ということで。先週末は青山真治監督作品 『AA』プレミア上映会@せんだいメディアテークに行ってきた。
『AA』は音楽批評家・間章と彼の生きた時代を辿るドキュメンタリーフィルム。ドキュメンタリー、と言っても当時の映像・画像等はほとんど挿入されない。ただひたすら、ゆかりある人々の証言のみで構成されている。そしてその話は、ときに時代背景、ときに話者のパーソナルな思想等と、多少脱線しながらも、最後はサインウェイヴを描くかのように間章へと揺り戻され、最終章である"彼の生き様"へと収斂する。
以下、間章の著作を読んだことがない、というかそもそも名前すら知らなかった私が、この作品を観て感じたこと。多少ネタばれあり。
- 総上映時間7時間23分の大作であったが、思ったほど長くは感じなかった。これはおそらく、情報がさほど詰め込まれていないというのが最大の理由だと思う。もちろんこれは中身が薄いという意味ではない。むしろこの映画には対話の場の空気が漏らさずパッケージされている。この7時間超という長さは、話者との対話のペースが尊重された結果、なのであり、これによって観る者は情報に溺れることなく、日常会話の延長で映画と接することができるのだと思った。
- 日常会話の延長のようであるが故、当然のごとく、話の難易等はすべて話者に委ねられている。個人的な感想を言うと、大友良英さん・湯浅学さん・灰野敬二さんらは非常にわかりやすく面白い話の連続だったが、佐々木敦さんはあまりにも難解で何言っているのかほとんど理解できなかった。これは話し方がヘタ、というのではなくて.....んーなんだろ、地平が違い過ぎるのかもしれないな。
- ドキュメンタリーとしては非常に不親切なつくりです。たとえばキーワードとして、Derek Bailey、Milford Graves、Steve Lacy、高柳昌行、阿部薫などが頻出するが、それらに対する説明は一切なされない。それどころか、今それを話している人がどんな方なのかも説明がない(!)。というか、今話しているのが誰なのか、一度たりともテロップが出ない(!!)(ちなみに私は、副島輝人さんと平井玄さんは第2部で、竹田賢一さんは初日帰宅後に調べて、ようやく顔と名前が一致した。シュタイナーの話をしている人は最後まで分からなかったが、あとで調べたら高橋巌という先生でした。)。
しかし実は、そういった情報の排除こそが本作の真骨頂、なのかもしれない。その人が誰なのか知らない・分からないが故に、観る者はその人の口から発せられる言葉一つ一つを聞こうとする。前述の「対話の場の空気」が丁寧に収められていることもうまく作用し、能動的な姿勢は自然と生まれてくる。 事実、私は、これによってどんどんとその「場」に引き込まれていきました。青山真治のドキュメンタリーは今まで観たことがないのだけど、これこそが彼の手法、なのだろうか。それとも、本来のドキュメンタリーとはこういうものなのか?
- 6部構成のうち、個人的には、それぞれの話が見事にリンクしていた第5部「この旅におわりはない」が最も面白かった。まあそのリンクも1/4くらいは否定でのつながり、だったのだが(大友さんのコラージュ話のあと、灰野さんのコラージュ否定話が続いたのはちょいと笑った)。
- 演奏は灰野さん3曲、大友さん1曲。これも当然ながら無編集で、10~20分間延々と映し出される。灰野さんは圧巻。もう、凄い、としか言いようがない演奏。大友さんはターンテーブルパフォーマンスだったが、ターンテーブル2つのうち1つは手元が真っ暗で何も見えなかった。さらに大友さん自身もほとんど動きがなく、これが"映像"としてどれほど意味があるのかはちょいと疑問が残ったかな。
- すべて観終えて。間章がどうこうと言うよりも、映画としての作品性の高さ(というかドキュメンタリーとはかくあるべきという説得力)に感銘を受けた。「7時間もダラダラと作ってんじゃねえよ」とか「そんな長いの、映画と呼びたくねえな」と観る前は思っていたのだが。これは間違いなく「映画」です。
- とはいえ、何度も観たいとは思わないけどね、こんな長いの。
- 最後に、当日の会場について。私は2日に分けて観たのだが、そういう観方をする人はあまりいなかった感じ。初日は20人程度、2日目は10人程度、だったかな。半分だけ観た人を入れても、トータル50人にも満たないのではないかと思う。上映前のメディアテークスタッフの説明では、ユーロスペースと監督からのオファーでジャズフェスの日にプレミア上映となった、とのことだが。んーこんな客の入りで大丈夫だったのかな?
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