故郷・・・中学同級会と母のこと

2007年2月9日〜13日

 

《2月9日》

3年ぶりの帰省です。そしてこの時期は初めての帰省。故郷の様子が気になります
やはり飛行機に乗ると、気持ちが高揚してるのが分かります
ヘッドホンを当て音楽を聴きながら眠ろうとしますが、やはり興奮してるようです

少し遅れて到着。夫から電話があり「お母さん心配してるよ」って
母に急ぎ電話を入れる出ません・・・・
そのままレンタカーの車を借りて、今夜の夜のおかずを調達して戻りました

案の定母が、道を上がったり降りたりして待ってたよう。いつものように・・・
「遅かったなー」母の第一声でした
いつもこうして母は、道のところまで急な坂を下りて待っててくれるのです

「何も作れないから、すまんなー」と母がいう
もう作るのは面倒になってきた母が、申し訳なさそうにいいます
買ってきたおかずを並べて夕食です。「久しぶりのお刺身が美味しい」と嬉しそうな母
日頃は買い物で生ものは買えないので、大好きなお刺身は久しぶりのよう

耳が遠くなった母と話しのは至難の業。もうケンカしてるような感じです
以前購入した補聴器をなくしたと申し訳なさそうに私に話します
「しょうがないよ」と云う私に「実はまた買った」と出してきましたが、これも飾りのよう(笑)

母一人の大きなこの家には、ネズミが天井裏で運動会をしてます
あれもこれもと見渡して気になることが一ぱいですが、今夜は取りあえず冷蔵庫の大掃除
何やら怪しいものがあります。処分してスッキリです

母の座ってる場所を見ると、手に届くように周りに置いてます
あーあ。これをいったいどう片づけたらいいのか・・・頭が痛くなりましたが
これは明日の宿題として今夜はこれで寝ましょう・・・と
 

《2月10日》

朝は母のおみそ汁で久しぶりのご飯の朝食です
今は、母の手作りの味噌ですが、母がポツリと言います「も_う味噌は作れん」と
今までは、私も娘もそして孫も母の味噌で過ごしてきました
いつかはこの時が・・・と思いましたが、やはりいわれると寂しいものです

母の寝室の掃除をしながら、何度も洗濯機を回します
この年になると、重い物は持てないし、掃除もなかなか出来ませんがしょうがないこと
今日は、布団を干せなかったのがちょっと残念です

一番気になった危なっかしい母のストーブを、新しく買おうと買い物へ出かけました
そして、近くに住んでる従兄弟と叔母のところへ挨拶へ
母一人になり、いろんな方へお世話になってます。本当にありがたいことです

午後は母の大好きなゲートボールの時間です
母は私に気にして「ゲートボールは行かない」といいましたが、それはないと
参加するようにしましたが、その間に私は掃除です

母のいる場所をいかに片づけるかが難題でしたが・・・・
手短に用が足せるようにと、手の届く範囲にものを置くのは必須。これが問題です
試行錯誤しながらの片づけも終了。買ってきたファンヒーターも快適で一安心

『中学校の同級会』

夕方からは幼なじみとの同窓会が開かれます
受付をするために早めに友人が迎えに来ました。「久しぶり!」といいながら
会場へ行くと,幹事の方がもうスタンバイ。いつもの懐かしい顔です

受付で、次々に訪れる友人が懐かしく、また「だ〜れ?」という人も・・・
70数名いた級友。今日は31名が集まります
卒業以来の人も居ます。しかし当時の面影はありいろんなことが交差します

宴会になり、近況を語りながらの楽しい時間
皆それぞれが本当にいい感じでおじさまおばさまになって、いい笑顔が素敵です
やはりあの当時のまま・・・皆そんな思いで話が弾みます

二次会は、談笑する人、カラオケの人
それぞれがいったり来たりでその場を盛り上げています。楽しそう・・・
あの当時の思い出話、「お昼のお弁当にお餅を持ってきてた事があったなー」
「○○が食べたかったなー」そんな思いを語りながら、話は尽きません

時間になりお開きに・・。されこれから泊まる人は20名も居ます
一つの部屋に集まって、またまた話が尽きません
そのときにでた話で、私の父の話が出てビックリしたことがありました

実は、当時かなりの悪ガキが居ました
そのTに、いつも指図されてたというKとM。「いつも俺たちは取ってくる方だった」と
ある時、我が家の竹を切って船を造ろうと計画。で、竹を切ったそう
その次の日、私の父が書いたものが吊してあったという

”ちょっと待て、して良いことと悪いこと 竹の討伐止めましょう”と

「これを読んで俺は竹をもう切らなくなった」とT

しかし、何しろわるがきのTのこと、次はミカンを採ろうと、手下に命令を
それも我が家のミカン畑のものだったらしい。そうしたらまた次のようなものが

”秋風や 悪魔が通る 山路かな”

これを見て以来、Tはミカンも採らなくなったと云います

ではそれ以降は・・・と聞きましたら
「お前んとこの先生(父)が、俺が竹やミカンを取ったことに対して何も言わなかった
だからこれ以来、俺はもうこんな事はしないと思った」そういうT でした

私は、この言葉を聞き父がやったことの素晴らしさに正直感動しました
そしてこれをよくおぼえてくれたTくんに対しても感謝です

「俺はいつもこれの命令でやらされていたんだよな」そう言いながら大笑いする友
今はこうしたことも笑い話になりいい思い出です
そんな話しをしながら、夜中の2時半まで続きました。話は尽きなかった・・・

《2月11日》

翌朝は、美容師のTちゃんに皆が髪の手入れの方法を指導を受けたり
料理の得意なAさんに美味しい焼き肉のたれの講習
しかしこれがまたまたビックリ。材料が半端じゃない。聞いてびっくり
お醤油4升。まずこれを聞いて皆がひっくり返った。なんとこの量はと・・・・

朝食の後、数名で近くの観音様へ行こうと話がまとまり出かけることに
丁度お祭りがあり、懐かしい味の甘酒を頂きながらゆっくりと
丁度そのときに中学の恩師に出会い、しばらく懐かしい話に花が咲きました
しかし先生って不思議。全部覚えてるんですねー。ビックリでした

その先生が、ご自分の体験からの話しを語りました
「先ずは健康ですよ。そして体にいい食事をして、自分の好きな楽しいことを
探してこれからを過ごしていきましょう」先生はいつまでも我が師でした

展望へ上がり我が町を一望しながら、海の綺麗さを改めて感じ海の思い出に
またまた一花咲かせ楽しい時間でした

いつまでも若々しいバイクで帰省のAさん、格好良かったなー
ご夫婦共に校長先生のYさん、葱や椎茸、そしてブドウを作ってる友人達
剣道で最高位の8段に挑戦中のYさん。新幹線通勤で4ヶ月24万の定期代というKさん
中学卒業で、今は社長になってる人も数名。皆よく頑張ります

当時の面影もさることながら、今がとても素敵になってる皆が嬉しい
また3年後には京都でお会いしましょうと分かれました

やはり故郷、そして幼なじみはいいものです。大事な宝・・・です

さて、帰宅してみるとお昼です。急ぎお昼の仕度して母と昼食です
まだまだ片づけはたんまりとありますが一休み
叔母にもらった花を、父の仏壇へ飾りながら父を改めて思い出します

夕方、大阪へ戻る友人を見送りに空港へ
お母さんが寝たきりでホームに入ってるので、会ってから飛行場へ来ました
「わっかてるようなのよね。何か言いたそうにするの分かるだけに、それを見るのが辛い・・」と
彼女の母へ思いやる気持ちと、我が母が重なって複雑だった

母のこれからをもうと、何もかもが心配
ではどうすればといえば、今は解決策が見つかりません。現状維持でいくことか・・・と
今夜も又母との大声のバトルが始まって・・・。ケンカじゃないよと心でいいながら

《2月12日》

今日は一日フリーで、デジカメもって故郷を写そう・・・
そう思っていましたが、急遽入院見舞いに行くことになり、午前中だけに

メル友さんのYさんへ会いに行きましたが、わんちゃんが走って迎えてくれました
しばらく話しをし、故郷の良さを語ってくださいました

その後はいつもの海岸へ行き、しばし海を眺めながらボーっとしてましたが
海が好きな私には、こんな時間は最高に好きな時間です
近くには故郷の懐かしい食べ物を売ってる店があり、そこで懐かしいものをゲット

午後からは親戚のお見舞いへ。高速を通りましたが車も少なくビックリです
快適な高速で別府まで行き、もう少し走りたい気分
母はズーッと気持ちよさそうに眠っていましたが、子供のようです

今夜の夕食もまた刺身があります
故郷は魚が新鮮で安くて美味しい。こんなに好きなら毎日食べさせて上げたいと思う
母の食欲は私以上。食欲があるからマァいいとしましょう

夕食の時に、母にはエビと唐揚げを作り冷凍に
これからしばらく食べられるようにと、1食分ずつ小分けにして冷凍しておきました
やはり一番気になる食事ですから・・・

夜、ちょっとの時間、友人3人でまたまたお喋りタイム
話しても話しても話が尽きなくて・・
「また帰っておいでよね。」 待ってくれる友人が居て幸せものです

《2月13日》

今日はもう戻る日です。なにかとあわただしい
いつものように母は、私が戻る前になると、あちこちが痛いと言い始めます
でも、しょうがないのよね〜。気にはなるけれど・・・

たまった新聞を縛り、それを車で運ぶとホッとした様子
重い新聞を自分で一輪車で運んでいたよう。これかちょっと気になりますが
時間がないとなると、あれもこれも時になることばかり

あっという間に時間は過ぎていきます
車に積みながら母は、こちらをなかなか見ようとしません
母との別れはいつもこうです。横を向いて顔を見ない母。辛いときです

空港に居るときに母から電話がありました
「居なくなって寂しくて寂しくて、何も手につかない・・」と

母にはこれからも元気でいてもらわなければ・・「転ばないようにしてよ」
そう言いながら電話を切りました

短い日にちでは、思うように出来ません
又母の元へ出かけ、残りの片づけをしなければと思います

母89才・・・・・ゲートボール命です