「顕微鏡のはなし」に研究用顕微鏡はしっかり勉強してからの購入を薦めたい,と書いたのだが,現実はなかなかそうならないようである。いきなりこんなことを書くのは,顕微鏡を買ったのは良いが使い方が・・・など顕微鏡の相談を受ける機会が多いこともあるが,それだけではない。研究者であっても意外に勉強をしていないことを知っているからである。たとえば・・・
ある研究機関で顕微鏡観察ができる催しがあった。面白そうなので参加してみると顕微鏡が6台並んでいてプレパラートがセットしてある。覗いてみるとなるほどそこには面白い試料がある。しかし顕微鏡の設定がおかしい。コンデンサの高さがまったくいい加減なのである。開口絞りも絞りすぎである。すべての顕微鏡が正しくない照明状態である。そして各顕微鏡の前には,
「顕微鏡の設定を変えないで下さい」
と書いてあった。主催者はこの分野で日本を代表する学者である。苦々しく思った筆者はそっと照明を調整して帰ってきた。
似たようなことは大学や研究所でも日常茶飯事である。たまに顕微鏡写真を添付した相談メールを頂戴することもあるのだが,ボケボケでほとんど情報を含まない顕微鏡写真を送ってくるのは決まって研究者である。他の研究所では,まともに像を結ばない対物レンズの組み合わせで顕微鏡が使用されていた。高級な装置なのに,その性能が犠牲になるような設定で使用されている顕微鏡は数知れず見てきた。どうしてこれほどまで勝手な使い方がなされるのかというと,顕微鏡の使い方に関するまともな教育が浸透していないからであろう。実際,筆者も研究用顕微鏡を手にした最初の一年は,ボケボケ画像を撮影する一人だったのである(今から思えば,機材とカネがなくて自作の撮影装置と規格から外れた投影レンズを使っていたことに大きな原因があったのだが・・)。
プロでさえこんな状況なので,きのこ観察のアマチュアであれば何から勉強して良いかわからない人もいることだろう。運悪く(?)ウン十万円もする研究用顕微鏡を買ってしまい,しかもちゃんと使いたいと思っている人は勉強しませう。不思議なことに,顕微鏡に数十万円出すのに,顕微鏡の本にはカネを出さない人が非常に多い。きっと覗けば見えると思っているのであろう。そう思っている人には,カメラ屋さんに置いてあるおもちゃの顕微鏡がいちばん合っている。おもちゃ顕微鏡の多くは"覗けばみえる"レベルだからである。
さて,本ページを読むほど熱心な人なら,顕微鏡の1/10程度のお金を勉強代にすることをお薦めする。そうすれば目の前の顕微鏡が生まれ変わったように性能を発揮することだろう(筆者もそうだったのだから)。ここでは筆者の本棚に並んでいる本で,顕微鏡と関係ありそうなものを幾つか紹介しよう。並べ方はおおむね読書順である(読む順番はとても大切である)。
これらの本が入手可能かどうかはamazonやbk1などのオンライン書店でわかる。入手困難な本もあるが,インターネット古書店に出回ることもあるし,図書館蔵書も利用できる。現在ではwebcatやwebcatplusを使えば(googleで検索して下さい),全国の大学・研究機関の図書検索ができる。絶版の本でも大学図書館には所蔵されていることが多いからこれを利用しない手はない。
- 吉田正太郎 望遠鏡光学・屈折編 誠文堂新光社 1989年
- 吉田正太郎 望遠鏡光学・反射編 誠文堂新光社 1988年
- 吉田正太郎 写真レンズの科学 地人書館 1979年
つねにアマチュアを大切にし,光学を直観的に理解させようとする吉田の書籍はどれも参考になる。吉田の著作から光学の勉強を始めるというのは非常に良いことだと思っている。顕微鏡光学の本ではないが,望遠鏡光学の勉強はそのまま顕微鏡にも役に立つので心配ない。用いられている数式は幾何光学の範囲に収めてあり,初学者も追うことができるであろう。ガラスデータも豊富である。
- 八鹿寛二 生物顕微鏡の基礎 培風館 1973年
顕微鏡の仕組みからケーラー照明法まで,基本中の基本について懇切丁寧に述べた本。これだけ丁寧なら独習できるので貴重な本だが,残念ながら再版の見込みがない。図書館には多く所蔵されている。初学者にはお薦めである。
- 井上勤 1977. 顕微鏡のすべて. 地人書館. 東京, 240pp.
数人の著者により分担執筆されているので一冊の本としてのまとまり・論理性はよくない。使い方の説明も初級〜中級レベルである。しかし掲載されている写真にはかなり良いものが含まれている。特に,故・小林弘が撮影したものと思われる珪藻類の画像は良い見本である。
- 井上勤(監修) 顕微鏡観察の基本 地人書館 1980年
上に述べた「顕微鏡のすべて」と内容的には似ている(同じ部分もある)。観察例の写真は少ない。入門レベルから研究レベルへのつなぎとして位置づけるのが良いかもしれない。中学生くらいから使える本である。なお現在は新版が出ている。
- 竹村嘉夫(編) 顕微鏡写真 共立出版 1969年
各方面の専門家により執筆された本。顕微鏡写真に絞って書かれている。編者は種々の顕微鏡写真を発表してきた水産系の研究者である。編者・著者ともに経験が豊富なので参考になる部分が多く,この書籍を一通り理解・マスターできれば写真技術としてはかなりハイレベルといえるであろう。各種の照明法をまとめた図が有用。
- 宝谷紘一・木下一彦(編) 限界を超える生物顕微鏡 見えないものを見る 日本分光学会 測定法シリーズ21 学会出版センター 1991年
ふつうの本とは逆に,特殊検鏡についてのみ詳しく述べた本。生物顕微鏡の基本をマスターした後で,さらにどこまで見えるか挑戦したい人はこの本に行き当たることであろう。光学の基本知識が必要だが,顕微鏡片手に本書の理論を試すのも面白い。研究者向け。
- ファン・ヒール, フェルツェル/和田・計良(訳) 光とはなにか その本質を探る道程 講談社ブルーバックスB-187 講談社 1972年
光学顕微鏡の結像論を理解するには光の性質を押さえておく必要がある。本書は光の性質についてコンパクトにまとめられた本と評することができる。しかし通読だけで理解するのは容易でなく,他の書籍と合わせ読むのがいいかもしれない。
- 野島博(編) 顕微鏡の使い方ノート 光学顕微鏡からCCDカメラまで 羊土社 1997年
各社の専門家が自社の顕微鏡を例に使い方を述べたもの。独習の入門用には適している。標準的な使い方が書いてあるだけなので,試料に合わせた特殊な検鏡法についての記載は少ない。一般向け。
- 石沢政男・田中克己 1953. 顕微鏡の使い方. 裳華房. 東京, 246pp.
光学顕微鏡の使い方に関する古典的名著。現在でも十分に通用する。半世紀前にこのようなレベルの高い本が出版されていたことに驚きを感じるとともに,現在このレベルの本が見あたらないことを残念に思う。すでに絶版だが,改訂版を含めると30年間出版され続けた本なので図書館などへの所蔵は多い。見かけたら読んでみるとよい。顕微鏡を使うすべての人にお薦めである。
- 吉田正太郎 光学機器大全 誠文堂新光社 2000年
この本には望遠鏡・双眼鏡・顕微鏡のレンズ構成に関する詳しい説明があり,収差補正とレンズ構成の関係を直観的に把握するにはとても参考になる。多数のデータを集約した労作である。光学に関心のあるアマチュア向け。
- 鶴田匡夫 光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 1984年
- 鶴田匡夫 続・光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 1988年
- 鶴田匡夫 第3・光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 1993年
- 鶴田匡夫 第4・光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 1997年
- 鶴田匡夫 第5・光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 2000年
- 鶴田匡夫 第6・光の鉛筆 光技術者のための応用光学 新技術コミュニケーションズ 2003年
敷居が高いが,「光の鉛筆」は日本の応用光学上の重要財産とも言える本である。幅広い視野,常に原典まで遡って調べる姿勢,過去の研究への温かい眼差しと最先端の研究への示唆的な記述,どれをとっても感心するほかない。顕微鏡に関するトピックも多く,一見して関係なさそうな話題もじつは通底していたりするので目が離せない。私はこの本の内容を半分も理解できないけれども,なんとか理解しようと3読5読を続けている。そのような気にさせる本である。光学に関心のある専門家向け。
- Inoue, S. and K. R. Spring 2001(寺川・市江・渡辺 訳):ビデオ顕微鏡−その基礎と活用法,共立出版,東京,744pp.
顕微鏡に関する基本事項をもれなく懇切丁寧に述べた良書。著者の一人井上博士はレクチファイヤの開発者でもあり,2003年の国際生物学賞を受賞されている。光学顕微鏡を生物研究の武器としたいなら一度は本書を見るべきであろう。
- 稲澤譲治・津田均・小島清嗣(編) 顕微鏡フル活用術イラストレイテッド 秀潤社 2000年
顕微鏡の取り扱い説明書をさらに丁寧にしたような本。美しく豊富な図版はそのままでも楽しめるし,上達すればここまで撮れるという見本にもなる。本書をマスターすることにより「とりあえず使える」レベルにはなるであろう。さらなるレベルアップにはやや情報が足りない。顕微鏡メーカーの取説を編集し,さらに実験用のプロトコルを加えたような本。巻末にある表が有用。
- 竹村嘉夫ほか 顕微鏡観察事典 保育社 1965年
大きな本。前半が顕微鏡の使い方で後半が観察例である。あまり踏み込んだ説明はないが,知らない撮影対象への手がかりを得るためには使える。
- 井上勤(監修) 植物の顕微鏡観察 地人書館 1998年
- 井上勤(監修) 動物の顕微鏡観察 地人書館 1998年
この2冊は「顕微鏡観察の基本」に続くシリーズである。各分野の専門家が書いているため,入門的な記述ながら意外に細かいことまで書かれていたりする。なかなか使える本である。一部に著者による勘違いがあるのは残念。
- 石黒浩三 光学 共立全書56 共立出版 1953年
波動光学について詳細に述べた本。すでに絶版。種々のトピックを扱っており,全書サイズでありながら分厚い専門書を超える内容を含む。本書をマスターするには数学的素養が必要。専門家向け。
- 久保田広 応用光学 岩波全書245 岩波書店 1959年
光学機器について広く述べた応用光学の良書。最近,POD版が発行された。顕微鏡については結像論に関する詳しい記述がある。観察家向けというよりは光学に詳しい専門家向け。
- 永田信一 図解・レンズがわかる本 日本実業出版社 2002年
光学系への理解を深めたい人に有用な本。読んだだけでは漠然とした理解になることが多いと思うが,レンズや光学機器を目の前に本書を紐解くなら大きな収穫が得られるであろう。やや初心者向け。
- 河田聡(編) 超解像の光学 日本分光学会 測定法シリーズ38 学会出版センター 1999年
半導体のレジスト露光用ステッパーの理論は顕微鏡光学との共通点も多い。照明法の工夫や光源の開発など,参考になるトピックが数々ある。しかしこの内容を顕微鏡観察に活用できるのは一部の専門家だけであろう。
- 朝倉健太郎 顕微鏡のおはなし ルーペから新世代顕微鏡まで 日本規格協会 1991年
顕微鏡の歴史と各種の顕微鏡について概説した本。内容的にはやや電子顕微鏡への偏りが感じられる。光学顕微鏡についても述べられているが,ユーザーとしての記述はほとんどない。一冊で顕微鏡の概略を知りたいときには有用かもしれない。
- 朝倉良三 顕微鏡写真術 アルス 1936年
昭和11年の刊行である。現代の複式顕微鏡の形式は1800年代後半に完成したので,本書の記述は現代でも通用する。顕微鏡の構造,照明法から切片作成法,撮影,乳剤まで顕微鏡写真に必要な情報がもれなく記載されている。なおケーラー照明(1893〜)に関する説明はない。
- フォード B.J./伊藤智夫(訳) シングル・レンズ−単式顕微鏡の歴史 法政大学出版局 1986年
レーウェンフックの単式顕微鏡について詳しく述べた本。単レンズも正しく使えば高い性能を発揮する。本書を読んで単式顕微鏡を自作してみるのも面白い。
- 東條四郎 レンズ 河出書房 1941年
すばらしい本である。60年以上前にこれほどレベルの高い本が一般向けに市販されていたことに驚く。レンズの歴史から始まってメガネ・望遠鏡・顕微鏡・写真レンズ等について設計者の目を通して詳述されている。本書は一般教養書として出版されたのもであるが,例えば顕微鏡対物レンズの設計上の問題や分解能試験に関する詳細な説明は他の顕微鏡関係書籍を大きく凌ぐものである。現在なら専門課程の教科書にもなるであろう。朝倉良三の本から5年後の出版であるが,こちらにはケーラー照明に関する説明がある。
- オリンパス,ニコンのグローバルサイト
書籍ではないが非常に参考になる。但し英語で書かれている。両社ともに日本のメーカなのに,このように優れたサイトを日本語で開設しないのは何か理由でもあるのだろうか。
このくらいを押さえておけば「顕微鏡の使い方」に関してはかなりのレベルに達するのではなかろうか。顕微鏡はじつに微妙な機器で,照明法一つで観察像ががらりと変わる。見えないものが見えるようになったり,見えるはずのものが見えなくなったりする。理屈を知って使った方が良いことは言うまでもない。筆者はたまたま,子どもの頃から望遠鏡に慣れ親しんでいたので,きれいな像と問題のある像を見分ける観察眼を持っていたし,光学機器を扱うには経験だけでなく知識も必要だということを知っていた。だから経験の浅さや知識のなさにすぐに気がつき,顕微鏡の本を探し求めて読みあさってきたのである。読んでちんぷんかんぷんだったことは数知れない。しかしほとんど意味不明だったことが,数年後にふっと理解できることもある。お勉強が無駄になることはないと感じている。
ついでに言うと「きのこノート」の顕微鏡に関する各記事はどれも資料類を参照せずに書き下している。参照しながらでなければ書けないような未消化なことをさも知っているように書くのはダメ学者の常套手段だし気が引けるし,お勉強(読書)が検鏡経験と融合して,従来の書籍にない独自の観点から記事が書けることを大切にしているからである。だから初学者には難しい一方で,顕微鏡を使いこなしたい人には有用な情報になっているはずである(と信じている)。
さて,お勉強の第一歩は,当たり前のことだが,取扱説明書を熟読することである。ところが中古品の中には取扱説明書が付属していないものが多くある。そしてそんなことに疑問を持たない人が多くいる。分解して組み立てられる程度に顕微鏡光学が理解できている人ならそれでも十二分に使いこなせるから問題はない。しかし顕微鏡について勉強した記憶がなく,きのこ観察のために「初めて顕微鏡に触った」というレベルであるなら,取扱説明書がない顕微鏡など使いこなせるはずがない。誰かに聞きたくても,知識不足で用語もわからず,質問内容を文章にすることすらできないであろう。
「使い方なら学校で教わったから大丈夫なのでは?」と思う人もいるかもしれないが,残念ながらダメである。(日本の)学校教育用の顕微鏡は理振法準拠品という立派なお墨付きのおもちゃ顕微鏡がほとんどである。焦点調節できるコンデンサは装着されていないし,対物レンズは同焦点すらあやしいものもある。微動が省略された製品も多い。光源は内蔵ではない。21世紀の現代に,仕様としては19世紀中頃の顕微鏡が平然と教育用にまかり通っているのである。さらに教員のほとんどは,研究用顕微鏡の使用経験はない。結局,学校での経験は「覗けば見える」レベルを超えるものでなく,研究用顕微鏡を使いこなすためには役にたたない。初めての顕微鏡を中古で購入しようと考えておられる方は,取扱説明書をどうにかして入手して,それを熟読してようやくスタートラインだということを忘れないでほしい。熟読というのは顕微鏡を前に操作をしながら何回も何十回も読むという意味である。
取扱説明書には顕微鏡観察についての詳しい記述はない。ふつうは"顕微鏡を知っている"人を対象に書かれている。だから"顕微鏡を知らない"人が読んでも,当該機種を自由に活用できるようになるわけではない。基本的な動かし方がわかるだけである。その先はやはり顕微鏡のお勉強が必要なのである。上に「スタートライン」と書いたのはそういうことである。本ページを読んだ人は,ぜひ書籍を求めて勉強して欲しい。インターネット上で顕微鏡の情報を漁るよりも,はるかに効率よく学習できるはずだ。
(Mar 20, 2005)