顕微鏡を選ぶはなし




「顕微鏡のはなし」に書いたように,研究用顕微鏡はプロが使う道具であって,まともなものは最低でも数十万円はする。プロは機材の価値が減じてから手放すから,中古品でまともなものは非常に少ない。この現状があるにもかかわらず,どういうわけか顕微鏡の購入を考えている人はまず中古品を考えているようである。どうしてそんなことがわかるかと言うと,去年から筆者のところに中古顕微鏡の問い合わせが舞い込むようになったからである。おそらく,googleなどで「中古,顕微鏡」と検索すると筆者のHPが引っかかるからであろう。中には,一生懸命日本語を勉強して書いたであろう,外国の方からのお便りもあった。残念ながら筆者が中古品を紹介することはできないけれども,顕微鏡の選び方くらいならアドバイスできるかもしれない。少し話が難しくなるであろうが,書いてみよう。なお,ここでは扱うのは研究用顕微鏡のことでおもちゃ顕微鏡のことではない。




筆者の中古品遍歴

お金はないし,でも顕微鏡はほしいし,,,という気持ちはよくわかる。でも何でそれが中古品の購入に向かうのかはよく理解できない。カメラもパソコンも書籍も自転車も,必要なものは普段から中古品で揃えている人が(私のことだ),顕微鏡も中古品でというのならわかる。しかしノートパソコンは新品で買うのに顕微鏡は中古品を購入しようと思っているのであれば,どうしてそうなるのかよく分からない。顕微鏡=中古品で,という考えはどこから生まれてきたものであろうか。

中古品はそれなりの技術を持った人が明確な目的の下に購入するものであると筆者は考えている。文京区にある顕微鏡販売店では中古も扱うことがあるが,ここの人の話によれば,個人で購入する人は,たとえば大学を定年退職になって研究室を去る教官が,「個人で研究を続けたい」と購入するケースが多いという。当然,希望の仕様を知らせて目的に沿った機種選びができるから納得できる話である。

筆者のケースもこれとよく似ていて,自分の研究用機材を購入するために私費で中古品を求めたのである。以前に,廃棄処分になった古い顕微鏡を譲ってもらって一台持っていたので,それに装着できるいくつかのやや特殊なパーツ(油浸暗視野コンデンサなど)を探していたのである。研究上,ぜひとも必要なものであった。新品だと,その6万円足らずの部品のために顕微鏡丸ごと買い直しでしかも150万円を超える出費になり,しかも手持ちのものが余るという耐え難い不経済があったので中古品を探す以外に選択の道はなかった。もちろん,新品を扱う代理店に照会してその古い品の在庫がないことは確認していた。そんな折り,ある業者から中古の情報が入り,その機種の鏡基は高級機並の造りをしている上にレンズ類はすでに手持ちのものと互換性があったから,現物を確認して状態がよければ購入しようと思ったのだった。

見せてもらった顕微鏡は1978年頃の形式で,昔のカタログも暗記している私には販売当時の価格も欠品している装備品も,現行品との性能差も,一目でだいたいわかった。業者の付けている価格もきわめて良心的であった。問題は状態だが,まあまあの良品,という感じであった。いつも覗いている試料を持参してみたところ,少しフレアがあり,それは主にフィールドレンズ下のミラーとフィルター,プリズムの数面から発していることもわかった。これなら自分でメンテナンスすれば24年前の状態に戻せそうだと思い,購入に踏み切った。メーカー修理が不能なことを考慮して,部品取り用の鏡基を付けてもらった。必要だった油浸暗視野コンデンサもつけてくれた。分解清掃したのちにしばらく使用したが,粗動ストッパーが付いていないことが筆者の好みに合わなかったので3ヶ月後に同型の鏡基で粗微動装置が異なるものを2台(したがって計4台になる)購入し,もっとも状態のよい部品を移植して組み上げ,錆びやすいネジ類はすべてSUS304に交換して現在に至っている。余った旧型鏡基は別のレンズとコンデンサをつけて位相差顕微鏡になっている。別の鏡基は蛍光顕微鏡と超広視野生物顕微鏡に生まれ変わった。すべて研究に利用している。結局,出費は研究用生物顕微鏡の新品が一台分程度にまでなったが,得られたものすべてを新品で調達するならば高級車一台分の額になるであろうから,幸運な買い物が出来たと思っている。

そして筆者のきのこ用顕微鏡は,これらとは別に,ゴミ捨て場に廃棄されていた鏡基を分解清掃したものである。レンズは先に述べた中古で購入したものの一部を付けて使っている。

上に筆者の顕微鏡歴を長々と書いたのは,中古品でも実戦に役立つものが入手できるケースがあることの紹介と,「安いから」という理由だけで中古を求めることが必ずしも合理的でないことを理解して欲しかったからである。長く使うには予備が必要だし,メンテナンス技術もある程度要る。拡張性にも十分な配慮がいるだろう。「安いから」という理由で中古を欲しいと思っている方は,ぜひとも以下のことには注意して欲しい。

注意点

a)メーカー修理はほとんど不可能に近い。できたとしても高額である
b)見かけは新品同様でも,光学系に多少の劣化がみられることが多い
c)アイピースや対物レンズに微少な傷がついているものも多い
d)拡張性に乏しいことが多い
e)規格が違うため新品レンズを買い足すことができない

よい点

f)低価格である
g)改造なしにビクセンのデジカメアダプタが使えるものが多い
h)樹脂製部品を使用していない顕微鏡は耐用年数が長い(劣化しにくい)
i)比較的メンテナンスしやすい
j)1970代の製品はメーカー間で互換性のある部品がある

現在のライカ,ツァイス,オリンパス,ニコンの対物レンズはすべて無限遠補正系になっている。一方,中古で出回る顕微鏡はほぼすべて有限鏡筒長(160or170mm)の対物レンズである。有限鏡筒長の対物レンズを供給しているメーカーは協和光学,ユニオン,ビクセン,カートンなどごくわずかであり,種類も少ない。有限鏡筒長のレンズと無限遠補正系のレンズの間には互換性はない。ニコンはレンズの同焦点も45mmから60mmに変更になり,それに伴ってネジ規格も変えたために装着することすらできない。e)はそういう意味である。これは中古品を購入する際の最大の弱点である。

中古の多くはメーカ修理が不可能なので,故障部分によっては致命的である。たとえば微動やコンデンサが破損したらきのこの胞子の観察は著しく困難になるだろう。a)はそういう意味での注意である。一方,1965年以前の製品は,ほとんど金属パーツで出来ており,状態がよいものは今後も問題なく使えるものと思われる(h)。

ビクセンから供給されているデジカメアダプタ(顕微鏡用)は,鏡筒外形25mmの顕微鏡にそのまま装着できる。旧型の顕微鏡は鏡筒外形25mmのものが多いので,デジカメで胞子を撮影する用途には向いている(g)。最近の顕微鏡の多くは内径42ミリの外筒が付いているのでビクセンのデジカメアダプタを装着できない。ビクセンのデジカメアダプタを付けたいなら,三眼鏡筒の外筒を外し,ビクセンのデジカメアダプタの内径をヤスリで広げる工作が必要になる。あるいはデジカメアダプタを自作することになる。金属や塩ビのパイプと,Kenkoから発売されているステップアップリング(デジカメ用)を利用すると比較的簡単にできる。メーカー純正の顕微鏡デジカメシステムもあるが,これはセットで20万円以上する高価なものである。

これらのことを十分に把握した上で,末永く使う一台を選べる自信があるのであれば,中古顕微鏡も選択枝の一つであろう。選別眼のある人なら,同じ予算でワンランク上の機種を買うことが出来るからである。その一方で,顕微鏡のことがよくわからない人が初めての一台を購入するのであれば,今後のことも考えて新品を購入するのが無難だろう。




新品を選ぶなら

さて,きのこの胞子観察用・デジカメ撮影用に研究用顕微鏡を購入するとしたらどのようなことを考えればよいのであろうか。アマチュアが新品を購入することを念頭に考えてみよう。なお,位相差や微分干渉,ホフマンモジュレーションは考慮に入れない。

ステップ1

きのこの胞子画像を載せているホームページは幾つかあるが,デジカメ顕微鏡撮影による画像がたくさん載っているという点では筆者のところと,「きのこ屋」さん「きのこ雑記」さんのホームページがあるだろう。きのこ屋さんのところはオリンパスの旧式の鏡基,きのこ雑記さんは何台かお持ちで,ニコンの旧式をメインに使われていたと記憶している。胞子撮影に多用している対物レンズはお二方ともアクロマートの油浸100倍だったと思う。これを参考にホームページの胞子の画像を見ると,アクロマートでも十分に綺麗な胞子の画像が撮影できることがよくわかる。このレベルを目標に顕微鏡を選ぶのであれば,アクロマートのレンズセットでケーラー照明ができ,三眼鏡筒であればよいから,選択肢はいくつかある。新品でも20万円台前半から40万円程度である。通常はこの段階で十分であると思う。

ステップ2

より平滑な画像が欲しい,より色再現・ヌケのよい画像が欲しい,というのであれば対物レンズのグレードを上げ,プランフルオールやプランアポクロマートを選ぶことになる。筆者はプランアポクロマートの40倍(乾燥系)を多用している。このレンズは色収差を極限まで補正しているので色ヌケは非常によい。しかし使い方も難しい。カバーガラスの厚みが0.005mmずれていても像が崩れてくる。補正輪を使って修正するが,照明や絞りにも気を遣う。パーフェクトな調整ができたときは非常にシャープな像が得られる。欠点は高価格なことで,これ一本でアクロマートの40倍なら5〜6本買えるのである。プランフルオールを装着した機種の価格帯は80万円以上で,プランアポクロマートでは160万円以上である。最高レベルの顕微鏡が欲しい人はこちらを選択することになるだろう。

これらのポイントをまとめて挙げておくと以下のようになる。

◎鏡基
この部分が顕微鏡の分解能・コントラストに直接的な影響を及ぼすことはまずない。一般的な明視野での顕微鏡観察なら,レボルバ4穴以上,ハロゲン6V20W以上のケーラー照明,コンデンサが交換可能,三眼鏡筒で,できればビクセンのデジカメアダプタが直接装着できるものなら十分だろう。

◎対物レンズ
顕微鏡の心臓部であって像の本質を左右する。ここに最も予算を割くべきである。アクロマートでも可だが,視野が平滑なプランアクロマートがよい。予算が許せばプランフルオールを付けたい。最高のものが欲しいならプランアポクロマート。予算に限りがある場合,低倍率の対物レンズはアクロマート,高倍率はプランフルオールのように,高倍率のレンズに高級なものを選ぶとよい。逆は不可である。国産メーカーの場合,プランフルオールで4,10,20,40,100倍のセットなら40万円弱。

◎コンデンサ
鏡基に付属のコンデンサで分解能に影響を与えることはない。しかし照野を絞り込みたい場合にはコンデンサの収差が問題になるので,高級なものを選びたい。最低でもアッベコンデンサ(NA=1.25)で,できればアクロマートコンデンサ。プランアポクロマートを装着しているのなら,油浸時にはアクロマチック・アプラナートを付けたい。

価格を抑えて性能の高いものを買うコツは,鏡基は安くてよいが対物レンズ(とコンデンサ)にはよいものを選ぶことである。ところが不思議なことに,メーカーのカタログにはこのような組み合わせはみられない。高級な鏡基に高級な対物レンズ,低価格な鏡基にアクロマートレンズ,という組み合わせが定番である。10万円から1000万円の価格の幅のある顕微鏡を供給しているメーカとしては,機能や付加価値から序列化を図るのは当然であるが,ユーザーがその序列の通りに顕微鏡を購入する必然性はない。たとえば,プランフルオールの三眼顕微鏡を購入しようと思うと,あるメーカのカタログで最も低価格なセットは約80万円,高い方では540万円である。これを上の条件満たす組み合わせで考えると55万円程度で実現できる。4,10倍の対物レンズをアクロマートにすれば50万円を切ることも可能である。そして高倍率の一般検鏡では見え味はどれも同じはずである。

(Feb 23, 2002)