【ゴッホ 「ドービニーの庭」】(広島県 ひろしま美術館)
ゴッホの最晩年の作品「ドービニーの庭」を所蔵する「ひろしま美術館」は、1978年に広島銀行の創立100周年を記念して開館されたとても魅力的な美術館です。
この美術館は複数の建物で構成されていますが、その本館にあたる建物は美術館としては珍しい円形をしています。
その円形の建物を扇状に分割するように展示室が作られており、そこに印象派やその前後の時代の質の高い絵画が多数展示されています。
それらの作品の中でひときわ輝いているのがゴッホの「ドービニーの庭」です。
この作品はゴッホが敬愛する画家のドービニーが生前に住んでいた家と広大な庭を描いたもので、ゴッホがドービニーの未亡人を訪ねた際に制作されました。
ゴッホはそのあとアトリエに戻ってから同じ絵をもう一枚描き、そのうちの一枚を後日ドービニー夫人に贈呈しました。
ゴッホは自分の絵を他人に贈呈するときは必ず同じ絵をもう一枚描いて渡すそうですから、このようにほぼ同じ構図、同じサイズの絵が2枚存在するのです。
ちなみに相手に渡す絵は大概は最初に描いた絵のことが多く、それに自分のサインを書いて渡すのだそうです。
もう一枚の「ドービニーの庭」はスイス・バーゼルのバーゼル美術館にあります。
絵の所有者は個人ですがバーゼル美術館に寄託して展示されているのです。
そのバーゼル作品とひろしま作品の一体どちらが先に描かれたのか、という論争があります。
「先に描いた絵の方を贈呈することが多い」のであればドービニー夫人に渡されたひろしま作品の方が先に描かれたということになり、「構図や色彩の完成度」を基準で見ればひろしま作品は後で描かれたものと考えられます。
一方、サイン(この絵の場合は名前ではなく絵の題名ですが)は手許に残しておいた方のバーゼル作品にのみ入っており、一体どちらが先に描かれたのか判然としません。
そこで考えられるのは、描いた絵をすぐにドービニー夫人に渡そうとサインを書きこんだが、渡す前に同じ絵をもう一枚描いたらそちらの方が出来が良かったのでそれをドービニー夫人に贈呈したのではないでしょうか。
なんて思っていたら、実はこの絵がドービニー夫人に贈呈されたのはゴッホの没後にゴッホの弟のテオによってだということが分かりました。
したがって矢張りどちらが先に描かれたのかはよく分からないのです。
「ドービニーの庭」はゴッホの最晩年の作品です。
この絵は縦50cm、横1mという横長の変形カンバスに描かれています。
ゴッホは亡くなる1か月ほど前から13枚の絵を同じ大きさのカンバスに描いていてそれらがゴッホの遺作になりました。
オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館に「鴉の群れ飛ぶ麦畑」という絵があります。
ゴッホの遺作となった13枚の絵の一枚です。
まるで生きているかのように波うって揺れうごめいている麦畑から不穏な色の空に向けてたくさんの鴉が一斉に飛び立っている絵です。
私はその絵こそが麦畑でピストル自殺を図った(とされている)ゴッホの遺作だと思っていますが、その直前に同じ画家が「ドービニーの庭」のように穏やかな絵を描いていたとは信じられない思いがします。
さて、この「ドービニーの庭」にはもう一つの謎があります。
それは、バーゼル作品に描かれている印象的な黒猫がひろしま作品には描かれていないことです。
バーゼル作品には絵の左下に庭を横切ろうとする大きな黒猫が描かれています。
それがひろしま作品では、その部分が不自然な色で塗られているのです。
その理由については諸説あります。
(1)ゴッホ自身が黒猫を塗り潰した
(2)あたかも黒猫を塗り潰した風にゴッホ自身が描いた
(3)後世の誰かが不吉な黒猫を嫌って塗り潰した
(4)この絵を所有していた画廊が絵を売りやすくするために黒猫を塗り潰した
などなど
その後の研究で、ひろしま作品にも当初黒猫が描かれていたが、ゴッホの没後10年ほど経った1901年頃に当時の所有者によって黒猫が塗り潰されたことが分かりました。
だったらゴッホが描いた状態で見たいものですが、最近の絵画修復の風潮として、修復の際に後年に加筆された部分を取り除いてオリジナルに戻すことが多いので、いずれひろしま作品も黒猫が姿を現すかもしれません。
ひろしま美術館は1974年にこの絵を入手してからこれらの経緯や謎について学術的な研究を重ね、その結果を「ゴッホ《ドービニーの庭》のすべて」という冊子にまとめました。
その冊子はひろしま美術館のミュージアムショップでも販売されており、まるでミステリーのような内容と多数の美しい画像が収められていて、私はひろしま美術館の公式ガイドブックを買わずにそちらの方を買い求めました。
なおその冊子にはゴッホが描いた当時の状態に復元した「ドービニーの庭」が見開きページで掲載されており、退色した色が元の美しい色に復元されているほか、黒猫もちゃんと描かれています。
(おまけ)
私は「鴉の群れ飛ぶ麦畑」を展示しているアムステルダムのゴッホ美術館へは2度行ったことがあります。
1度目は美術館が開館されたその年の1973年で、とても期待して行きました。
しかし展示されていたのはオランダ時代の暗い色彩の作品とたくさんの版画作品やデッサン類、そしてゴッホが集めていた膨大な量の浮世絵ばかりで、当時の私の貧困なイメージのゴッホ作品とはかけ離れていたため大変ガッカリしました。
2度目にゴッホ美術館を訪れたのは2003年で、この年はゴッホの生誕150年にあたる記念の年のため美術館が所蔵するゴッホの作品は外に貸し出されることなく展示されていたためジックリと見ることが出来ました。
「鴉の群れ飛ぶ麦畑」ももちろん展示されていて、その迫力に圧倒されました。
「もう一つのドービニーの庭」を所蔵するバーゼル美術館があるバーゼルの町には2007年に訪れました。
バーゼルは「ロシュ社」や「ノバルティス社」など世界的な製薬会社が本社を置いており、ライン川沿いに大きな工場が建ち並ぶ工業都市です。
一方でスイスを代表する文化都市でもあり、バーゼル美術館をはじめとして多くの美術館がありますが、残念ながらこの時は美術館を訪れる時間がなく「もう一つのドービニーの庭」は見ずじまいでした。
今思うととても残念なことをしました。
(追記)
日本にあるゴッホ作品と言えばSOMPO美術館の「ひまわり」が有名です。
アルルの「黄色い家」を飾るために描いた7枚の連作の一枚です。
名画ではありますが、描いた時期が季節外れだったのか、ほとんどの花が花弁を落としています。
同じ「ひまわり」でも初期に描いた作品のほうがヒマワリらしくてきれいかな。
この絵は、1987年に53億円で購入したことでも話題になりました。
(2022.07記)
(2025.01追記)