−第28夜− エスケーセン社 事業を終了! これからどうなる
 フロートペンの独占的製造者であり世界各国の観光地で高い知名度を持つエスケーセン社が事業を終了しました。
 2024年6月末をもって新たな受注を止め、受注残の製造終了と共に事業を終えたのです。
 なぜ事業を終了したのか?
 聞けばフロートペンの製造事業そのものは極めて順調だったそうですが、従業員の高齢化が進んだため「もうやめた」ということになったそうです。
 「えっ、そんなことでやめちゃうの?」「事業の後継者や若い社員は育ててこなかったの?」と呆れてしまうのですが、とにかく事業を終了するということなのですね。

 この「フロートペン千夜一夜」の第一夜にフロートペンの誕生の歴史を載せました。
 デンマーク人のペーダー・エスケーセンさんがコペンハーゲンの地下室で起業したのが1947年。その4年後の1951年にフロートペンが誕生しました。
 創業から77年という歳月は長いのか短いのか。
 日本人の感覚では近所の蕎麦屋でも100年続いている店はごろごろしているように思うのですが、西欧人にとってはそれは考えられない長さなのでしょうか。
 ところで「企業寿命30年説」という学説があります。これは、企業の事業内容が時代にそぐわなくなった時に倒産したり廃業したりする、という学説です。それが製造業の場合、平均すると約34年なのだそうです。
 エスケーセン社の場合はペーダーさんが創業してから43年経過した1990年に経営権を第3者に譲渡し、エスケーセン家の手を離れました。
 それからさらに34年経って、エスケーセン社自体がこの事業から手を引いたことになります。
 もう経営が成り立たなくなったというのならまだしも、事業は順調だったというのですから、どうにも解せません。
 フロートペンのコレクターである私としては誠に残念でなりません。

 既に工場は閉鎖され、製造機械も搬出されたそうですが、かつて工場が稼働していた時は大勢の従業員が働いていました。
 中でもフロートペンのチャンバーにプラスチック片を入れオイルを充てんする作業は重要機密作業として七人の特別な職人だけがその作業場に入室を許されていたそうです。(この話は「七人の侍」や「白雪姫と七人の小人」みたいで私は好きです)
 また、最終工程のフロートペン組立作業は近隣の村のお爺さんお婆さんの手内職だったそうで、一輪車(通称ネコ)に部品を山のように積んで自宅に持ち帰る姿があったそうです。
 そんな姿ももう見られないのですね、などと感傷的になっていたら、現在の工場を知っている人から「今の機械は部品を入れてボタンを押すだけで次々に出来上がるのですよ」と笑われてしまいました。
 それでも事業の終了時には約20人の従業員がいたと聞いていますが。皆さんその後どうしているのでしょうか。  ちなみにデンマークの首都コペンハーゲンから車で1時間程西に向かったSt. Merlose(ストアメルローズ)という町にあったEskesen社の建物は、家畜用の飼料混合物を製造する会社であるDESTEKに売却されたそうです。

 朗報もあります。
 日本のディストリビューターであるレトロバンク社がフロートペンの製造機械やノウハウの一切を引き継いで日本でフロートペンの製造を継続するというのです。
 2024年中に機械を日本国内に移設し、2025年の早い時期に製造を開始するそうです。
 「フロートペンの灯を消してはならない」と男気を示したのがNさんという若くて美しい女性社長なのですから大拍手です。
 是非ともスムーズな事業継承が行われることを願ってやみません。

 それではまた明晩