【石垣 りん】
「シジミ」
夜中に目をさました。
ゆうべ買ったシジミたちが
台所のすみで
口をあけて生きていた。
「夜が明けたら
ドレモコレモ
ミンナクッテヤル」
鬼ババの笑いを
私は笑った
それから先は
うっすら口をあけて
寝るよりほかに私の夜はなかった。
・・・詩集「表札など」より
茨木のり子とくれば次は当然石垣りんですね。
女流詩人として最も成功した二人です。
夜中にフト起きて、台所に水を飲みに行ったら、シジミがブチブチと呟いていた、という光景は誰もが経験しているに違いありません。
それが、これほど鮮やかに詩になるなんて驚きです。
石垣りんが「生活詩人」だと言われるゆえんです。
鬼ババの笑いをした石垣りんだって、そのあとはシジミと同じようにうっすらと口をあけて寝るしかなかったなんて、日常性以外の何ものでもありません。
詩にもっと高尚なものを求める人達にとっては、こんな詩は屑のように見えるのでしょうね。
でも所詮、文学なんて読者に共感を与えてなんぼのもんだと思います。
この詩を読んで「うん、あるある」と思った人は「石垣りんに一票!」で、それでいいのだと思います。
「表札」
自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様がついた。
旅館に泊っても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼場のかまにはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?
様も
殿も
付いてはいけない、
自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。
・・・詩集「表札など」より
石垣りんは生涯独身を通し、若い頃に勤め始めた銀行を定年退職するまで勤め続けました。
筋金入りの戸籍筆頭者です。
きっと凛々しい表札だったに違いありません。
そんな石垣りんだからこそ、「表札」も、次にご紹介する「略歴」もあだやおろそかに出来ない重みを持っているのです。
「略歴」
私は連隊のある町で生まれた。
兵営の門は固く
いつも剣付鉄砲を持った歩哨が立ち
番所には営兵がずらりと並んで
はいってゆく者をあらためていた。
棟をつらねた兵舎
広い営庭。
私は金庫のある職場で働いた。
受付の女性は愛想よく客を迎え
案内することを仕事にしているが
戦後三十年
このごろは警備会社の制服を着た男たちが
兵士のように入口を固めている。
兵隊は戦争に行った。
私は銀行を定年退職した。
東京丸の内を歩いていると
ガードマンのいる門にぶつかる。
それが気がかりである。
私は宮城のある町で年をとった。
・・・詩集「略歴」より
石垣りんの詩はとても分かりやすい詩が多いのですが、中には「ん?」と首を傾げる分かりにくい詩もあります。
そういった詩は石垣りん自身も何かもやもやとしたわだかまりがあるようで、読者にもその重い空気が伝わってきます。
次にご紹介する「契」という詩は何かミステリーを覗き見てしまった感じがして、とても気にかかります。
ちなみにこの詩は石垣りんの没後に未完詩集として出版された「レモンとねずみ」という詩集に収められています。
「契」
海よ云ふてはなりませぬ
空もだまつてゐますゆゑ
あなたが誰で 私が何か
誰もまことは知りませぬ
・・・詩集「レモンとねずみ」より
ところで、石垣りんはエッセイもなかなか素敵です。
「ユーモアの鎖国」とか「焔に手をかざして」とか・・・、他にも出版されているのでしょうか?
エッセイの方は長くなるので残念ですが転載いたしません。
悪しからず。