性を取り戻して
お互いの共通の利益のために汗を流し知恵を出し合うことこそが、
市民意識を高めひいては健全で自立した地域社会を形成する上で重要な意味を持つのではないかと言う気がします。

もっとも、ことは言葉で言うほど簡単ではありません。何故ならマンション管理の世界は一般市民にとってあまりにも
「専門的」であり過ぎるのも成る程厳然たる事実だからです。
一体何をどのようにどれくらいのコストをかけて管理する必要があるのか、門外漢にとってはおよそ闇に近い世界であるに違いありません。
そこに目をつける良からぬ業者が横行するのも当然の成り行きであって、そのことがマンション管理が社会問題化する一因にもなっているのはご存知の通りです。
この闇の世界に光をあてることが出来るのは今のところさしずめ建築家なのですが、
残念ながら「専門家」として管理組合を支援している建築家は殆ど見当たりません。
新法のなかで創設が予定されている「マンション管理士制度」の詳細はまだ未知数ですが、
本来は建築家こそ一番近い位置にいる筈であることは間違いありません。
いわば建築家の怠慢がこの新制度の生みの親となったと言って言えないことはない、
そのことを私達建築の世界に住む人間として悲しむべきなのでしょうか喜ぶべきなのでしょうか。

「建築家」は殆どの市民にとって遠い存在でしかありません。
それは建築家の「顔」が間近かに見える機会が極めて少ないからでしょう。
その意味では機会ある毎に市民支援を展開している弁護士の方が市民にとってよほど身近な存在かも知れません。
もし私達建築家がこれまで市民社会が求めた時に求めた場所に居なかったとするならば、そのことを素直に恥じなくてはなりません。
それぞれがそれぞれの社会的使命を全うすることが社会的地位向上の第一歩であることは言を待たないからです。
建築家の社会的評価は誰がするのでしょうか。それは誰でもない市民社会がするのです。
(JIA NEWS200106号より転載、執筆者:今田 雄二会員)