【北原白秋のこと】



 北原白秋の著書をたくさん持っています。
 25年ほど前から蒐集を始めて、約四半世紀になりますが、これまでに約60冊の古書と、同じくらいの数の新刊本を買いました。
 さすがに最近では、古書店に行っても新たに買う本がなくて、空振りすることが多くなっています。
 それほど熱を上げて集めても、出版された著作全体の半分にも満たない状態で、白秋山脈の偉大さに改めて頭が下がる思いが致します。
 先年(と言っても、もう10年以上前ですが)岩波書店から「白秋全集」が出版されました。
 一つの本箱を占有するほどの全四十巻の大全集で、北原白秋のほぼ全仕事が網羅されています。
 私の白秋めぐりはその全集の購入でひとまず終了としました。

 なぜ白秋なのかという話をいたしましょう。
 皆さんは北原白秋というとどんなイメージをお持ちですか?
 「ペチカ」や「あわて床屋」などの童謡を思い浮かべたり、学校の教科書で読んだ「落葉松」や「思い出」などの詩や、短歌などを思い浮かべるかも知れません。
 あるいは、「私が卒業した学校の校歌を作詞した人ですよ」とか、「うちの会社の社歌は北原白秋の作詞だぜ」(例えば日本電気)という人もいるでしょう。
 多分、白秋のイメージは、人によって、詩人、歌人、童謡作家、民謡作家とさまざまだろうと思います。
 それらがすべて白秋なのです。白秋が「国民的詩人」と言われていたのは、まさにそうした白秋山脈の偉大さゆえのことでした。
 白秋はまさに、それぞれの分野でトップランナーでした。
 詩人としては、デビュー作の「邪宗門」で日本の世紀末を象徴する詩人でした。
 また、第2作の「思い出」は甘美な青春を歌った詩集として日本文学史上に燦然と輝いています。
 晩年にいたっては、枯れた味を出し、当時の代表作「落葉松」は学校の教科書でもおなじみですね。
 短歌の世界では「多摩」を主催し、「アララギ」の斎藤茂吉と並び称される大歌人でした。
 その作風の自由奔放さは俵万智など足元にも及びません。
 不倫の一夜を過ごした翌朝、こんな短歌を詠んでいます。
 「君帰す 朝の敷石サクサクと 雪よりんごの香のごとく降れ」
 リンゴの香りのような雪なんて、今時の詩人や歌人には表現出来ませんよね。
 そして童謡では、並び称される人もいないほどの高みを極め、歌謡や民謡でも大きな足跡を残しています。
 「ちゃっきり節」や「城ヶ島の雨」も白秋の作詞なのですよ。
 だから、白秋を語るにはそれらの全ての分野を俯瞰しなければならないのです。
 白秋に関して、評論家諸氏が及び腰なのはまさにその点にあります。
 残念ながら我が国の評論家はそれぞれの分野に特化しているため、複数の分野を横断的に評論する力がないのでしょうね。
 白秋ときたら、童謡で書いた題材の続きを短歌で書いたりするものだから、一分野だけの評論家にとってはやたらと論評しにくい作家に見えるのだと思います。
 ある、詩の評論家が「白秋は晩年がつまらない」、と書いていましたが、晩年の白秋は短歌の中にその老境をよく表現しているのです。

 私が大学生だった時の話です。
 本屋で文庫本の棚を片っ端から見ていって、面白そうな本を探し出そうとしていたときのことです。
 新潮文庫のコーナーで北原白秋の童謡集が目にとまりました。
 普段なら通り過ぎてしまうところですが、その日は他に面白そうな本が見付からなくて、何気なくページをめくってみました。
 驚きました。自分が幼い頃に歌ったり聞いたりした歌がぞろぞろと出てくるのです。
 「あの歌もそうか」「この歌もそうか」と夢中になってしまいました。
 子供の頃は作詞者や作曲者なんか気に留めていませんからね。それらが白秋の作詞だとはそれまで全く気が付かなかったのです。
 急に白秋を身近に感じました。

 白秋との次の出会いは、意外にも、父親の本棚の中でした。
 難しそうな仕事の本に混じって一冊の革表紙の本がありました。
 それが、名全集の誉れの高い「白秋全集」の中の一冊だったのです。
 戦前の、まだ物資に余裕のあった時代に作られたその全集は、現在でも個人全集の最高峰として古書業界に人気の高いものです。
 父はそれを、学生時代に神田の古本屋で買ったそうです。父の意外な側面を見たような気持ちがしました。
 それが、私が就職をする直前の出来事で、就職をした私は、初めてもらったボーナスの記念に一冊の白秋の詩集を買い求めました。

 白秋について、これ以上書く言葉を知りません。
 この後、白秋の著作を一冊づつ取り上げてその中から私の好きな作品をご紹介しようと思っています。
 白秋ファンが一人でも増え、白秋めぐりを始める人が現れることを祈って。
(1999/10/12記)