
「 ロケット・ササキ 」
ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正
大西康之 著 新潮社 刊 |
●この物語の主人公は、カシオとの「電卓戦争」で陣頭指揮を執り、後に「電子工学の父」とも呼ばれた、当時シャープの技術担当専務だった佐々木正です。
●佐々木は、「電卓戦争」の功労者、「液晶ディスプレー」を世に送り出すなど、ビジネスで様々な成果を収めましたが、一番の成果は、会社や業界の垣根を超えた「共創」をモットーに、アップルを追われた「ジョブズ」にソニーを紹介したり、若年の「孫正義」に創業資金調達の手助けするなど、後進を育成したことです。
●ウィスキーのイチローズモルトで有名な肥土伊知郎は、厚岸蒸溜所(北海道厚岸町)やガイアフロー静岡蒸溜所(静岡市)などの後進クラフトウィスキーメーカーに惜しげもなくノウハウを渡していると言います。
●そこには、独りよがりの考えに固執せず、異なる価値観のものを合わせながら、新たなものを生み出そうとする、ロケット・ササキの共創の精神が引き継がれています。
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●佐々木は生まれたばかりで当時は日本の統治下、新しい国づくりが進む台湾に渡り、人生の多感な時期に18年間過ごしました。 ●帰国後の京都大学時代に、当時電子工学で世界の最先端を走っていたドイツに留学し、真空管や電子理論を学びました。
●戦後は、GHQの計らいで、品質管理の勉強のためアメリカに渡り、後にトランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞する面々と出会っています。まさに真空管からトランジスタへと移り変わる時代でした。
●フレミングは、エジソン効果(熱電子放出)の原理を真空管として実用化しました。●これが、その後の真空管、トランジスタ、LSI、マイクロプロセッサ、パソコン、半導体メモリ等々へと発展する電子回路の礎となりました。●佐々木は、日本における電子回路の歴史と発展に深く関わり、多くの功績と貴重な人材を育てました。
■ソフトバンクを急成長させて日本の情報産業に彗星の如く現れた「パソコンの神童」孫正義。富士通、日本電気、日立、東芝などのコンピューター大手を動かして日本のパソコン産業をけん引した「パソコンの天才」西和彦。西は、後にマイクロソフトの副社長にもなり、ジョブズの宿命のライバル、ビル・ゲイツとともにパソコン革命を巻き起こします。
■孫正義は、佐々木を「大恩人」と呼び、iPHONEやiPADを世に送り出し、我々の生活を一変させたスティーブ・ジョブズもまた、佐々木を「師」と仰ぎました。■佐々木の役回りは、20代前半の才気あふれる若者に「信用」を与えることでした。佐々木はきらめく才能を持つ若者と、金と権力を持つ銀行や大企業を結び付けるカタリスト(触媒)の役割を果たしました。それこそが佐々木の真の価値と言えます。
■電子立国日本を立ち上げる過程で、日本人はいくつもの革命を起こしてきました。ソニーのトランジスタラジオやトリニトロンテレビやウォークマンしかり、シャープの電卓や液晶テレビしかり、任天堂のファミコンしかり。■アメリカでは今もグーグルやアップルらアマゾン・ドット・コムやフェイスブックで、若者たちが人類を進歩させるために、熱に浮かされたように働いています。
■一方、組織が官僚化した日本企業は、いつの頃からか「革命」を忘れてしまった。「日本人はイノベーションが苦手」そんなことはない。我々の先輩は資金も設備も何もない状態で、ゼロからイチを生み出し、世界を驚かせてきたではないか。■日本の電機産業には「ロケット・ササキ」がいたのである。会社はいつか消滅するし、国家が永遠に繁栄することもない。だが人類の進歩に終わりはない。101歳の技術者。佐々木正の生き様は、我々に限りない勇気を与えてくれる。
■佐々木が座右の銘とする「共創」思想について、「いいかい、君たち。わからなければ聞けばいい。持っていないなら借りればいい。逆に聞かれたら教えるべきだし、持っているものは与えるべきだ。人間、一人でできることなど高が知れている。技術の世界はみんなで共に創る『共創』が肝心だ」
■アメリカ企業との共同作業でアメリカ人技術者は、議論の最中に発想があっちこっちに飛び、突然、とんでもないことを言い出す佐々木に手を焼いたが、その発想の豊かさに舌を巻いた。「戦闘機のスピードではササキに追いつけない。ロケット・ササキだ」。ニックネームの「ロケット」の誕生だった。 |
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