【黒田 三郎】


 「洗濯」

 酒を飲み
 ユリを泣かせ
 うじうじといじけて
 会社を休み

 いいところはひとつもないのだ
 意気地なし
 恥知らず
 ろくでなしの飲んだくれ

 われとわが身を責める言葉には
 限りがない
 四畳半のしめっぽい部屋のなかで
 立ち上ったり坐ったり

 わたしはくだらん奴ですと
 おろおろと
 むきになって
 いまさら誰に訴えよう

 そうかそうかと
 誰かがうなずいてくれるとでもいうのか
 もういいよもういいよと
 誰かがなだめてくれるとでもいうのか

 路傍の乞食が
 私は乞食ですと
 いまさら声を張りあげているような
 みじめな世界

 しめっぽい四畳半の真中で
 僕はあやうく立ち上がり
 いそいで
 洗い場へ駆けてゆく

 小さなユリのシュミーズを洗い
 パンツを洗い
 誰もいないアパートの洗い場で
 見えない敵にひとりいどむ

 水は
 激しく音をたてて流れ
 木の葉は梢で
 かすかに風にうなずく

            ・・・詩集「小さなユリと」より


 今から四半世紀前、私がまだ学生だった頃、黒田三郎の詩に出会い、たくさんの刺激を受けました。
 その頃の「自分は社会の役に立っていない」という学生特有の卑小感が、黒田三郎の世界にシンクロナイズしたのかも知れません。
 この「洗濯」という詩に限らず、「小さなユリと」に収められた詩篇はいずれも悲しいほどに背を丸めた詩でした。


 「かくれんぼ」

 急にしんと
 世界がしずかになる

 みんなが意地わるく
 黙りこんで

 頬っぺたのうぶ毛に
 なまぬるい風が吹く

                   ・・・詩集「もっと高く」より


 誰でもこんな経験があるでしょう。
 ふっと孤独を感じる瞬間です。
 この詩は鬼の役の子の孤独でしょうが、隠れる子の方も同じように孤独を感じていました。
 大袈裟に言えば、いったい自分はこの世界で必要とされているのか?
 ほっぺたに触る生ぬるい風はよその世界からの誘いでしょうか。


 「紙風船」

 落ちて来たら
 今度は
 もっと高く
 もっともっと高く
 何度でも
 打ち上げよう

 美しい
 願いごとのように

                   ・・・詩集「もっと高く」より


 この詩を希望の詩と読むか、それとも何度打ち上げても必ず落ちてくる挫折の詩と読むか、それは読む人の心の状態によって決まるのだと思います。
 少なくとも学生時代の私はこれを明るい希望の詩とは読めませんでした。
 しかしそうした精神状態も、やがて就職をし、社会に飛び出ると同時に変化していきました。
 社会の片隅とはいえ、自分の居場所を見つけていったからです。
 それは同時に、黒田三郎の世界との決別でもありました。
 うじうじとした文句垂れの世界に嫌気がさしてきたのです。


 「遠いある日」

 むせかえる
 草いきれのなかに
 ぼうぜんと立ちつくした
 遠いある日がよみがえる

 目くるめく夏の光
 風は死に
 肩のうえには
 ただ限りなく青い空

 あなたの心の中で
 そのとき何がくずれ落ち
 何がみどりに
 芽を吹いたか

                   ・・・詩集「ある日ある時」より


 黒田三郎から遠ざかって10年以上たったある日、本屋でふと懐かしく思って手に取った黒田三郎の詩集の中で、この詩に出会いました。
 それで全てが分かりました。
 誰かの文章で、終戦の日は信じられぬほどに真っ青な空だったと読んだことがあります。
 その言葉と黒田三郎の詩がオーバーラップしました。
 そうか、黒田三郎は死に遅れた世代なのか。
 戦争で死んだ仲間たちに負い目を感じて生きているのか。
 生意気な言い方ですが、許せると思いました。
 うじうじしてもいいじゃないかと思いました。
 それをきっかけに、再び黒田三郎の詩を読むようになりました。


 「夏草」

 真昼の原っぱに
 人影はなく
 忘れられた三輪車が一台
 その上を
 ゆらゆらと
 紋白蝶がとぶ
 激しい草いきれのなかで
 思うことは
 何もない
 むなしく滅びたもの
 かつては血と汗と泥にまみれたもの
 地から出て地にかえったもの
 すべては夢のように
 ただ
 紋白蝶が
 もつれてとぶばかり

                   ・・・詩集「羊の歩み」より


 この詩も「遠いある日」と同じ印象の詩です。
 同じように静謐な詩です。
 実は私はこの詩の原稿を手許に持っているのです。
 ひょんなことで手に入れた400字詰め原稿用紙1枚のこの詩稿を、額に入れて書斎の壁に架けてあります。
 原稿は最終稿ではないので、本になったものと若干異なる場合があります。
 この詩稿も実は一カ所だけ、上にご紹介した決定稿とは異なる箇所があります。
 それがどこかは、敢えて書きません。
 原稿の持ち主だけの密かでささやかな楽しみです。