『ユング研究4』日本ユング研究会、名著刊行会、1992年5月発行、p.91-103 より

女性分析家と傷ついた少女との転移−逆転移

ベッティ・メドーア  島田凉子訳


 女性が十全性[1]へと成長するためには、「自己」の女性的な あり方に至る道を発見しなければならない。すると彼女の 自我は反照し[2]、表現し、神的女性性 [3]に根づくだろう。それ はすなわち、われわれが元型的女性性と呼ぶコンプレック ス・エネルギーが、自我に方向性を与えるようなあり方で ある。
 幼少期の障害が原因で自我が不健全に形成された女性 は、元型的女性性に関わる特殊な問題を持つ。子供時代の 不適切な子育てによって受けた傷は、大人になっても生き ていて、自尊心の低さに対する、また女性らしさや女性と しての彼女自身に対する、不安定な関係という形で現われ る。こうした女性の自己評価は、男性や男性性に有利な文 化の中で、現実の不公平に気づくことによってさらに傷つ けられる。傷ついた少女の自我は自らの自然な女性的土壌 に対してあまりにも盲目であるため、彼女は自尊心を高め るために、文化的に優位にある男性的な態度や価値に自分 を合わせようとするのである。この女性は弱い自我のまま 大人になり、集合的に保持された態度によって支配されて いるので、これにしがみつかないでは生きていくことがで きないのである。彼女の心のなかには傷ついた子供がお り、自然な成長を阻まれている。それにもかかわらずこの 子供は、女性を「自己」へと導く、女性的な本能の種子を 持っているのである。
 治療場面における大人のなかの傷ついた子供の治療につ いては多くの著作がある。この論文では的を一つに絞り、 女性クライエントと女性分析家のあいだに、傷ついた子供 が現われ統合を求め始めるときに起きる転移−逆転移につ いて考察したい。 視野を広げてみるなら、私が注目しているのは、一人の 女性がその女性的「自己」の支えを父権性から元型的女性 性へと移す、推移あるいは移行という問題である。 この過程のなかで彼女は外的文化のゆえに彼女自身に押し つけてきた態度をやめ、本能によって生み出され彼女の夢 や想像や感情に現われ始めた態度を育てようとする。
 元型的見方をすれば、この移行は、魚座から水瓶座への 移行の時代[4]の課題である。さまざまな姿をした女神たちが パンテオンの中の意識の場へ再び現われようとしている。 この桁はずれの元型的イベントはきわめて多彩な形でわれ われの世界に現われるのであり、それは予測も準備もして いない分析家と被分析者の心の中にも現われてくるのであ る。
 皮肉なことに、内なる少女の傷そのものが神的女性性を 知っているのである。その傷は一方で彼女を著しく無能に し、感情的に苦痛なものであるが、他方で女性的本能への 秘密の忠誠を含んでいる。その傷は暗黙のうちにこう言っ ている、これは正しくないと。女性性が圧迫されたり軽蔑 されたりすることは正しくない。女性の秘密、時として彼 女の恥は、彼女が聖母マリアだけでなく、追放されたバビ ロンの淫婦[5]の血にもつながっているということである。女 性は、文化によって否定され抑圧されてきた女性性の本能 的な側面を、深く感じとっているのである。われわれの文 化の元型的父権的背景は頑固な保守性を持っている。 新しい元型的様式――女神――が心の中に最初に現われた 人は、異質なあるいは敵対的な文化の中でその重みに耐え なければならない。古い文化形式は、悪い結婚や神経症的 防衛に似て、昔は役に立ったということに頼って生き残ろ うとするものである。
 傷ついた少女を養い育てようと試みる女性にとって特有 の問題は、この子供が「自己」の女性的本能的なあり方に 最終的に基づかなければならないということである。女性 的本能は、文化の中では、陽の当たらない場所にいる。魔 女は女性的本能を、直観的な知恵や心の癒しとともに持っ ている。この無法な女たちは、自らの父親に向かって漲る 性を投げつけるとき、女性的本能を所持していた。この女 性性の確かな集合的現われは、ちょうど個人の魂のなかで 分裂させられているのと同じように、生存可能な文化的表 現から分離され排斥されてしまった。だとしたら、女神が 傷ついた子供を癒すと約束しつつ現われると、女性たちが おののくのもそれほど不思議ではない。 私は傷ついた子供が持っている女性性の愛の種子が花開 くのを見たいと思う。私はとくに転移−逆転移の現われと その含意のいくつかを明らかにしたい。おとぎ話の形をか りてこの関係を示してみよう、この物語は分析家の視点か ら語られるが、どの女性の視点からも容易に語られうる。
 これは親密な関係のもとに協力し合う二人の女性 についてのおとぎ話である。物語は一人の女性が人 生の問題について助けを求めてもう一人の女性のと ころへやって来るところから始まる。この援助者で ある女性は書物や年長者から、また彼女目身を助け ることから多くを学んでおり、彼女のところへ来る 女性たちに耳を傾ける経験を何年も積んできた。彼 女はこの親密な関係のなかで何が起ころうとも対処 できると思っている。困ったときには、助言をもら える人も何人か知っている。
 ある日、援助する女性は非常に驚きうろたえ、ま た恥じ、当惑する。強力で激しいエロティックな情 動が、援助を求めて来た女性に対して噴出してきた からである。彼女は赤面し、そのことを話す勇気も ない。
 それに続いて、混乱したイメージの渦が現われ る。彼女は、彼女に助けを求めて来る者を誰でも誘 惑する有害な破壊性について、学んだことを思い出 す。彼女は救われたと感じた。男性たちは、彼らが 援助する女性たちに対するエロティックな感情の問 題について多くを語ってきたし、恐らくいつの日か 彼女は彼女のところへ来たハンサムな男性を欲望を もって愛するようになるかもしれない。しかし彼女 の最も狂おしい夢の中で、エロスが女性に目を注ぐ とはまったく想像もしなかったことである。
 彼女の感情は制御できなかった。幸運なことに彼 女が相談する一人の年長者が教育分析家となってく れた。彼女は何をなすべきかを確実に知っているだ ろう。二人は長時間話し合った。彼らは何週間も話 した。「こんな事ってありうるの?」困り切った援 助者が尋ねた。「私は女性を愛しています。私は女 性にこんなに同情しています。彼女らが持つ傷のた め私の胸はつぶれそうです。かつてはあなたも知っ ているように、どんなに強くエロティックな感情を 男性に向けていたことでしょう」。
 教育分析家はこのもつれた問題の解決の糸口をい ろいろと示唆した。この種族では新参者が加人する には、彼らがかつて援助したある特定の人の話を書 いたものを提出することによって彼らの力量を見せ るという習わしになっていたので、教育分析家は可 哀相な援助者にこの最も困難な関係の話を書くよう 勧めた。そして彼女は書いた。
 この援助者は、何が起こったのかまだ本当には理 解していなかったが、この最後のイニシエーション を行なうと約束してくれた長老たちの前に進み出 た。
 彼らは偶然にも全員男性で、彼らもまた困惑し、 こんなことがなぜ起こりうるのかについて、多くの 新しい理由を提案した。この援助者はイニシエーシ ョンをやり抜いて、幾分混乱しているとはいえ、こ の種族の立派な一人前と認められた。
 援助者は彼女の新しい役割に腰を落ち着けた。彼 女はそのうち男性との間にすばらしく豊かな関係を 持った。恐らく彼女がこの女性に対して抱いていた 感情は、長老たちが教えたとおり「彼女の成長の一 段階」だったのであろう。恐らく今や彼女は成長の 新しい局面に入ったのであり、何が起こったのかま だ理解していなかったが、その記憶は色褪せていく であろう。
 記憶は消えなかった。むしろ悪くなった。新しい 女性たちが彼女に援助を求めてやって来た。彼女た ちが物語を語ると、もっともっと頻繁にエロティッ クな感情が起こった。もはや彼女は、最初の体験は 一度きりの非典型的なしかし必要な出来事で、彼女 の成長の一段階なのだと言って、自分を慰めること はできなかった。いまや彼女のエロティシズムは見 境なく流れ出した。彼女にはそのエロティシズムを 誰に注いだらよいのかまったく分からなかった。彼 女は完全に絶望した。「おお神よ」彼女は祈った、 「私は愛する男性のもとを去らねばなりませんか。 これは何を意味しているのですか。私を二つに引き 裂くおつもりですか」。
 彼女の祈りに答えるかのように偉大な女神が夢に 現われた。女神ははっきりと話した。「父権制は終 わりました。あなたには分かりませんか。あなたと ほかの女性たちが用意している二つの墓にそれが葬 られているのが見えませんか。私が墓に植えた巨大 な葦の柱が見えませんか。葦の柱は私のイメージ、 私の顕現です。それが立っているところならどこに でも、力にあふれて、私がいます。父権制の墓の上 に立つものこそ私の力です。あなたはもっと葦を集 めねばなりません。ほかの女性たちとともに行きな さい。
 私のイメージの柱を建てなさい。」偉大な女神は 夢のなかで彼女にほかにも多くのことを語った。女 神は言った「私はあなたのところに、たいへん強い 形をとって、エロティックな形をとって、やって来 ます。あなたは私の愛し方を忘れてしまっていま す。あなたが学びとるまで何度でもやって来ます。 私はあなたに私の愛し方を、女性性の愛し方を、女 性の愛し方を、あなたの女性的な『自己』の愛し方 を教えているのです。私は強い薬を使っています。」
 この女性は畏敬の中で目覚めた。彼女は救われた と感じた。そしてその啓示は神秘への開き、始ま り、入り口であると感じた。彼女は偉大な女神への 礼拝を、知っているあらゆる方法で始めた。彼女が 援助していた女性に対する困難なエロティックな感 情はゆっくりと鎮まり始めた。非常に奇妙なことに は、そのエロティックな感情が消えていくにつれ て、別の現象が現われて来るようであった。女性た ちが次々とやって来て以下のような話をしたのであ る。「私はずっと強く異性を愛してきたのにとても 奇妙なことが起きたのです……」とか「わたしは二 十五年間幸せな結婚生活を続けてきましたが、突然 なんの理由もなくこんな感情が起きてきて……」そ して話の終わりには必ず、女性に対して驚くほど焼 き尽くすような圧倒的なエロティックな感情が喚起 されていたのである。
 援助者はこれらの話を聞くと、偉大な女神を尊敬 して心のなかで頭を垂れ、女神が彼女の夢に現われ た日を祝福した。偉大な女神が彼女の見ているもの に焦点をあて、彼女が人生で被った困難を払拭して くれたと感じた。

 この物語はそれだけで、女神がもたらすことのできる癒 しの一例となっており、また心のなかに女性性が噴出する ときの激情がもたらす危険の一例でもある。その女神は女 性たちにさまざまな姿で現われる。彼女は傷ついた子供の ために堅固な本能的土壌を提供する一方、あらゆる元型が 持っているのと同じ危険な誘惑、すなわち自我を彼女の力 の中に包み込んでしまおうとする誘惑を持っている。この 元型と関係を持とうとする私自身の企ての一部として、私 は女神イナンナや最も力強いシュメールの女神たちや、イ シュタルやアシュタルテの前身について学び始めた。共時 的に、シルビア・ペレラがこの女神に魅せられていたのを 私は知らなかった。ペレラの本『女神への下降』(一九八 一)の出版とウォークスタインとクレイマーのイナンナに 関する詩の新しい翻訳の最近の出版(一九八三)とは、イ ナンナが今この時にわれわれにたいして何かを語ろうとし ていることを示唆している。
 イナンナについての詩は紀元前二五〇〇年に書かれたも のであり、メソポタミアの女神としての彼女の偉大さはそ の執筆を少なくとも千年は早めたと思われる。彼女は父権 制の開始以前の神的女性性と、一神教的男性性への女神の 服従とを宗教的に表現している、すなわち彼女は、父権制 によって抑圧されてきたが、女性たちが自らの最も深い本 能的「自己」の中で持ち続けている女性的なあり方を持っ ているのである。そしてこれらの隠れた女性的あり方は、 傷ついた子供が完全な女性となるための努力のなかで求め ている女性的土壌の一部である。
 イナンナの地下世界への下降の神話―――これをペレラ は巧みに探究している―――においてわれわれはイナンナ が自らの選択によって地下へ行くことを知る。そのテキス トの一行目に「彼女は偉大な天上にあって耳を偉大な地上 へ向けた」とある。四行目には「私の淑女は天を離れ、地 上を見捨て、下へ降りて行った」とある。シュメール語で 耳を表わす言葉はまた知恵あるいは心を意味している。イ ナンナが耳を地上と地下へ向けるとは、彼女がその知恵を 下へ注ぐことである。
 イナンナは地下世界に君臨する彼女の姉エリッシュケー ガルに会うために地下へ赴いた。そしてここに女性性の一 つのパターンがある。天上界の高度に洗練され開発された 女神イナンナが、姉が地下で保有している深く暗く原始的 な地下の神の力のイニシエーションを求めるのである。そ こでイナンナは彼女の力の喪失に、死と腐敗と復活に耐える。
 イナンナに関する詩の別のグループは神聖な結婚の儀 式、新年の儀式からきている。これらの詩のなかにわれわ れは、求愛や初恋に動揺している若い女神の姿だけでな く、性的な充足を求めて肉体を高揚させる奔放な女神や、 「ダイアモンドのように輝く」倉庫、「運命の輝く倉庫」か ら彼女の恩恵を注ぐ賢く優しい女神の姿を見い出すのであ る。ここに三つの詩を私が翻訳したものがあるが、それら の中で女神は彼女の身体を高揚させている。
    陰門の歌

私は淑女
聖なる石の家で
聖域で私は祈る
私は聖なる祈りを捧げる

私は天の女王
詠唱者にこの聖歌を朗吟させ
歌い手にはこの歌を歌わせ
花婿には私を楽しませ
野性の牡牛ドゥムジを喜ばせ
彼らの口からことばを吐き出させ
彼らに若かりしころの歌を歌わせ
ニップールにおいてその歌を高揚させ
神の息子への贈り物

私は彼を讃えるために歌う淑女
詠唱者にこの聖歌を朗吟させ
私イナンナは彼を讃えるために歌う
私はこの陰門の歌を彼に贈る

私の陰門に打ち込め
星で描かれた私の北斗七星の角を
つなぎとめよ
私の細身の天国の小舟を
私の細長い新月のような女陰の美しさを

私は鋤を入れられたことのない砂漠を用意して
いる
野性のあひるのための未開墾地
私の小高い丘は洪水を待ちこがれている

私の陰門の丘は開いている
この処女は誰が鋤を入れてくれるのか尋ねる
陰門は洪水の中で湿っている
女王は誰が牡牛を連れてくるのか尋ねる

淑女よ、王がそれに鋤を入れるだろう
王ドゥムジが鋤を入れるだろう

私の心の男よ鋤を入れよ
聖水に浸された腰

私は聖なるナインガル(1)


 聖歌

この歌は神聖である
私がどこから来るのか話そう
私の陰門は
力の場
王族の印
私は女陰の力で支配する
私は女陰の目で見る
私はここから出て来る

アンよ(2)
私の陰門を
飾りたてよ
私はまさにここに住んでいる
このやわらかな裂け目に
私はまさにここに住んでいる
私の野は鍬を入れられたがっている
これは私の聖なることば
まばゆい宮殿
そこには太陽はいらない
ドゥムジよ、私はおまえが欲しい
おまえの大枝を私の女陰に立てよ
ドゥムジよ
おまえはこの家のものである
私は皆を見た
ドゥムジよ私はおまえが呼ぶ
私はおまえが欲しい
王子として

エンリル(3)によって愛されたドゥムジよ
私の父と母さえもおまえを崇めた

聞け
私は石鹸で肌をみがこう
私は水で体のすべてをすすごう
私は麻で体を乾かそう
私は強力な愛の衣服を取り出そう
私はそのやりかたを正確に知っている
私はとても素敵に見えるだろう
私はおまえを王のような気分にするだろう


 女性の舌の中の詩(4)

良い町の寺
エリドゥの寺は
正しく建てられた

月神の寺
罪の寺は
明るく輝く

アンの寺
エアンナは
日を守るため武装している

エズィダのように曇った
寺の頂は
おまえを讃えたこの言葉とともに溢れだす

善とはわれわれが今日という日につけた名
ラピスのベッドの日よ

神聖な火の神
神聖なジビルが
偉大で神聖な部屋を浄化し
女王にふさわしく神聖なものとし
葦の家を満たし
倉庫を掃除し
聖水を祝福とともに注ぐ

彼は眠った日を目覚めさせる
その名を呼ぶことによって

見よ
ベッドの日を

王が女を高揚させるその日
彼女が王に生を与えるその日
彼女は王に収穫の力を与え
収穫の王権を与える

彼女はそれが欲しい
彼女はベッドが欲しい
彼女はそれが欲しい

彼女の心の喜び、ベッド
彼女はベッドが欲しい
彼女はそれが欲しい

やさしい太股のベッド
彼女はベッドが欲しい
彼女はそれが欲しい
王のベッド
彼女はベッドが欲しい
彼女はそれが欲しい

女王のベッド
彼女はベッドが欲しい
彼女はそれが欲しい

彼のやさしいものとともに
彼のやさしいもののベッドとともに
彼のやさしいものとともに

彼女の心の喜び、ベッド
破のやさしいもののベッドとともに
彼のやさしいものとともに

やさしい太股のベッド
彼のやさしいもののベッドとともに
彼のやさしいものとともに

王のベッド
彼のやさしいもののベッドとともに
彼のやさしいものとともに

女王のベッド
彼のやさしいもののベッドとともに
彼のやさしいものとともに

彼女は彼のためにベッドを整える
彼女はベッドに横たわる

彼女は彼のためにベッドを整える
彼女はベッドに横たわる
 繰り返して述べるが、これらの詩はこの女神の一面のみ を、すなわち彼女の身体を讃えて歌う女神の面のみを表わ している。結婚の成就ののちに、イナンナは贈り物の与え 手、運命の織り手となり、「生命の家」を監視している。イ ナンナはこれらの詩の中で、倉庫から恵みを注いでいる が、詩の一篇の最後の言葉は「それは強い、それは強い」で あった。彼女の恵み深い贈り物は養い、元気づけ、強くす る。彼女は完全に実現された女性性の典型であり、それ自 体で、強いのである。
 この女神の複雑さをもっと深く理解する方法として、わ れわれのグループはこれらの詩を何ヵ月も研究し、とうと うそれを演劇化し、何度か実演してみた。詩の研究はわれ われにとって多くのものを意味した。それは少なからず卑 猥を楽しむ女性たちの喜び、戯れであった。しかしその実 演の基礎的経験となったものは、神聖さの体験であった。 われわれはこの女神に女司祭の衣服と役割を着せ、そうし た基本的態度で詩を実演した。 ありとあらゆる反応が、この実演に参加したわれわれの 中からも、それを見た聴衆の中からも出てきた。繰り返し 現われた反応の一つでこの論文に関係のあるものは、古い 神々と新しい神々の争いである。現われた夢は一方で、エ ホバがイナンナと彼女が女性の中に呼び覚ますものとをは っきり否定すると言っている。別の女性たちは、われわれ の実演の後に、男性からひどい暴力を揮われるという夢を 見た。われわれは皆、公共の場であえてわれわれの身体を 高揚させる歌を歌うことの恥ずかしさと戦った。
 他方、イナンナの詩の実演と関係した夢の中には、変化 の強力な噴出が現われた。一度ならずこれらの夢は女性夢 見者が集合的父親との以前の関係を捨て去るというイメー ジとともに、核爆発のイメージを含んでいた。私はこれら の夢を、新しい時代のイメージを、すなわち完全に新しい 種類のエネルギーを解放する核分裂のイメージを導入した ものだと解釈する。 女性にとって、父権制に対する彼女らの以前の娘として の関係を捨て去り、自分自身を自分の女性的本性の中に基 礎づけることは、大規模な忠誠の移動である。それは個人 レベルにはね返って来る、たとえばこの女性が書いている ように。「それは私を大地の小さな一角に関係づけ、そこ に私は私の魂を植えつけることができる」、かつては「この 情熱は一瞬躍り上がって、運命を誘惑したが、恥じらいと 恐れですぐに消えた」のに。 その移行は元型的にもはね返って来る。この女神の、元 型的女性性の、再出現は、元型的な現状を揺り動かす。新 しい神が現われる。その神は女性である。三千年もの支配 を楽しんできた神々の傍らに彼女が地位を占めると、激変 が起こるであろう。 ある女性たちにとって、女神元型は認識の対象であるば かりでなく、夢や空想や幻視や感情の形で訪れる、心の中 の生き生きとした力である。このエネルギーは人生を変え る。そのエネルギーは、二〇世紀と二一世紀の世界に、女 性たちが自分たちの人生の新しい型、表現の新しい水路を 切り開くよう導くであろう。彼女たちの人生を形成する女 神のエネルギーから、女性は先例のない型を発見し、そし てこれら個人的に切り開かれた型はそれぞれの女性の個人 的知覚の表現となるであろう。新しい型を切り開くには大 きな勇気と個人的な幻視への帰依を要求している。そのた めには彼女の足が女性性の土壌にしっかりと根づくことが 必要である。 
 ユングは彼自身の人生において、著作において、患者の 診療において、個人の人生の方向を形作り象るさいに元型 的エネルギーが巨大な力を発揮することを明らかにした。 現代のように、ドラマの中で偉大な移行が起きつつあると き、ユングがその著書『アイオーン』において述べている ように、その移行は必然的に信念を異にする人々の間にだ けでなく、一人の人間の内にあるさまざまな声の間にも葛 藤を生み出す。それ以外はありえない。おそらくこの葛藤 は何世代にもわたって現われ続けるであろう。われわれは 今や、この葛藤が新しい時代に対して、すなわち女神が神 の世界の中に自分の場所を勝ちとるための戦いに対して、 どのような関係をもっているかをいっそう意識化すること によって、この葛藤を担っていくという機会と義務を負っ ていることと、私は信ずる。

参照文献
C・G・ユング、『アイオーン』「自己」の現象学の研究、一 九五九年、ユング全集第九巻第二冊、プリンストン大学 出版、プリンストン、所収。
S・ペレラ、『女神への下降』、インナーシティーブック ス、トロント。
D・ウォークスタインとS・N・クレイマー、『イナンナ』、 ハーパー&ロー、ニューヨーク。

原註
(1) イナンナの別名
(2) 天の神
(3) 空気の神
(4) この詩は、エメ・サルで、すなわち女神とそのしもべたちの会話に使われたシュメールの方言で書かれている。

訳註
[1] 十全性 fullness
ユングは完全 vollkommen, complete と 十全 vollstandig とを区別した。完全性とはマイナスのもの を含まない完壁さであり、それに対して十全性とは、マイナ スのものを含んだ全体性である。ユングのいわゆる「自己」 は完全なものではなく十全なものである。ここではfullness が使われているが、英語では多く wholeness を使う。

[2]反照 reflection
ユング心理学の用語で、外から与えられ た刺激をイメージに変える働き。言い換えれば刺激を心的内 容に変える、すなわち意識内容に変える働きである(GW, 8,242-3 Para.)。したがってそれはいろいろな類似のイ メージと比較してみるという、いわゆる増幅法とも関わりを 持ってくることになる。英語系統のユンギアンはこの言葉に かなり広い意味をこめて、「心の動きが固くなっていないで、 いろいろなことを柔軟に思い浮べられる」といった意味で使 っている。

[3] 神的女性性
元型的な女性性という意味で使われている。

[4] 魚座から水瓶座への移行の時代
キリストが生まれてから 今日までがほぼ魚座の時代に当たる。次の世紀が水瓶座の時 代である。ユングによれば、魚座の時代はキリストによって反キリストが抑圧された時代であり、この時代が終わるということは、今まで抑圧われていたものが噴出してくることを意味している。つまり元型的なものが出てくるということである。

[5] バビロンの淫婦
『ヨハネ黙示録』第一七章を見よ。

執筆者紹介
ベッティ・ドゥ・ショーン・メドーア
 哲学博士、サンディエゴにて開業中のユング派分析家。サンディ
 エゴ・ロサンジェルス・ユング派分析家協会の会員。テキサス大
 学で学士および修士号を取得し、サンディエゴ国際大学で哲学博
 士号を取得した。クライエント中心療法およびユング心理学にお
 ける女性性に関する多くの著作があり、また最近はシュメールの
 女神イナンナの詩の翻訳を手懸けた。

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