顕微鏡で微細な構造が観察・撮影できるということは,いったいどういうことなのだろうか。どうして対物レンズはいろいろの倍率のものが必要なのだろうか。なんでステージの下にはコンデンサがあって,そこにもレンズが入っているのだろうか。どうしておもちゃ顕微鏡はよく見えないのだろうか。こんな基本的なことでも,きちんと理解しようとするとけっこう難しい。そこで今回はアッベの顕微鏡結像理論を書いてみよう。これを専門家でない私が説明するのは恐れ多いのだが,この理論を分かりやすく説明した国内の顕微鏡関係サイトは少ないので,勇み足的にやってみよう。怪しい図を書くと混乱のもとになるので論理だけで説明する。ぜひとも雑用紙にイメージを描きながら読んでみて欲しい。なお,数式を使わずに説明するので厳密さに欠けることをご了解願いたい。
アッベの顕微鏡結像理論
顕微鏡で微細構造が見える,ここで光学的に起きていることを超簡単に説明すると以下のようになる。
構造を持つ物体をスライドグラスに載せてカバーガラスをかぶせ,裏面からコンデンサを介して照明光を当てる場合を考える。コンデンサから出た光は,ガラスに入射可能な任意のいろいろの角度で物体に当たっている。
物体を通過すると光は分割され,回折光と直接光に分けられる。直接光は物体の構造とは関係なく,物体を素通りして進行方向を変えずに進む光のことである。真下からきた光は真上に,斜めからきた光は斜めに進んでいく。この光は物体の構造に関する情報を何ら持たない。
これに対して,回折光は直接光が物体の構造により影響を受けた光と考えてよい。物体の模様がコンパクトディスクCDのような縞々模様(周期構造という)だと,回折光は干渉という現象を起こす。CDの裏面に電球の光を当てると虹色の光のスペクトルが生じることは誰でも知っているであろう。この回折により現れるスペクトルの分離の良さは物体構造の細かさにより決まり,物体が細かければ細かいほど分離が良くなる。CDの裏面の虹は,CDに刻まれたトラックの幅に関する情報をマクロに見たものだったのである。逆にいうと,この虹の情報をもとに戻すことができれば,そこにはCDに刻まれたトラック幅に関する情報が取り出せるはずなのである。以上要するに,物体により影響を受けた回折光は,物体の構造に関する情報を持っているということである。
直接光と回折光のなす角度は,周期物体の構造が小さければ小さいほど開いていく。つまり構造の寸法が小さければ小さいほど,生じた回折光は対物レンズに入りにくくなる。だから対物レンズをどんどん物体に近づけて,大きな開き角の回折光を捕まえないと,微細構造に関する情報が得られない。
対物レンズを用いて複雑な構造を持つ物体を観察すると,対物レンズには,いろいろの角度を持つ直接光と,それぞれの直接光に対して物体の細かさに応じて生じた多様な回折光が入射してくる。対物レンズは直接光と回折光を屈折して両者の光が結像面で出会うように作用する。その結果,これらの多様な,直接光と回折光あるいは回折光と回折光は,対物レンズの結像面で干渉と呼ばれる現象を起こしてそこにコントラストのある模様(干渉像)を作る。直接光の明るい背景の中に浮かび上がるこの模様(干渉像)こそが対物レンズにより作られる物体の像である。私たちが見ている顕微鏡観察像は,接眼レンズという名前のルーペでこの像を拡大して観察しているものである。
筆者の力量だとこのくらいの説明になる。かなり問題のある説明かもしれないが,もしこの説明で顕微鏡結像に関するイメージが持てるようになったら幸いである。上の文章にはいろいろ大事なことが盛り込まれている。理解を助けるために説明を加えよう。
1 照明は情報の入力にあたる
まず一つは,「照明光が物体によって回折光と直接光にわけられこれを干渉させて像を得る」,という事実から,照明が「情報の入力」に相当することが理解できるであろう。フラットな情報(光)を入力してギサギサな情報(像)を得る,と言い換えても的はずれではないかもしれない。
2 光は構造により回折する
2つめにあげられることは,光が構造を持つ物体を通過するとき,光の一部は構造の寸法に応じて回折される,ということである。これを実感してみたい方は,高めの倍率の望遠鏡や双眼鏡で,網戸を通して星を観察してみてほしい(1000m以上離れている街灯でもいいだろう)。きっと驚くことだろう。ここで重要なことは,光は細かい構造を通過するときに大きな回折を受け,粗い構造では小さな回折しか受けないということだ。
3 回折光をつかまえないと像はできない
物体による回折光を対物レンズで集めないことには,像ができない。「光」ではなく「回折光」である。何らかの方法で対物レンズ内の回折光を遮断すると,物体を通過した直接光が対物レンズを通過したにもかかわらず,像はできない。ただ明るいだけである。一方,直接光が対物レンズに入らないように大きな角度をつけて照明した場合,対物レンズには回折光のみが入射するが,この場合は回折光どうしの干渉が起こり結像する。直接光は対物レンズに入らないので背景は真っ暗になる(暗視野照明)。
4 入力情報が多いと出力情報も多くなる
つぎに指摘しておきたいことは,物体に対していろいろの角度の光を当てた方が,より広い範囲の回折光が生じる,ということである。たくさんの回折光が生じているということは,その光から物体の寸法に関する情報がより多く得られる可能性がある,ということである。コンデンサを絞ると対物レンズの真下からしか光が入ってこない。真下からの光は,決まった角度分布にしか回折しない。コンデンサを開くと斜めからの光も入射する。この光は真下からの光よりも大きな角度で回折できる。つまり,コンデンサを開いて照明した方が,物体を通過した光に含まれる構造に関する情報は多い,ということになる。
5 角度の大きな回折光をつかまえればそれだけ細かい構造が見える
微細構造を結像するための条件は,直接光に対する回折角度θが大きな光(=細かい構造の情報を含んでいる光)をどうにかしてつかまえるということである。このことは顕微鏡光学上とても大切なことである。前項3と併せて考えてみよう。物体の微細構造により生じた大きな角度θを持つ回折光は,カバーガラスを出ると早々と光軸から遠ざかってゆく。したがって,この回折光をつかまえて結像させるには,対物レンズをできるだけカバーグラスに近づけて,曲率の大きいレンズで屈折させ,回折光の進路を焦点面・結像面へ向かうようにする必要がある。高性能な対物レンズの作動距離が極めて小さく,カバーグラスすれすれに近づけて用いるのはこのためである。油浸にするのも,空気面での屈折を抑え,大きな角度を持った回折光をつかまえるための工夫である。 さらに,回折角が大きな光を生じさせるために,曲率の大きなトップレンズで広い角度から光を照射するコンデンサが必要である。 これに対して,低倍率の対物レンズは物体から1〜2センチも離れていて初めてピントが合うが,このくらい離れていると小さな角度を持つ回折光しか入射しない。つまり微細構造の情報(=大きな角度を持つ回折光)はもともと対物レンズには入ってこない。したがって接眼レンズを取り替えてがんばって拡大しても,細かい構造が見えるようになることはない。
つぎに大切な言葉を簡単に説明しておく。
開口数(Numerical Aparture, NA)
どれだけ大きな角度の回折光をつかまえられるか,ということで対物レンズの性能は決まる。これを表すパラメータが開口数(NA)である。最周辺の回折光の光軸との角度をθ,対物レンズと物体の間を満たしている媒質の屈折率をnとすると,開口数は「n×sinθ」で表される(空気の場合はn=1, 油浸の場合はn=1.515)。三角関数で書くと難しいようだがよくみるとそうでもない。物体からの回折光は光軸と同じ時に角度はゼロ,このときsinθもゼロ,回折光のが90゜の角度のときにsinθは1,この関係に屈折率が掛け算してあるだけである。入射できる光の最大角度を屈折を加味して表現しているといってもいいだろう。対物レンズにはふつう開口数の数字だけが書いてある。100倍のレンズなら1.25〜1.30の数字が見られるであろう。ところで,対物レンズの開口数だけ高くても意味がない。コンデンサで大きな角度で試料を照明しないと,大きな角度分布を持つ回折光が生じないからである。だからコンデンサにも開口数という概念があり,やはり同じ「n×sinθ」である。開口数1.30の油浸対物レンズの性能をフルに発揮させようと思ったら,コンデンサも開口数1.3程度のものを油浸にして使用しなければならない。
分解能
回折光を捕まえると像ができる→大きく回折した光なら微細構造が見え,小さい回折光なら粗い構造が見える→どのくらいの回折光を捕まえられるかは開口数で表される
このように話は進んできた。このことからわかるように分解能は開口数(NA)を用いて定義されるべきしろものである。いろいろな式が提案されているが,代表的なものをあげれば「0.61λ/NA」である。λは照射している光の波長で,人間の目に感じる波長は0.4〜0.7μmである。ふつうは0.55μm(緑色光)を代入して計算することが多い。この場合は簡単に「0.34/NA(μm)」とすればいいから覚えておくのに便利だ。
4倍のアクロマートレンズを例にとると,その開口数はふつう0.1である。だからこのレンズの分解能は3.4μmとなる。40倍のアクロマートレンズなら開口数は0.65だから,分解能は0.5μmとなる。開口数0.95のプランアポクロマートなら0.36μmだ。100倍,開口数1.25の対物レンズなら0.27μmである。開口数1.4の最高級プランアポクロマートでも0.24μmである。
この数字は以下のように使う。たとえば,1μmの構造を見分けたいのなら開口数0.65の40倍の対物レンズで充分である。開口数1.25の油浸レンズよりも被写界深度も深いし,乾燥系なので使いやすい。一方,0.5μmの構造をシャープに撮影したいのなら開口数0.9以上の対物レンズが望ましいし,珪藻類の0.3μmの構造を撮影したいのなら油浸レンズは必須となる。
顕微鏡の分解能に限界があるということは,誰が使ってもそれ以上細かいところは見えないということを意味する。その点,顕微鏡という道具は平等である。ン百万円もする最先端の顕微鏡でも,数十万円の顕微鏡でも,対物レンズの開口数が同じなら見える寸法も同じなのである。あとは腕次第だ。
結像理論を熟知し,物体をよく観察し,その物体の周期構造(空間周波数特性)に応じた適切な照明方法を施し,撮影すれば,趣味の顕微鏡観察家でも非常に高いレベルの画像を得ることができるのである。
照明法とMTF(Modulation Trasfer Function)特性
レンズによる光の結像では,物体の構造を光の波の干渉として再現する。波と波の干渉により像が再現されるので,再現された像のコントラスト(正確にはMTF)が100%にはならない。ふつうにコンデンサを用いて透過照明を行った場合,物体の構造の寸法と結像により再現される像のコントラストの間には相関があり,物体の構造が微細になればなるほど,像のコントラスト(MTF)は低下する。分解能を過ぎたポイントでコントラストはゼロになる。
これは観察する物体によっては困ったことである。珪藻類や繊維組織のような,粗大から微細まで連続的な構造を持つ物体を中心透過照明で結像すると,粗大構造は高いコントラストで結像し,微細構造のコントラストは著しく低くなるので,微細構造が見えなくなったり,見えたとしてもフィルムやCCD上にラチチュードの範囲内で記録することができなくなるからである。
しかしこの問題はちょっとした工夫で回避することができる。結像理論や開口数のところで述べたように,コンデンサの中心から入射する照明光は,低い開口数の回折光しか生じない。一方,コンデンサの周辺から試料を照明する光は,相対的に高い開口数の回折光を生じさせている。この状況では,高い開口数の回折光により生じた微細構造の像が,低い開口数の入射光の直接光により照らされてコントラストが低下している。簡単にいうと,スクリーンにOHPの像を写しているところで"部屋の明かりを点灯して"いるようなものである。だから"部屋の明かりを消せ"ば,OHPの像はよりはっきり見えるようになる。これを顕微鏡照明でどうやるかというと,斜めから照明すればよいのである。但し,斜光照明装置などを用いて一方向だけから照明すると解像に方向性を生じるから,全方向から斜めに照明すればよい。この方法を輪帯照明法というが,ふつうの生物顕微鏡でも簡単に行える。正しいケーラー照明の操作により対物レンズの瞳いっぱいに照明し,コンデンサの下に丸い円盤などを置いて瞳の中心部を遮ってしまえばよい。瞳の周辺部だけがリング状に光っていたらうまく輪帯照明になっている。この操作により粗大構造のコントラストは低下し,微細構造のコントラストは向上する。うまく照明を行うと,"それまで全く見えなかった"構造が現れてくることすらある。
このように顕微鏡結像の理論を知り,実践がマッチすると像質が劇的に改善することがある。このときいちばん難しいのは,物体を観察していて,どんな照明法(観察法)が最も適しているのかを見抜くことである。筆者も試行錯誤の日々である。
(May 3, 2002,Feb 27, 2005一部改変)