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製作 | 1961年 ・ アメリカ映画(ミリッシュ・カンパニー製作) |
監督 | ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンズ | |
出演 | ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリン、リタ・モレノ、ジョージ・チャキリス | |
原題 | WEST SIDE STORY | |
栄誉 | アカデミー賞(受賞):作品賞、監督賞、助演男優賞(ジョージ・チャキリス)、助演女優賞(リタ・モレノ)、ミュージカル作曲賞、録音賞、美術賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞、特別賞(振付) アカデミー賞(候補):脚色賞 | |
上映時間 | 152分 | |
私の評価 | 9点 |
「ウエスト・サイド物語」はミュージカル映画の最高傑作の一つです。 それまでのミュージカル映画とは全く異なるテイストを持った作品で、初公開時には驚きと熱狂をもって迎えられました。 ロードショー公開をした丸の内ピカデリーでは、なんと73週509日(1年半)におよぶロングラン上映を果たしました。 昨今の映画はたくさんのスクリーンで同時に公開することが常ですが、当時の大作映画は単館上映から始まって、しばらくすると拡大ロードショーになり、それから全国の映画館で一般公開になり、最後は場末の映画館で2本立てか3本立てで上映されていました。 私は拡大ロードショーになってから「渋谷松竹」で観たのですが、それでも客席は満員でした。 ミュージカル映画はブロードウェイなどの劇場で舞台劇として上演された作品を映画化するのが常です。 「ウエスト・サイド物語」も1957年の初演からブロードウェイで985公演を行ない、映画の公開時にもまだブロードウェイでロングラン中でした。 当時のミュージカル映画は舞台の映画化に過ぎませんから、よほどのことがなければ室外でのロケは行いません。 その殻を破ったのが「ウエスト・サイド物語」で、冒頭のシーンなどはニューヨークの一画を借り切って撮影が行われました。 この流れはロバート・ワイズ監督の次作「サウンド・オブ・ミュージック」にもつながっていきます。 映画が始まって最初の15分間は何度見ても見飽きることがありません。 ゆったりとしたダンスから始まり、次第に早く激しくなり、警官の笛が鳴り響いて動きが停まるまで、息をつかせぬ展開が繰り広げられます。 その後も美しい歌やダンスシーンなどが満載で本当に素晴らしいミュージカル映画になりました。 アカデミー賞では11部門にノミネートされて、脚色賞を除く10部門で受賞しています。 さらにジェローム・ロビンスの振付に対して特別賞が与えられていますので、11冠ということになります。 ほぼ総なめですね。 物語はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を現代のニューヨークに移し替えたものなのですが、物語にひねりがないので、何度も観ていると少しだるくなる箇所があります。 そこを若干マイナスして、私の評価は9点としました。 【ジェローム・ロビンス】 「ウエスト・サイド物語」のオリジナル舞台はジェローム・ロビンスの原案、演出、振付によるものでした。 映画化にあたってもジェロームは深く関与し、ロバート・ワイズとの共同監督として、音楽シーン、ダンスシーン、喧嘩シーンの責任者でしたが、撮影が6割ほど進んだ時点で予算超過を理由に解任されてしまいました。 この映画はほぼジェロームの映画だと言っても良いのに、ハリウッドは厳しいですね。 しかし、クレジットにはちゃんと共同監督と振付担当で載っていますし、アカデミー賞では彼の振付に対して特別賞が授与されています。 【主演女優】 主演女優のナタリー・ウッドは「理由なき反抗」でアカデミー助演女優賞にノミネートされ、一躍人気女優になりました。 「ウエスト・サイド物語」でマリア役を射止めたナタリーはダンスと歌のレッスンに何週間もの間、毎日12時間を費やしました。 それなのにナタリーの歌声は使われず、「最強のゴーストシンガー」と呼ばれるマーニ・ニクソンによって吹替されてしまいました。 「マイ・フェア・レディ」のオードリー・ヘップバーンと同じですね。 ナタリーもオードリーも立派な主演女優なのに、二人ともアカデミー賞ではノミネートすらされませんでした。 二人ともお気の毒に。 【主演男優】 「ウエスト・サイド物語」の主役であるトニー役は、当初はエルヴィス・プレスリー、ロバート・レッドフォード、バート・レイノルズ、ウォーレン・ベイティらが候補に挙がっていたそうで、特にエルヴィス・プレスリーは本人もその気になっていたようですが、歌の版権などの問題で実現しませんでした。 もしもエルヴィス・プレスリーがトニー役を演じていたらどんなだったか気になります。 なお、最終的にトニー役を得たリチャード・ベイマーの歌もナタリ―・ウッドと同様に吹替になり、同様にアカデミー賞ではノミネートすらされませんでした。 【ソール・バス】 ソール・バスは「黄金の腕」や「悲しみよこんにちは」「栄光への脱出」などのタイトルバックで有名ですが、「ウエスト・サイド物語」では視覚効果顧問という役割でクレジットされています。 これがどういう役割なのかは分かりませんが、序曲におけるあの印象的な色が移り変わる背景や、映画の終わりに流れる落書きのようなクレジットはソール・バスによるアイデアだと思います。 関係ない話ですが、京王デパートの紙袋の鳩のデザインはソール・バスによるものです。 「ピカソにするかソール・バスにするか」との検討の末にソール・バスにデザインを依頼したそうですから、ソール・バス凄いですね。 【映画のパンフレット】 上の画像は最初のロードショー公開時のものです。 日本初公開は1961年12月23日、アカデミー賞の発表は翌年の1962年4月9日、それなのにパンフレットの表紙にはアカデミー賞のオスカー像が印刷されています。変ですね。 実は、上のパンフレットはアカデミー賞の受賞後に増刷されたものだからです。 私が渋谷松竹でこのパンフレットを買ったのは1963年1月4日のことでした。 ということは、受賞前にはオスカー像が印刷されていないパンフレットがあったということですね。 上のパンフレットの表紙裏には受賞した11個の賞の名前が列記されているのですが、受賞前のパンフレットには何が書かれていたのでしょうか、少しだけ気になります。 (2024.12記) |