【山本 太郎】



 「麻羅の唄」

 これは苦行の僧にて候
 月下の草原を走りぬけ
 絶壁に吠えては
 やがて棒のごとく
 無底の湖へ投身するのである

 これもと一個の美少年
 剃髪して頭(カシラ)輝くといえど
 好漢おしむらくは些か憂色を帯び
 夜毎酔狂して ものごし暗く
 やがて泡ふき夢幻のうちに倒れるのである

 これは これ 苦行の僧
 股間に 打坐し
 只管(ひたすら) 悪業を夢みるものにて候

            ・・・詩集「歩行者の祈りの唄」より


 いきなり品のない詩で恐れ入ります。
 山本太郎を語るときに、このような自由奔放さを避けて通ることは出来ないのです。
 この「麻羅の唄」は彼の処女詩集「歩行者の祈りの唄」に収録されています。
 処女詩集からいきなり山本太郎だったのですね。
 同じ詩集の中に「街を歩くと」という詩があります。
 何度も読み返してしまう詩なのですが、その理由がどうしても分かりません。


 「街を歩くと」

 街を歩くと
 人間はいつでも
 どこかへ行かうとしてゐる
 人間はいつでも
 「途中」なのだ

 街を歩くと
 未来は刻々
 ぼくらの顔に到着してゐる
 数百万の顔がとつぜん
 全く同じ表情にひきつるとき
 ぼくたちの歩行は終り
 始まった時と同じ様に
 おそらく
 一つの顔を持って還ってゆく

 さうして詩人の唄は
 そのときのためにあるのだ
 さいごの明日を
 確実に所有するときのために

            ・・・詩集「歩行者の祈りの唄」より


 この終末感はいったい何なのでしょう?
 「歩行者の祈りの唄」が戦後間もない頃の詩集ゆえ、原爆の記憶が残っているのかもしれません。
 あるいは山本太郎がクリスチャンであることも影響しているのかも知れません。
 詩人の草野心平は「歩行者の祈りの唄」の序文の中で、「戦争といふ大きなマイナスの栄養が、日本の詩にとっては一面、画期的なプラスになった」と書いています。
 ところで、山本太郎は日本には数少ない叙事詩を書くことの出来る詩人でした。
 それは、伯父である北原白秋の影響を受けたのかも知れません。
 叙事詩をここに採録するのは困難ですから、出だしの部分だけご紹介しましょう。
 気に入ったら全文を読んでみて下さい。


 「桃次郎」

 その壱・出生由来

 どんぶらこっこ どんぶらこ と大きな桃が流れてきたわけではない。むかしむかしの そのまたむかし というわけのもんでもない。
 いつでも どこにも 男と女はいたのだし 男と女がいれば ころんと子供なども ころがり出るのだ。
 鍬はピカピカ 畑はホカホカ よそめには幸せな夫婦(めおと)でも 因果な組み合わせというものがあって カボチャの花ひとつ咲かないためしもあるが ある日ある時 羊水の酸っぱい匂いの溜池に ヌーッと浮び上がった肉団子。
 スイスイスイと抜き手をきって たまには観海流などしゃれのめし 野葡萄色の水門を PONと蹴やぶり もんどりうって飛び出して 勢いあまり床柱にギャオーと激突。まことにすさまじい現世登場のありさまであった。
 こうした舞台で常にいちばん滑稽なのは男であるが 父になったのが納得できずに うろうろするばかりである。
 それにしてもこれは特大すぎた。髪ふさふさと鼻まで覆い 全身もうもうたる桃色の湯気で包まれた肉団子。これを一眼みてギャオーと汽笛一声発したのは 赤子か父かまことにもって 区別がつかない。新参のオヤジの仕事はせいぜい女房殿のおなかを撫でたり さすったり なかばうつろに「おうおう でかした でかした ようやった」と呟くだけだ。
 「大きな子供 日本一の男の子 桃からうまれた桃太郎 うん」と自問自答して これぞまさしく天のお恵み せっせせっせと毎日毎晩 汗水流し鼻水たらし 畑を耕したおかげよと 女房殿の口を吸いつづけるが 何故か女房の眼は あらぬかたをみつめたまんま ニコリともせぬあんばい。
 ものの毛 ももの毛 かわゆらしい お化けの卵。

                   ・・・詩集「鬼文」より


 これは比較的短い叙事詩で、というよりも山本太郎は叙事と叙情のはざまの物語詩と位置づけていますが、それでも第七章まで続く長編で、主人公の桃次郎が登場するまでまだ暫くかかります。
 さて次は「覇王紀」という長編叙事詩で、山本太郎はこの作品で読売文学賞を受賞しました。
 ちなみに山本太郎は「ゴリラ」で高村光太郎賞を、「ユリシイズ」と「鬼文」で歴程賞を受賞しています。


 「覇王紀」

 <汝、ゆきゆきて地の塩となれ>
 声は風にのり空いっぱいにひろがりました。そういうことを言うものが、どこかにいるので、物語りがはじまっちまうんです。
 だいいち、汝とは誰のことで、そいつが何処にいるのか。君であるかお前であるかそれとも僕であるのか。
 七億とんで三百八十七個の、鳥に似た空のいきもの達は、一瞬、青空に密着された模様のように停止しました。そして眼玉だけをグルッとうごかし隣の奴を見ました。隣の奴はあわてて眼をそらし、そのまた隣の奴をうたがいぶかげに見上げました。
 眼玉の伝染は、七億とんで三百八十七個の空のいきもの達の間で、いちどきに発生し錯綜し、けっきょくみんな「ああ僕が汝なんだなあ」とうなだれるのでした。そして七億とんで三百八十七個の汝達は次の瞬間、いっせいに、やみくもに飛びまわりはじめるのでした。
 (たいへんだ たいへんだい。いそいでゆかなきゃ叱られる)
 しかし空中生活者達は「地」というものがいったい何処にあるのか、誰も知りませんでした。塩は涙でつくることを知ってはいましたし、涙は空中生活者達にとって、いわば言葉のようなものでしたから安心だけれど、(どこまで塩になりゃいいんだい。頸までかいヘソまでかい)とこごえで囁きあうものもいました。
 (丸ごとぜんぶ塩になっちまうなんて、そんな、ひと泣かせが住んでいる「地」へいったい誰がいきたいものかね)
 空中生活者達はパッと飛びあがって十字をきったり、ツツイと横滑りをして隣の奴の後ろにかくれたり、クルルと宙返って瞑想したりしました。
 傘形散開・棒状盲進・激突花裂。開いたり結んだり、大空は七億とんで三百八十七個の、鳥に似た空のいきもの達でしわくちゃになり、沢山の稲妻が花火のようにひらいて、すっかりお祭りさわぎでした。
 雲の話をしているのではありません。もっともっと高いところで、たしかにおこった物語りのはじまりです。

                   ・・・詩集「覇王紀」より


 いやはや山本太郎の本領発揮です。
 この部分は「はじめに悪意ありき」と題された、最初の2ページの部分で、この後、185ページの大叙事詩が展開されていきます。
 ちなみに、私が持っている「覇王紀」は限定350部のうちの9番本で、詩人の西脇順三郎に献呈されたものです。(これは単なる自慢です。失礼)