[ 1999年近代文学会秋季大会発表要旨]
日本近代文学会『会報』91、1999年9月1日、掲載

〈文芸と人生〉論議の再構築――青年思潮と〈人生観上の自然主義〉から――

 〈文芸と人生〉は「芸術と実生活」「実行と芸術」などとも呼ばれ、明治四一年から四二年にかけて自然主義思潮の主要論題となった。この論議については早くから注目が集まったが、先行論は後の「政治と文学」「私小説」の問題から遡及的に論じたり、著名作家を対象とした個別論や、彼らを結んだ文壇的見取り図に止まる傾向が強い。したがって若い批評家や投稿評論の傾向までをも含めたこの論議の裾野の広がりが視野に入っておらず、論議の推移を方向づけた〈世代〉間の差異も見過ごされている。

 本発表では、この〈文芸と人生〉の問題を論争当時の広がりと錯綜のなかに引き戻し、その全体像の構築と文学界に及ぼした影響についての再評価を試みる。再考のキーにするのは次のことがらである。検討の対象を若い無名の批評家たちの論にまで拡張すること。論議を時期と参加者・論題などから二期にわけて考えること。論議と時期的に平行して起こっていた諸問題との連関性を測ること――文芸と(社会)道徳の問題、文学者という「職業」の問題、〈人生観論〉の系譜、批評論――。論者たちの〈世代〉による差異の問題を考えること。その差異と、論議の収束先である〈人生観上の自然主義〉を導いた動因との関係を考えること。

 論議のおおよその流れはこうだ。自然主義の主唱者であり擁護側メディアの責任者である島村抱月・長谷川天渓らが、〈出歯亀事件〉との混同などによる自然主義バッシングに対して抗弁し、自然主義が「文芸上の」問題であることを強調する。これに対し岩野泡鳴が横合いから文芸と実行の「合致」を唱えて批判、論争の形を取りはじめる。これが第一期で、泡鳴を除くおおかたの論調は「文芸対道徳」の文脈を離れない。

 第二期は、対道徳の文脈から切れた文学界内部の論題として始まり、そのため参加者も論議の範囲も格段にその幅を広げる。論題は人生と文芸との関係一般や、現実生活の「実行」と文芸創作時の「観照」との関係などに開かれてゆく。論争が浸透するにつれ、若い世代の発言も顕在化しはじめる。「実人生」が論議の俎上にのぼりだし、〈人生観論〉に代表される先行/同時代思潮が参照・導入されていく。論調は徐々に〈人生観論〉の傾向を強めていき、「観照」側にあった花袋・天渓が軟化して、抱月が「人生観上の」自然主義へと足を踏み入れたとき、文壇的な大勢は決まった。この変移は、そのまま〈人生観論〉に親和的な若い世代の発言が活発化してゆく過程でもあった。

 問題の焦点は花袋・抱月らの陰にあった青年たちの思潮にあり、ひいては自然主義の多層性にある。おそらくこの〈文芸と人生〉論議が明らかにした最も注目すべき変化は、花袋らによって立ち上げられた文芸上の自然主義が、青年たちの手の中へ、より広い「(青年)思想」の問題として奪胎されつつあったことだ。〈人生観上の自然主義〉の問題は、さらに理想的文学者像の変容、作者自身が登場する(とされる)小説の「誤読」、雅号と実名の問題などにつなげられるはずである。