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〈注〉LLD「中央文壇に於ける文士分布図」
注釈について
- 注釈は、記事の執筆年月を明治43(1910)年4月として考えて作成した。
- 注釈に際し、次の文献を参照した。『日本近代文学大事典』(講談社)。
本所方面
伊藤左千夫
幸田露伴
饗庭篁村
荷風の江戸憧憬の「二三の作」
「電車の路は十文字・・・・・」
浅草方面
島崎藤村
所謂柳橋趣味
常磐津
下谷方面
千葉掬香
河東碧梧桐
田村松魚
田中喜一
木下尚江
エクゾチシズムといふ言葉が流行語
満更理由がない訳ではない
払子
小娘
「蘇生の日」「建築師」「ヘツダ、ガブラア」
本郷方面
赤門派
内藤鳴雪
木下杢太郎
平木白星
砲兵工廠の煤煙
徳田秋声
三井甲之
小宮豊隆
『中央公論』
文芸の革新を呼号
森鴎外
しげ子夫人
『青年』
生田長江
高村光太郎
高村光雲
三島霜川
坂本文泉
物臭太郎的生活
久保天随
野上臼川
同弥生子
えらい原稿料を取つた
吉田白甲
小石川方面
かの砲兵工廠
大町桂月
姉崎嘲風
樋口龍峡
尾上柴舟
兒玉花外
登張竹風
生方敏郎
小村寿太郎
坂谷芳郎
高等師範
佐々醒雪
佐藤紅緑
田中前宮相
徳田秋江
正宗白鳥
女子大学
相馬御風
大町桂月
三津木春影
秋田雨雀
人見東明
牛込方面
西村酔夢
金子筑水
楠山正雄
北原白秋
春雨改め中村吉蔵
窪田空穂
白松南山
若山牧水
松原至文
中村星湖
夏目漱石
小川未明
真山青果
清国の留学生
庇髪
褄を取つて潰し島田の意気な
三木露風
柳川春葉
中島孤島
森田草平
馬場孤蝶
昇曙夢
内田魯庵
柳田国男
支那人の学校
島村抱月
坪内逍遙
永井荷風
安倍能成
文芸協会附属の俳優学校
戸山学校
英訳で窺つた露西亜の荒野
岩野泡鳴
戸川秋骨
吉江孤雁
田岡嶺雲
矢崎嵯峨の舎
例の有名なる遠藤きよ子女史
竹越三叉
松居松葉
水野葉舟
草野柴二
服部嘉香
金子薫園
大久保だけの文士倶楽部
四谷方面
安成貞雄
田山花袋
幸徳秋水
徳富蘆花
赤坂方面
三宅雪嶺
伊原青々園
桐生悠々
徳富蘇峯
千葉江東
河井酔茗
1874-1965。詩人。この時36歳。明治28年から『文庫』記者となり積極的に活動した。明治40年にこれを辞すると、同年6月に詩草社を創立『詩人』を発刊した。ただしこれは翌年5月に廃刊している。本文中にも出ている『女子文壇』の編集には、明治38年から携わっている。酔茗は、このLLDの記事が掲載された同月(明治43年5月)、東雲堂から『霧』という詩集を刊行することになるので、このときはその準備をしていたころであろう。
山路愛山
「女子文壇」
麻布方面
広津柳浪
上司小剣
白柳秀湖
芝方面
生田葵山
巖谷小波
後藤宙外
小杉天外
『無名通信』
江見水蔭
前田木城
田口掬汀
杉村楚人冠
京橋方面
小山内薫
長谷川しぐれ
神田方面
東明館の顧客の半分は清国留学生
中学程度の学校が非常に多い
病院が多い
ニコライ堂
長谷川天渓
与謝野寛
同晶子
瀬沼夏葉
佐々木信綱
前田林外
麹町方面
泉鏡花
土肥春曙
中沢臨川
高浜虚子
蒲原有明
吉井勇
長田秀雄
前田夕暮
「スバル」
「屋上庭園」
「秀才文壇」
「創作」
日比注
誤植。この「踏」は原文では、次行の「もう余り家は」の「も」と「う」の間にある。