きのこさんぽと省資源


きのこと末永く戯れるために、自転車さんぽの工夫をしていることは「きのこさんぽは自転車で」に書いた。筆者はこれ以外にも省資源的工夫をいろいろとしている(つもりである)。省資源的工夫、とエラそうなことを書いたが、実のところをいうとカネに乏しい者が智恵を絞って節約していた、という方が正しい。そもそも、きのこ趣味にはほとんどおカネがかからないのである。

ふくろ
まず、きのこを採集したら何に入れるか。これはけっこう重要な問題である。おいしいきのこを見つけたら、なるべく味が落ちないように持ち帰る必要があるからである。よく山でであうきのこ狩りの人たちは、買い物のビニール袋に入れたりしているが、これはよくない。夏〜秋頃だととにかくきのこが蒸れるのである。温度も上がりやすい。

そこで登場するのが紙袋である。どんな紙袋がいいかというと、本屋で雑誌を買うと包んでくれるやつ、あれがよい。内側には何も印刷されていないので新聞紙のようにインキが付着する心配もないし、においもない。大きさもいろいろ揃っている。通気性もあるしごく若干だが耐水性もある。もったいないおばけが筆者に憑依しているせいか、15年前頃から書籍を買ったときについてきた紙袋はすべて保存してある。数百枚はあろうその紙袋が今になって大活躍なのである。紙袋に入れると、不思議ときのこの傷みが少ない。紙袋はしっとりとしてくるが、それが適度な湿気を保つようだ。カネがかからずにしかも省資源、それが筆者のきのこ袋なのである。

でんち
特にデジカメの電池のことであるが、これはデジカメを購入してすぐにニッケル水素電池を導入した。理由は二つある。まず放電特性がデジカメ向きであること。そして繰り返し使用できることである。この、繰り返し使用することの省資源的メリットは非常に大きいのである。

電池製造に要する投入エネルギーと、電池が生み出す電気エネルギーの比率を研究した報告によると、高性能のアルカリマンガン乾電池でも、製造時に使用されたエネルギー100に対して、0.9の電気エネルギーしか取り出せないという。なんたることぞ。電池を製造するのに要した亜鉛、鉄鋼、銅板、マンガン、化学薬品の製造エネルギに比べて、たった一パーセント未満の電力を取り出したら捨てるのである。むごたらしいことこの上ない。電池は化学製品としてはほとんど新品のまま捨てられるのである。そして電池に含まれる様々な重金属が環境汚染の可能性を生み出すのである。

ニッケル水素電池は数百回の繰り返し利用ができるので、資源的にはマンガン乾電池よりもずっと優れている。最新の火力発電所の発電効率は37%程度だから、ニッケル水素電池の充電効率が10%というひどい仮定をしても、直接発電の3.7%のエネルギーを利用できることになる。また、ニッケルには希少性があるのでリサイクルルートが成立する可能性もある。ぜひの利用を薦めたい。

ところで,ニッケル水素電池を長持ちさせるにはコツがいる。ニッケル水素電池は充電型の二次電池であるから,ある決められた一定容量の間で充放電ができる。コツの一つはこの容量を守ることである。デジカメのバッテリー警告ランプが点灯し,終止電圧になったニッケル水素電池は,指定の充電器で(指示通りの時間で)充電する。これでOKだ。よく,「明日は遠征だから電池を充電しておこう」などと,まだ終止電圧に達していないニッケル水素電池を充電器にセットしてしまう人がいる。このようなことをするとメモリ効果を引き起こし,電池の容量を著しく小さくしてしまうから止めるべきだ。ニッケル水素電池は,「使い切ったらフルに充電」の規則の下に使うと最も長持ちするのである。

もうひとつのコツは,混在しないことだ。一台のデジカメに対し,2セットのニッケル水素電池を準備する。一セットはカメラの中で,もう一つは充電して予備とする。片方のセットが終止電圧に達したら,交換する。この使い方をすれば理想的である。種々のニッケル水素電池を混ぜて使うと,たとえば使用中の4本の電池の中で放電と充電が起きるなど,不都合なことが多々ある。同じメーカーの同容量のもので一セットとして使うことだ。

なお蛇足ながら付け加えると,「使い切ったらフル充電」の「使い切る」というのは,終止電圧に達することを言う。この段階でも容量は残っているので,たとえば電球などをつけることができるが,そのようにして電力をギュウギュウに絞り出してしまうと「過放電」と呼ばれる領域に入ってしまい,やはり電池が傷んでしまう。メーカーの人によると,ひげ剃り機のモーターが止まる程度の使い方がちょうど終止電圧となって最も良いという。おそらくデジカメの警告ランプもこのあたりにセットされているのであろう。

パソコン
どんなパソコン使っているんですか?、との質問をたまに受けることがある。ホームページを作っているからさぞかしいいパソコンを持っているのだろうと想像しているようだ。しかし筆者のパソコンは今から5年以上も前の古い機種である。載っているCPUは486DX2-66MHzである。メモリはたったの24Mバイト。今なら秋葉原の中古屋で3000円くらいでこのクラスのパソコンが出回っている。CPUなら300円くらいだ。

パソコンというものは怪しい製品である。言って見ればクルマのようなもの。実際に出すことはなくともスピードの出るパワーのある、流線型のフォルムのクルマが欲しくなる、あれに似ている。あるいはカメラのようなものか。月に一本もフィルムを使えば多い方という悠然とした趣味なのに、手にするのはニコンの最上機種。パソコンも同じで、必要もないのに高クロックのCPUだのマザーボードだのと買ってしまう。それでいてやっているのはMS-DOS時代でもできた作業や、あとはゲームばかり。

そんなことに資源を浪費するのはもったいない。ということで筆者はパソコンの速度にはこだわらない。しかも中古品しか買わない。これまで使った3台はすべて中古品である。ただでさえ「遅い」だけの理由で廃棄されているパソコンである。「遅い」ことを理由にしないでまだまだ使ってあげるのが省資源的である。

486DX2-66MHzマシンは主にWindows95環境で使っている。このマシンはちょっとした変造が施してあって、少なくとも、起動と画面のレスポンスはそこいらへんのセレロンマシン+Win98よりもずっと速い。「風水変造、Win95、システムトレイ」あたりのキーワードで検索エンジンをあたってみるといい。あなたのパソコンを快適にする驚くべき発見をするであろう。

こうして省資源的工夫で「八王子のきのこ」はできあがってゆく。作っているパソコンが遅いので、このパソコンでストレスなく読み込めれば、大半の他のパソコンでは瞬時に読めるはずである。ボトルネックをあえて自分のパソコン(+モデム回線)に限定することで、できあがったページは軽くなるというワケである。貧乏の工夫もときには役に立つことがあるものだ。


(Jan 8, 2001)