京都のきのこさんぽから




筆者はちいさな頃からお寺や神社,お地蔵様に興味を引かれていた。掃き清められたお寺の敷地に入り,おっきな柱の建物をみると歴史の重厚さに凛とした気分になって呆然とそこに立ち尽くしたものである。本堂の軒下はいつも乾燥しており,そこには必ずアリジコクの巣があって,虫好きの少年には格好の材料を提供していた。雨が降れば神社で雨宿りをして,ついでにアリジコクと戯れたものである。まるでつい最近のことのように鮮明に思い出すのである。

だから京都に用事があるときはわくわくする。ほとんど観光客相手の寺院があるのも事実だが,人知れず寂寥の時を重ねながら,しかし確かにそこにある小さな堂もある。どの建築にも圧倒的な智恵と優美が詰まっており,見るものの心を打つ。

もう何年も前のことだが,京都大学,京都精華大学に二週連続で会合があり,のべ7日も京都に行く機会があった。2つともなけなしの小遣いをはたいての参加だから,宿も安いところでバスにも乗らずに歩いてトコトコだ。それにしても京都の10月はすばらしい。しっとりとした佇まいの街角のそこここにきのこが顔を出す。

学会も早く終わったので京都大学から三条まで後輩と散歩することにした。いや,三条まで歩くという私に後輩がつきあってくれたというほうが正しいだろう。川沿いは道路がうるさいから,ちょっと山沿いを歩くのが私流だ。

「それで私が大事だと思うのはね,沿岸種が外洋に出現する機構として休眠,おおっ!きのこだ,ほらそこ」
「どこですか,先輩」
「そこのツツジの下」
「えっ,わかりませんよ」
「そこだってば,その手前」
「あっほんとうだ。すごいですね。何であんなものが見つかるんですか?」
「さー,どうしてかねえ」
「・・・・・」

「それで話を元にもどすと,奴らは発芽するために休眠過程のままただよっているのか,単に流れに乗ってしまっただけなのか,ほらっ!,あんなとこにもきのこ!」
「すごいですね,マツタケみたいですね」
「みんなそういうけど,マツタケが木から生えるか?」
「そうですね,シイタケみたいですね」
「シイタケがこんなにおいすると思う?」
「でも食えそうですよ,これ」
「たぶんな」
「・・・」

「で,それでだな,さっきの続きはだな」
「先輩!!,こんなのはどうですか」
彼が指さした先には立派なカラカサタケの仲間が5本も生えている。
「おーこりゃ立派だ。でもたぶん毒だぞ」
「毒キノコなんすか,マジですか」
「この仲間には毒の奴が多いんだ」
「すごいですね,きのこ博士ですね」
目の前のきのこを次々に判別することに感心しているらしい。

とまあ,こんな具合でいくらでもきのこが見つかるのである。特に○○寺と掲げられているような歴史ある神社仏閣にはわんさときのこが生えている。数百年以上も前からそこに在り続けた建築様式の下で,大型のきのこが生えている様子はちょっとした見物だ。種類も関東の雑木林ではあまり見かけないきのこが多かったように思う。いずれにしても,歴史ある街というのはいいものだ。翌日も朝から霧雨だったが,きのこさんぽには気分良い天気だ。鼻歌も軽く混じりながらふんふんと散策していると,京都大学病院の敷地やちょっとした道ばたの植え込みにいろいろなきのこが生えている。学会でお勉強の合間に見るきのこは,ぼーっとした頭を休めるのに最適だ。

翌週は京都精華大学でシンポジウムがあった。この大学は叡山鉄道でちょっと山沿いに入ったところにあり,自然豊かな場所である。ここにもたくさんのきのこがあった。学内に散歩道があり,ちょっとした山道のようなところもある。そのやや荒れた斜面からいろいろなきのこが顔を出している。うーん,やっぱり京都はいいな。宿は五条近くにとったので宿までの帰りは出町柳から歩いてみたのだが,さすがに,先週見かけたきのこは影も形もなかった。

しかしそれにしても不思議だったのは,これほどきのこが生えるところなのに,どうして木造建築は何百年もの間びくともせずに残っていたのであろうか,ということだ。よく知られているように,ふつうの家屋だって30年もしないうちに柱が腐ったりシロアリが発生したりしているではないか。何で古い建築の方が長持ちして,最近の住宅がだめなんだろう。

この疑問は法隆寺の宮大工,西岡常一の著作を読むことによって氷解した。木は石の上に載っていると何百年も腐らないそうなのだ。土に穴を掘って地山を出し,丸太で突きながら基礎を固めてゆく。最後に礎石を置き,そのうえに柱を立てると,木と土との接触が完全に絶たれて永年変化しない。水に濡れても木が立ててあるから繊維方向に水が走り,速やかに乾燥する。礎石と礎石の間はがらんどうで風通しがよく,湿気がこもらない。軒の深い屋根が柱の基礎を雨から守っている。木の乾燥を保つための条件が完全にととのっている。なるほどアリジゴクが巣をつくるわけだ。





そういう目で見れば寺の建物はほとんど石の上に載っていることに気がつくだろう。基礎はコンクリートのところもあるが,柱が地につくところは必ず石を使用している。画像は八王子・高尾山の山門だが,しっかりと石の上にのっているではないか。そして柱を守る屋根もしっかりとしている。なるほど大事な柱を守る工夫がなされている。

これに対して現在の住宅は,コンクリートを型に流してこれを基礎とし,その上に材を横に置いてから木組みしてゆく場合が多い。西岡によればこれが現在の住宅の寿命を短くしている大きな原因なのだという。日本のコンクリートは粉と砂利を水で固めたもので,完全に固化してもその重量の半分は水分である。つまりコンクリートは"水でつないだ粉"なのである。しかも多孔質だから,さらに水を吸い込む。ここに木を横に置くのだからどうしても湿気が抜けにくく,腐りやすいのである。これに追い打ちをかけるように,最近の家屋の軒は極端に浅くて横なぐりの雨が壁に当たり,コンクリートの基礎には申し訳ばかりの通風口しか開いていない。だから湿気が残りやすい部分から柱が腐ったり,シロアリがわいたりするのである。きのこが発生したという話もある。

昔の民家はお寺と同じような伝統工法で建てられているものが多い。地突きをして礎石を置き,柱を立てる。このような民家は立地と手入れが良ければ三百年持つと言われている。

このことを知ってから茅葺き屋根の民家を探して歩いてみると,なるほど柱はすべて天然石の礎石に立てられていた。しかもほとんど傷んでいない。コンクリートに立てた大黒柱は一つもない。そればかりではなく,新しくコンクリートで車庫を造ったある民家では,そのコンクリートと接している部分の柱だけ腐っていた。この光景に筆者は強い衝撃を受けた。というのも

「コンクリートは湿気がないと粉になってしまうわけですわな。だから固まってあるためには水分をどっさり含んである。その上に木を横にしてあるからすぐに土台が腐ってしまう」

という西岡の言葉が,恐ろしいまでに簡潔にしかも正鵠を得た至言であることを理解したからである。

こうして見てみると,先人がいかに木というものを知り尽くしていたかがわかる。木を傷めない技術,それは菌類をコントロールすることそのものだ。水を通さない石の上に柱を立て,それを深い軒の屋根で覆う。基礎は風通しをよくして乾燥を保つ。この工夫により,古都の神社仏閣は菌による木材の劣化から巧みに守られて残り,これらの建築が残ったおかげで敷地内のきのこの発生環境も守られてきたのである。これこそ共生というものだ。なにげない京都でのきのこさんぽは,素晴らしい日本の伝統工法を理解するきっかけになったのである。

(Nov 25, 2001)