21日。天気の良い休日。午前は掃除洗濯布団干し。お昼頃、HMVから加藤和彦 『ぼくのそばにおいでよ』(Amazon)、同 『加藤和彦の世界』(Amazon)、中山ラビ 『ゴールデン☆ベスト』(Amazon)が届く。 夕方から街へ出、メディアテークへ。without recordsを、改めて、じっくりと。乱雑に撒かれたアナログ盤の周りに66台のポータブルプレイヤーが整然と並ぶインスタレーション。それぞれのプレイヤーはランダムにオン/オフを繰り返し、ターンテーブルを削る音や障害物にアームがあたる音が、会場全体に、静かに、秘やかに響き渡る。中には大きくノイズを主張するものあり、ほとんど音を立てずに廻っているものあり。当然だが、立っている場所によって耳に届いてくる音は微妙に異なるため、観る者は自然にあちらこちらと彷徨い続ける。そして心地よい音を見つけては立ち止まり、プレイヤーのオン/オフによって再びまた歩み始める。 一定のテンポを刻むプレイヤー。これが意外と主張が強く、どんなに小さな音であったとしても、他の音を聴こうとする意志を容易に殺ぎ去っていく。個人差はあろうが、私の場合はだいたい20~30分くらいこの環境にいないと、すべての音がフラットに聞こえてこない。このインスタレーション単体においても、さらには同会場で行われたI.S.Oのライヴにおいても、これに変化はなかった。 そういや別室での大友良英ソロライヴのときにも同じようなことがあった。私の少し前の席にタテノリで観ていた男性がいたのだが、「いったいこのフィードバックノイズのどこにそのビートがあるんだ?」と彼の動きに気を取られていたら、いつの間にか自分も同じリズムを拾い上げていた。確かに、そう聞こえくもないのだ。ただ、このリズムを拾い上げた途端、それ以外の音が一気にホワイトノイズ化していることに気づいた。つまり音/リズムを拾い上げたのではなく、ほかたくさんの音を意識から消しただけだったのである。 大友さんはライヴMCで、何かが欠けている云々というコンセプトを仰有っていたように記憶するが、私が今回のインスタレーション/ライヴにおいて感じたのは、人はリズムやビートにいとも簡単に感覚を支配されてしまう、ということ。それを知ることができたのが、最大の収穫だった。
22日。午前は検討資料作成、午後は研究紀要の英文サマリー作成。夕方、現場立ち会いを少し。 夜、先日購入したミュージックマガジンを読む。『Plague Songs』(Amazon)のレビューにHal Wilnerが制作した云々とあり、アレレと思いCDを確認したら、確かに、彼の名前がちゃんとクレジットされていた。なんだ、Rufus Wainwrightにハズレなしっていうか、全部Hal Wilnerだったのか(1・2・3)。ああ恥ずかし。 就寝前、ネットで新譜情報をいくつか。Richard Lerman(Amazon)とか、Tin Hat Trio(Amazon)とか、"Joanna MacgregorというピアニストのMoondogカヴァー集とか。あとCarla Bruniの新譜(Amazon)が出ていたことをマイミクさんの日記で知る。 |