【杉山 平一】



 「日曜の夕方」

 −−ジュースものんだし

 −−ホットケーキモタベタシ

 −−おもちゃも買ったし

 −−ヨカッタネー

 粗末な服の母と子が
 手をとりあって

 私を追い抜いてゆく

              ・・・詩集「木の間がくれ」より


 いかがですか? これはたった7行の詩ですが、「私」を追い抜いていった母子の暮らしや笑顔や生き様までもが全て見えるようではありませんか。
 ステキなお母さんですね。ステキな子供ですね。
 こんな情景を切り出した杉山平一という詩人もステキな人ですね。
 「木の間がくれ」は、杉山平一の第5詩集です。
 1943年に出版した処女詩集「夜学生」で、杉山平一は中原中也賞と文芸汎論賞を受賞し、詩壇に華々しくデビューしました。
 しかし、その後は詩作活動から離れて実業の世界に入っていきます。

 杉山平一が第3詩集「声を限りに」を出したのは、処女詩集から25年後、事業が破綻してから後のことでした。
(ちなみに第2詩集「ミラボー橋」は散文詩集、というかエッセイのような本でした。)


 「下降」

 仲好しと、いま別れたらしい
 娘さんが笑みを頬にのこしたまま
 六階からエレベーターに入ってきた
 四階で頬笑んだ口がしまり
 三階で頬がかたくなり
 二階で目がつめたくなり
 一階で、すべては消えた
 エレベーターの扉があくと
 死んだ顔は
 黒い雑踏のなかに入って行った

              ・・・詩集「声を限りに」より


 こんな光景をよく見かけます。
 どうしてにこやかな笑みのままではいられないのでしょう。どうしてよろいを着てしまうのでしょう。

 詩集「声を限りに」の後半は、その頃すでに幻の詩集となっていた「夜学生」の45篇のうち31篇が再録されています。
 それでは杉山平一の第1詩集「夜学生」の中からご紹介しましょう。


 「ストーブ」

 行く道は次々にふさがり
 僕の胸は暗い石炭で一杯だ

 けれども燃えるぞ
 今に声あげて燃えるぞ

                ・・・詩集「夜学生」より


 これは苦学する夜学生に贈る詩でしょうか?それとも父親の跡を継いで実業界に乗り出す詩人自身の決意でしょうか?
 次の詩も「夜学生」の中に収録されています。実業界でバリバリ仕事をしていた頃の詩です。


 「邂逅」

 ひょいと出会った おおうれしい
 われらは二百里離れて暮しているのに
 ここは大阪の停車場なのに
 遠くの友よ
 二時間前にはお前は京都河原町をバスで西
  へゆられており 僕は呼出しをうけて神
  戸の県庁への坂を北へ上っていたのに
 五時間前には お前は下り鴎号の窓から天
  竜川を見おろしており 僕は尼崎の工場
  で退職を申出た労務者と果しない口論を
  つづけていたのに
 そして十時間前には お前は丸ビルの廊下
  を東へ廻っており 僕は工場の広場で自
  分の言葉の矛盾を気にしつつ青少年工に
  訓辞していたのに
 ここにわれら雑踏をすりぬけて行き当った
 こみ入った距離と時間と方向の組み合わさ
  れた この偉大なる時間表は何であるの
  か
 おおなつかしい遠くの友よ
 われらビジネス多忙である
 導くものに導かれつつ
 それでは友よ
 再び運行をつづけよう
 健康でそして坦々として

              ・・・詩集「夜学生」より


 杉山平一は寡作な詩人です。
 詩集「声を限りに」から10年後、詩集「木の間がくれ」の10年前に第4詩集「ぜぴゅろす」を出版しました。
 昭和52年のことです。


 「不在」

 お隣は 遠くへ
 引越して行ったのに

 シーンとした空家にむかって
 幼い女の子が呼びかけている

 きいくちゃーん
 あーそびましょおおー

 ゆるやかに うたうように
 信ずるものの澄みきった声で

              ・・・詩集「ぜぴゅろす」より


 昭和の時代にはこんなシーンがよくありましたね。
 「きいくちゃーん」って、その情景が目に浮かぶようです。
 またあしたも誘いに来るのかな? もう居なくなってしまったことにいつ気が付くのかな?

 実業の世界に身を置きながら市井の人々の姿を温かい目で見守り続けてきた杉山平一ですが、晩年になってようやく気がついたように自身の老いについて語り始めます。
 第6詩集「青をめざして」にはそんな心境の変化が描かれています。


 「青をめざして」

 ただ目の前のシグナルを
 青のシグナルを見つめて
 脇見をしないで
 歩いた
 どこへ行くのか考えたことも
 なかった
 青を見つめて
 青だけをみつめて
 わたしは歩いていった

 どこが悪かったのだ
 みんなどこへ消えたのだ

                ・・・詩集「青をめざして」より


 「どこが悪かったのだ」という自分への問いかけは、決して人生を後悔しているのではなく、ただ一所懸命走ってきたからこその戸惑いでしょう。
 「後悔」ならば過去の曲がり角や赤信号に思いを馳せるでしょうが、詩人にはそんな気持ちはありません。
 むしろ、脇目もふらずに走り続けた末のゴールに、待っていてくれた人もご褒美も無かったことに戸惑っているようです。


 「最後の会話」

 壊れた建物の下敷きになっていた

 「悪いな かせぎが悪うて
 大きな家に住めへんかった」

 「そんなことないよ あんた」

 それが最後になった妻との会話を思い出しながら

 深夜のトラック運転手の前に
 青いシグナルが滲んで
 近づいてくる

                ・・・詩集「青をめざして」より


 この詩は阪神淡路大震災の後に書かれたものです。
 被災者とその家族との間に様々な会話が交わされたことでしょう。
 そしてその多くはお互いに相手を気遣う会話であったに違いありません。

 杉山平一の最終詩集「希望」は詩人が97歳の年に出版されました。
 この詩集を編纂中に東日本大震災が発生しました。


 「希望」

 夕ぐれはしずかに
 おそってくるのに
 不幸や悲しみの
 事件は

 列車や電車の
 トンネルのように
 とつぜん不意に
 自分たちを
 闇のなかに放り込んでしまうが
 我慢していればよいのだ
 一点
 小さな銀貨のような光が
 みるみるぐんぐん
 拡がって迎えにくる筈だ

 負けるな

                ・・・詩集「希望」より


 最終詩集の題名を「希望」とし、上記の表題作を巻頭に置いたのも、復興への気持ちを支える力になればと祈ってのものだと詩集の後記に書かれています。
 次は「いま」という詩。


 「いま」

 もうおそい ということは
 人生にはないのだ

 おくれて
 行列のうしろに立ったのに
 ふと 気がつくと
 うしろにもう行列が続いている

 終わりはいつも はじまりである
 人生にあるのは
 いつも 今である
 今だ

                ・・・詩集「希望」より


 最後にもう一つ、私の好きな詩を。
 自戒を込めて。


 「わからない」

 お父さんは
 お母さんに怒鳴りました
 こんなことわからんのか

 お母さんは兄さんを叱りました
 どうしてわからないの

 お兄さんは妹につっかかりました
 お前はバカだな

 妹は犬の頭をなでて
 よしよしといいました

 犬の名はジョンといいます

                ・・・詩集「希望」より