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妻の死から、自分を奮い立たせてくれたのは趙雲だった。 出逢ってから幾度も、自分へと手を差し伸べ、闇に取り込まれそうになるのを救い出してくれた。 彼が寄せてくれるその友情を、それ以上にしたいと思っていた。 彼を自分だけのものにしてしまいたいと。 今でも彼が特別で、愛しい存在あることに変わりはない。 だが今は……以前とは何処か違う感情がある―――ようやくその正体に気付く出来事があった。 日も完全に落ち、今日も後数刻で終わる。 そんな時、馬超は邸で趙雲の突然の訪問を受けた。 趙雲が北方に発つまでは、そんなことは珍しくもなかった。 どちらかが酒を持って相手の邸へ赴き、勝手に主の部屋へ入ったものだった。 だが、趙雲がこちらに戻ってきてからは、馬超の邸を訪れる際、彼は前もって馬超に約束を取り付けるようになった。 家族に慮ってのことだろう。 だから馬超はその訪問に少なからず驚いたのだ。 馬超の部屋に案内され、中に入ってきた趙雲を見て、馬超はさらに驚愕する。 未だかつて、そんな憔悴しきったような趙雲の姿を見たことがなかったからだ。 蒼白い顔をして、表情は酷く暗い。 今にも不安に押しつぶされてしまいそうな様子だった。 只ならぬ気配を感じ取って、扉の前で立ち尽くす趙雲に馬超は早足で近付く。 「おい、子龍! どうした?」 「こちらに……子供達はお邪魔していないだろうか?」 縋りつくように馬超の腕を取り、趙雲は問う。 その手は微かに震えている。 馬超はすぐに首を振った。 「統と広か? いや、来ていないぞ」 趙雲の二人の子、趙統と趙広はしばしば馬超の邸へ遊びにやって来る。 同じく馬超にも二人の子供がいるが、歳が近いこともあってかすっかり仲の良い遊び友達になっていたのだ。 だが今日は姿を見ていない。 「遊びに行くと邸を出たきり、二人ともまだ戻って来ないんだ……。 さっきから探しているんだが、見当たらなくて……。 どうしよう……孟起……二人の身に何かあったんじゃ……」 不安げに揺れる瞳で趙雲は馬超を見つめる。 どうすれば良いのか分からず、彼自身が酷く混乱しているようだ。 「落ち着け、子龍! 俺も一緒に探すから……しっかりしろ。 お前がそのように取り乱していてどうする!?」 趙雲の肩に手を置き、馬超は叱咤する。 そのまま馬超は趙雲を伴って外へ出る。 邸の人間にも手分けして、二人を探すように指示を出して。 趙雲は城下へ、馬超は城の方へと分かれて二人の姿を探す。 注意深く辺りを見回し、二人の名を呼びながら、馬超は進む。 脳裏を過ぎるのは先程まで共に居た趙雲の姿だった。 冷静の代名詞というべき彼が酷く取り乱して、不安で今にも崩れてしまいそうだった。 趙雲にとってそれほど二人の子は掛け替えのない大切な存在なのだろう。 馬超とて人の親だ、その気持ちは痛いほどに分る。 血の繋がった我が子を心配しないことなどあろうか。 趙雲の混乱振りを大袈裟だなどと、笑うようなことは馬超には出来ない。 腕に縋り付いてきた趙雲の手の感触が、まだはっきりと残っている。 思えば今まで彼に助けられたことは数々あれど、彼が自分を頼ってきたことがあっただろうか。 家族を失った悲しみは自分が一番良く知っている。 彼にあんな想いを絶対にさせたくはなかった。 ―――俺が必ず見つけてやるから……。 どうか無事でいてくれ、統、広。 趙雲とその子達に対し、馬超は胸の中でそう繰り返すのだった。 城には二人の姿はなかった。 だが、見回りの兵士が子供が二人、城の裏手の山に入って行くのを見たらしい。 趙雲の子達かどうかまでは分らないと告げられたのだが、背格好からして間違いないように思われた。 山とはいってもそれほど高くも険しくもない。 どちらかといえば森を包括した丘といったほうが正しいかもしれない。 しかしそれは大人の目から見ればということだ―――まだ幼い子供達には危険だろう。 馬超はもちろん急いでそちらへ向かった。 裾野に広がる森林に入り、緩い傾斜の続く山肌を二人の名を呼びながら進む。 返ってくる声がないかと時折耳を澄ますが、聞こえてくるのは木々のざわめきと梟の鳴く声だけだった。 山に分け入り、どれくらいたった頃だろうか。 馬超の耳に今までとは違う音が届く。 それを聞き逃さず、馬超は立ち止まり神経を辺りに集中する。 「!?」 確かに聞こえた―――子供の泣く声が。 馬超はその声を頼りに、其方へと駆け出す。 やがて馬超は、周囲の木々よりも一回り大きな木の根元に佇む二つの影を見つけた。 趙統が趙広の手を握り、緊張した面持ちで前方を見つめていた。 一方の趙広はその兄の傍らで泣きじゃくっている。 「お前達……無事だったか……」 ずっと歩き回っていたせいか、馬超の額には汗が滲んでいた。 だが二人を見つけた安堵感で、疲れなどどこかに吹き飛んでしまった。 大きく息を吐き出し、馬超は二人の元へと近付く。 その馬超の姿を認めた瞬間、趙統の顔がみるみると歪んでいく。 目からは涙が溢れ、趙広同様、泣き出し始めてしまった。 恐らく今までの緊張感が、馬超の顔を見た瞬間に緩んでしまったのだろう。 いくらしっかりしているといっても、まだまだ子供なのだ。 馬超の胸に飛び込んでくる二人を、馬超はしっかりと抱き締める。 嗚咽を漏らして、二人は大声で泣き続ける。 「私が……悪いの……です。 父上に……山には近付いてはいけないと……言われていたのに……鳥を追っている内に……夢中になってしまって……。 気が付いたら…迷子になってしまって……」 一頻り泣いた後、趙統はまだしゃっくりを上げながらも、馬超にこうなった経緯を告げる。 「父上に迷ったときはその場にいろと教えられていたのだな?」 馬超の問いにこくりと二人は頷く。 下手に動き回られていては、見つけるのにもっと手間取ったかもしれない。 暗闇の中、崖にでも転落していたら大変なことになっていたし、動けば動くほどそれは幼い子供達の体力を奪っていくだろう。 懸命な判断といえた。 「兎に角無事で良かった。 さぁ戻ろう……父上が酷く心配しているぞ」 一刻も早く趙雲に二人の無事な姿を見せてやりたかった。 今も彼は見当たらない二人の子供を必死に探しているのだ。 趙広を背負い、趙統の手を握ると、馬超は麓に向かって歩き出す。 安心しきったのか趙広は馬超の背でうとうとと眠り始めた。 最初会った時は随分と警戒されていたものだったが……と思わず馬超は苦笑する。 「そう言えば、お前達の母上はどのような人だった? あの子龍の妻というくらいだから、綺麗で優しい人だったんだろうな」 ふと疑問に思っていたことを、馬超は問う。 ずっと気にはなっていたのだが、何故だか趙雲は妻のことを語りたがらない。 だから未だに彼の妻がどのような人となりであったのか、馬超は知らないのだ。 亡くなった母親のことをその子に尋ねるのは、酷かと思ったが、つい口から出てしまったのだ。 「もし辛くないのであれば、聞かせてもらえると有難いと思ったのだが……。 いや……すまん、無神経だったか……」 慌ててそう付け足す馬超に対し、趙統は驚いたように目を瞬く。 何を言っているのだろうかいうように、馬超を見上げて。 「父上に妻はおりません」 馬超の方も一瞬言葉に詰るが、すぐに合点がいった。 「あぁ、いや……亡くなられて今はおらぬことは知っているが、以前はおられただろう? お前達の母上のことだぞ」 だが趙統はゆっくりと首を振るのだ。 「今も昔も―――父上は一度も婚姻なされてはおりません」 今度こそ馬超は驚愕に、言葉を失った。 瞠目し、思わずその場に立ち止まる。 「どう……いう……ことだ? 婚姻していないのならば……お前達は……それにお前達の母は……」 すると趙統もようやく、馬超の疑問の意味を理解したようだ。 「馬将軍はご存知なかったのですね―――父上の親友でいらっしゃるので知っているとばかり……。 私と広は養子なのです。 そして私も広とは血は繋がってはおりませぬ。 もう五、六年も前のことになるでしょうか……。 本当の親に捨てられ、死に逝くしかなかった私達を養子として迎え入れ、ここまで育てて下さったのが父上です。 幼くして捨てられたので、本当の母のことは覚えてはいません。 広もきっと両親のことは覚えてはいないと思います」 何でもないことのようにさらりと言ってのける趙統の顔が、この時は酷く大人びて見えた。 馬超はただただ混乱の中にいた。 婚姻したのだと嬉しそうに書簡をくれたではないか。 そして数年前に妻を亡くしたのだと。 一体どういうことだ―――? (続) written by y.tatibana 2007.04.30 |
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