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<滝原宮の御手洗。冷たい川水で手を清める。
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<滝原宮(右)。左は滝原竝宮。雨もあって清石と
白石の対比が鮮やか。 >

<多岐原神社の裏手、宮川河畔。>

<久具都比賣神社の御手洗。かわいい。>

<伊雑宮の境内にある不思議な樹根。一升瓶が
供えてある。>

<佐美長神社に合祀されている4社。小さくても、
ちゃんと千木も堅魚木もある。>
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滝原宮とは比べものにならないくらい、小さくひっそりとした社。お参りしたあと、「降りられるかも」と宮川の川原に降りてみる。
前の年、次々と日本列島にやってきた台風の被害で全国に報じられた宮川村は、この宮川の最上流にある村。目に付いた、根こそぎ倒れた巨木や竹林がなぎ倒された跡は、どうもその名残らしい。川面から数メートルは上のその有様に、中西さんも「あそこまで水が来たんやなあ」。中西さんは、宮川村へ植樹をしにいったそうである。
森のことはよくわからない私。「あそこまでの台風になると、もう森の手入れ云々ではないんでしょうか」と、聞いてみた。
「や、やっぱり根の張り方が違う。ちゃんと間伐せんと、木の根がどうしても浅くなるんやな」
そういえば遠山郷で、福井の渡辺先生が、一本の木が抱える地面の量について話をしてくださったことがある。一本の木が抱える地面の量が少ないと、陽もささず、脆くなって、崩れやすい。
神様が怒るんや、と渡辺先生が言っていた。
そして、いずれあの辺も崩れるやろう、と森を指さしていたことも。 多岐原神社を出て、進路を東へ。
度会町でお昼。うな丼である。関東では、タレは御飯にさっとかけてあるだけだが、伊勢では粒ひとつひとつにまで絡められている。茶色い御飯の上に、腹から拓いたうなぎ。身も厚く、ふわふわしていて美味しい。
再び地図を片手に東へ走る。
上久具にある久具都比賣(くぐつひめ)神社も、ぽこんとした鎮守の森が集落の端っこにある。多岐原神社と同じく宮川の河畔。その入口、御手洗は両手で抱えられるくらいの岩の上部が削られて、恐らく自然に水が溜まったもの。柄杓がちょこんと置いてあり、中西さんと二人、思わず「いいねえ、これ」。
そのあと宮川沿いを北上、園相神社へ。
ところがこの神社、今までの神社や宮と違って、標識が何もない。「それっぽい鎮守かも」と思いながら、標識のなさに油断していたら思わず通り過ぎてしまった。次に行った、園相神社から車で数分の川原神社は派手なパチンコ屋の裏手にそれとなくあり、あまりのひっそり具合。
川原神社は、まだ社殿が新しかった。「そうは言っても、数年は経ってるけど」と中西さん。
ご遷宮は、御正宮を皮切りに、別宮、摂末社も行うのだが、一斉にではなく順々にするそうだ。川原神社は前回のご遷宮のとき、遷宮の順番が遅かったほうに入るのだろう。
ちなみに河崎にある河邊七種神社のような、摂末社に属さない氏神もご遷宮をするそうだが、それは20年ごとと決まってはおらず、「やれるときにやる」のだそうだ。氏子の管轄だけに、20年ごと、というのは、やっぱりえらいそうである。「おし、次、どこ行こうか」
と、中西さんが言うので、ちょっぴり恐れ多いながらも、
「あの、行けたら磯部へ……」
「行ける行ける。よし、伊雑宮やな。途中で天の岩戸も寄っていこう」
磯部は滝原宮なみに伊勢から遠いところ。しかも、滝原宮からも遠いところ。早い話、かなり図々しいお願い。
川原神社から伊勢市街へ入り、月夜見宮へ。一風変わった稲荷神社も境内には合祀されている。
別宮と摂末社では、やはり何か雰囲気が違う気がする。
ここで、千木と堅魚木の復習。これまで回って来たのは内宮系の別宮や摂末社だったが、月夜見宮は外宮の別宮。千木の先は垂直で、堅魚木は奇数。「なるほど〜」。
旅館組合でコーヒーと、空っぽのペットボトルを二ついただいて、出発。
御木本道路を通り、内宮さんを横目に五十鈴川を渡り、伊勢道路へ。左手に、渓流が流れる。内宮の境内の中を流れ、五十鈴川へ注ぐ島路川の上流である。
ふと景色を見遣ると、木々の先が仄かに紅い。
今度は新潟・高根の遠山実さんの言葉を思い出す。「木の先が紅くなっとるろ。あれ、春が近い証拠」。
実は伊勢に来る直前、実さんの働くスキー場へ行っていた。毎日がガンガンの豪雪。そのなかで、けれど確かに色づいていく木の息吹を、実さんが教えてくれた。
伊勢の木々も、先が紅かった。
春なんだなあ、と思った。 伊勢道路は、片側一車線ずつがきちんと整備されているとはいえ、れっきとした山道。そこを、がんがん車が往来していく。
磯部と伊勢を行き来するには一番早いから、と中西さん。事故も多いらしい。
峠を越えたところで、大きな看板。『全国の名水百選 天の岩戸』。
ちょっぴりの寄り道で、伊勢道路から外れる。1キロちょっとほど山に入り、車をとめて数分歩くと、水源地が祀られていた。
まるい味のお水。
遠くから汲みにくる人もいるそうで、確かに、駐車場の一角に、本来ならスーパーで見られるはずのカートが置いてあった。
旅館組合でもらったペットボトルに水を汲んで、再び伊勢道路へ。
すぐに、田園風景が拓けてくる。
あれが伊雑宮、と中西さんが指さした先に、田んぼのなか、やっぱりぽこんと鎮守の森。
伊雑宮のそばには御田(神田)もある。境内に入ると衛士さんが掃除中だった。お参りの帰り、社務所のそばに不思議な形の木が。根元がぼっこりと大きく膨らんでいる。「何か抱いとるんかもしれませんなあ」と、社務所をふき掃除していた方。一升瓶が供えられていた。
そのあと、車で数分の佐美長神社へ。入口の前の路地はまっすぐ小学校の校庭に続いていて、ちょうど子どもたちの下校時間だった。
境内の片隅に、合祀されている4つの小さな社が並んでいた。小さくとも社。ちゃんと千木も堅魚木もあり、可愛らしかった。
近鉄線沿いに国道167号を北上。途中、地名の話になる。
国崎(くざき)、兄国(えぐに)、相差(おうさつ)、相可(おうか)、etc。読めない地名が多すぎます、ほんと。けれど、地名にはやはり意味があるもの。今度、滝原宮のある大宮町も合併で名前が変わるとか。合併する三つの町村の漢字をくっつけた名前になるらしい。「大宮って、滝原宮のことやと思うんだよな。それを合併、合併でくっつけたり、まったく変えてしまうんでは、歴史も何もわからなくなってしまう」と中西さん。
愛知でもめているセントレア市は、やっぱり腑に落ちない、と思う。 鳥羽の近く、赤崎神社は古座が見あたらない神社。ここもやはりひっそりしていて、またしても通り過ぎかける。
遷宮地がなさそうなので、同じ場所で建て替えるのかな?と首を傾げつつ、この日の旅は終わりとなった。
鳥羽から二見を回って、河崎へ。南町の家には16時半ころ着いた。
総走行距離およそ150キロでした。 |