きずなを結ぶこと

ずっと紹介したいと思っていた文章があります。
このHPのテーマであるイマジナルという言葉にとても関わりの深い文章です。
サン・テグジュペリの『星の王子さま』からの引用です。
星の王子さまがキツネと語り合う場面です。


「『飼いならす』ってどういう意味なのさ?」
「とかくなおざりにされがちなことだけどね」とキツネがいいました、「それは『きずなを結ぶ』っていうことさ」
「きずなを結ぶ?」
「ああ、そうさ」とキツネがいいました。
「ぼくにとっては、きみはまだほかの十万人もの男の子と、何の変わりもない男の子さ。だから、ぼくにはきみなんか必要じゃない。きみもやっばり、ぼくなんかいらない。きみにとっては、ぼくも十万匹ものほかのキツネとおなじだもの。だけど、もしきみが、ぼくを飼いならすと、ぼくたちは、おたがいを必要とするようになるのさ。きみは、ぼくにとって、この世でたったひとりのひとになるし、ぼくは、きみにとって、この世でたった一匹のキツネになるんだよ……」
「だんだんわかってきたよ」と、王子さまがいいました。「花がひとつあってね……。その花はぼくを飼いならしたんだと思うよ…」
「そうかもしれないね」とキツネがいいました。「この地上には、いろんなことがあるんだから……。」

 …………

「きみを飼いならすにはどうしたらいいの?」
「しんぼうがかんじんだよ」とキツネが答えました、「はじめは、ぼくからすこしはなれて、こんなふうに、草のなかにすわるんだ。ぼくは横目できみの方をちょっとみる。でもきみはだまっているんだ。ことばは誤解のもとだからね。そのかわり一日ごとにすこしずつ近くにすわるようにするのさ……」

 …………

「じゃあ、ぼくの秘密をいおう。とてもかんたんなことさ。ものごとは心で見なくてはよく見えない。かんじんなものは、目には見えないっていうことさ」
「かんじんなものは目には見えない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「きみにとってあのバラの花がそんなにだいじなものになったのは、あのバラの花のために時間を使ったからだよ」
「……あのバラの花のために時間を使ったから……」と、王子さまは、忘れないようにいいました。
「人間たちは、このたいせつなことを忘れてしまったんだ」と、キツネはいいました、「でもきみは、忘れちゃだめだよ。自分が飼いならしたものに対しては、いつまでも責任があるんだ、きみは、あのバラの花に責任があるんだよ……」と、キツネはいいました。
「ぼくは、あのバラの花に責任がある……」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。

『星の王子さま』(A・サン・テグジュペリ著、松代洋一・椎名恵子訳)


「飼いならす」という言葉はフランス語の「apprivoiser」の訳語だそうです。
キツネは「飼いならす」とは「きずなを結ぶ」ことだと説明します。
「きずなを結ぶ」ことによって、キツネはただのキツネからかけがえのないキツネに変わります。
「イマジナル」と呼ばれる感性は、人が外界に関わる場合に無意識的に生じるイマジネーションのことです。そのイマジネーションは、知らず知らずのうちに当人を包み込みます。
自分以外のものをすべて他者とみなすならば、外界(他者、事物、社会、自然)との関わりにもイマジナルな感性が大きく働いていることがわかります。

石とのつきあい方にも同じことが言えるんじゃないかと私は思っています。
相手が非生物であろうとも人は「きずなを結ぶ」ことができます。
「きずなを結ぶ」ことによって、石はただの石から、その人にとってかけがえのない、「自分の石」に変容します。
事物や世界は、「きずなを結ぶ」ことによって、それまでとは違った姿で当人の目の前に姿をあらわすことになります。
外界との関係性は与えられるものではなくて、本当は自らが築いていたものなんだと思います。
これはイマジナルな感性のもっともベーシックな自己認識です。
その認識が世界との新たな関わり方の第一歩になるんですよ。


2003/8/2作成 2003/8/15更新

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