キリリク - No6
注:馬趙及び姜趙を含んでいます。
が、姜維ファンの方には
お薦め出来ない内容です。

移り香
長く続いた戦がようやく終わりを告げた。
先日までの喧騒が嘘のように、静まり返った陣中。
明朝には成都に向け、帰路へとつく。

姜維は寝台の上で、もう何度目ともなる寝返りをうつ。
だが一向に眠りは訪れない。
それは戦に勝利した喜びか、それとも戦場であるという昂揚感からか。

とうとう姜維は陣幕の中に設えられた質素な寝台から起き出し、外へと出た。
見張りの兵が幾人かいるだけで、やはり辺りは夜の静謐な空気に包まれていた。
皆、戦とそして出立の準備で蓄積された疲労を癒しているのだろう。

各陣幕の傍に灯された松明の明かりを頼りに、姜維は特に行く当てもなく歩く。
身体でも動かせば、眠れるだろうかと。

―――
微かに耳に届いてきた水音に姜維は足を止める。
そう言えば裏手の森に小さな泉があったことを思い出す。
誰か自分と同じように眠れぬ者が顔でも洗っているのか、さもなくば水浴びでもしているのかもしれない。
姜維もまたそれに倣おうと、泉へ向けて再び歩みを始めた。





程なくして辿り着いた泉の中には、確かに人影があった。
やはり誰かが水浴びをしているのだと、姜維は声を掛けようとした。
しかし寸でのところで姜維はそれを止めた。
実際には声が出なかったのだ。

最初一つだと思った影は、実際には二つだった。
絡み合い、ぴったりと身を寄せているために暗闇の中では分からなかったのだ。

水音に紛れて聞こえてくる声に、姜維は瞠目する。
それは姜維も良く見知った人物のもの。
そして何より姜維を驚かせたのは、その声が甘く艶を帯びた―――嬌声だったからに他ならない。

その人物の常日頃の姿や態度からはそれは想像し難いものだった。
凛とした表情とそれに違わぬ清廉さをその身に纏っている―――あの長坂の英雄のものとは。

雲間に隠れていた月が顔を出し、姜維は咄嗟に傍の木立に身を隠す。
月明かりの下現れたのは、姜維の予想した通り趙雲だった。
そして、泉の中、その趙雲と激しい口付けを交わしているのは姜維と同じように蜀に降った人物だった。
一糸纏わぬ姿で、二人は抱き合っていた。

「ん……孟起…っ」
口付けの合間の乱れた息の下から、趙雲が相手の名を呼ぶ。
「随分と…気が昂ぶっているようだな……子龍」
馬超はくっと唇の端を吊り上げて、薄く笑う。
「お前だって……同じだろうに」
気分を害した様子もなく、趙雲の唇もまた笑みを形作る。
そしてもっとと強請るように、馬超の背に廻した腕に力を込める。
すると馬超もまたそれに応えるように、深く唇を重ねる。

そのまま、馬超の唇が趙雲の首筋を伝い、鎖骨の辺りまで滑り落ちていく。
「血の臭いがする」
鼻腔に感じる錆びた鉄のような香り。
趙雲の其処此処に鬱血の痕を作りながら、感心したように呟く。
「凄いな……。
お前の身体からは余すところなく血が香る」
「私ばかりではない。
お前とて同じではないか……」
「此度の戦もまた多くの血を浴びたからな、俺もお前も」
「汚らわしいか?」
趙雲が尋ねれば、まさかという風に馬超は眉を跳ね上げた。
「武人としての勲章だ。
それを誇りこそすれ、汚らわしいなどとは思わん。
お前もそうだろう?
それに―――この方が興奮する」
くすくすと漏れる二人の楽しげな笑い声。

その二人とは対照的に、木陰にいた姜維は息を殺し、身を固くしていた。
決して二人に気付かれまいと。
同性同士の関係など女のいない戦場では珍しいことではない。
けれど、まさか馬超と趙雲が関係をもっていたなど想像したこともなかった。
馬超は女好きで有名であったし、そういった噂にも事欠かない。
対する趙雲はといえば、未だ妻を娶ることもなく、周囲が勧める縁談の類にも色よい返事を返すこともないという。
見事のまでに対照的な二人を結びつけて考える者などいただろうか。

どくどくと激しく脈打つ鼓動は、抑えようもなかった。
静まれと幾ら念じた所で、一向に収まってはくれない。
姜維はぎゅっと衣の上から胸に置いた拳を強く握る。

だが、悲鳴に近い嬌声が趙雲の口から漏れ、二人の立てる水音が激しくなった時、とうとう姜維はそこから走り去った。
一刻も早く、二人の声が届かぬところまで行きたかった。
無意識のうちに溢れ出した涙が、姜維の頬を濡らしていた。

自身の陣幕に帰り着き、姜維はその中に身を滑り込ませると、その場に蹲った。
「趙将軍…」
馬超に抱かれ、艶を帯びた声を惜しげもなく漏らしていた趙雲の嬌声が耳から離れない。

蜀に降った時からずっと憧れを頂いていた。
そうしていつの頃からか、それは淡い恋心へと変っていた。
自分が趙雲と肩を並べられるくらいになった時には、この想いを伝えよう―――そう思っていた。

安心しきっていたのだ。
趙雲に関するそのような噂が一向にないことに。
自分こそがそんな彼を振り向かせてみせるという自負もあった。

だがそれは脆くも崩れ去ってしまった―――





成都に帰還し、また日常が戻ってきた。
修練場で槍を振るう趙雲の姿を姜維は食い入るように見つめていた。
その姿からは、戦場で馬超に抱かれ乱れていた様子は微塵も感じ取れない。
姜維の良く知る趙雲がそこにはいた。

ふう…と息を吐き出し、趙雲は手にした槍を下ろした。
額の汗を懐から取り出した布で拭い、姜維の方へと視線を移す。
「どうした?姜維殿。
私の顔に何かついているのかな?」
静かに問い掛けられる声に、姜維ははっと我に返った。
慌てて首を振る。
「あ……いえ、申し訳ありません。
何でもないのです。
ただいつもながら見事な槍さばきだと魅入られておりました」
「私をおだてた所でなにも出はせんぞ」
柔らかな笑みを浮かべて、趙雲は姜維を見つめる。
その笑顔に姜維の胸は疼くのだ。

趙雲が馬超と深い関係を持っていても、やはりまだ諦めきれぬ自分がいる。
だがあの趙雲が馬超の腕の中では素直に欲を晒していた。
それだけ想いは深いのだろう。
とてもその間に入り込む自信など今の自分にはなかった。

「さて、私はそろそろ城に戻るが…姜維殿はどうされる?」
「…私も戻ります」
心の痛みを覆い隠し、姜維もまた無理矢理に笑って見せる。

そのまま二人で並んで歩き出す。
だが少し進んだ所で、趙雲は足を止めた。
「趙将軍…?」
不審そうに姜維が隣の趙雲を見遣る。
「何か聞こえないか?」
「えっ?」
「誰かの気配がする」
趙雲の鋭い眼差しは、修練場から城に至るまでの道の外れにある小さな小屋へと向けられていた。
そこは昔武器などが納められていたのだが、老朽化が進んで今は使われていない。

「不審者かもしれん。
見てくる」
そう言ってその小屋へ向けて歩き出した趙雲の後ろを、姜維も追った。
もし趙雲の言う通りそこに不審な輩がいたとして、一人でいるとは限らない。
複数いた場合には流石の趙雲の手にもあまるかもしれないとそう思って。

扉の前に立つと、趙雲は腰の剣を抜き、足でもってそれを蹴り破った。
姜維もまた剣を構えるが、中からは誰も出てこない。
変りに耳に届いたのは、女の乱れた息と、喘ぐ声。

趙雲の傍らから中を覗けば、そこには身体を重ねあう男女のあられもない姿があった。
姜維はその男の顔を見た瞬間、目を見開いた。
「馬…将軍」
馬超は戸口に立つ二人を見ても、慌てる様子もなく、そればかりか繋がりを深めるように女の腰を引き寄せる。
女の方は突然の闖入者に驚き、逃れようと身を捩るが、馬超相手にそれが叶う筈もない。

「なに…を…なさっているのです…?」
呆然と姜維が呟けば、馬超は肩を竦めてみせた。
「見て分からんか?
お楽しみの最中だ。
ここなら誰にも見つからないと思ったんだがな…。
丞相には黙っておいてくれよ」
悪びれる様子もなく、馬超は嘯く。

信じられなかった。
趙雲の前で平然と女を抱いて離さない馬超が。

隣の趙雲を見れば、その表情にはどんな感情の色も浮かんではいなかった。
剣を鞘へと戻すと、身を翻し、さっさと立ち去っていく。
「趙将軍!」
趙雲の後を追おうとしたが、姜維をその場から動かさずにいたのは、馬超に対する激しい怒りだった。

「一体貴方はどういうつもりなのですか!!
貴方には趙将軍という方がいらっしゃるのでしょう!?
それをこんな…あの人の目の前で平然と……」
姜維の怒りなど歯牙にも掛けぬように、馬超は鼻で笑う。
「ふん…俺と子龍の関係を知っているようだな。
だがそれがどうした?
俺は誰の指図も受けん。
女を抱きたければこうして抱く。
お前には関係のないことだ」
「そのような自分勝手な!
趙将軍のことは遊びだということですか!?
あの人のことを真剣に想っておられるのならば、このようなことは出来ぬはずです!」

叩きつけられる言葉に、馬超はすっと目を細めた。
「そうか…お前、子龍に惚れているな?」
ぐっと姜維は拳を握り締める。
馬超を睨み据えても、馬超は不敵な笑みを浮かべるばかりだ。
「だとしたらどうだというのです?
先ほどの言葉をそのままお返しします。
貴方には関係のないことだ!」
「これは面白い。
ならば、お前もその想いの赴くままに、子龍を抱けばよかろう」
「なっ…!?」
「俺は別に止めはせんぞ。
だいたい―――お前はまだあいつの上っ面しか知ってはおらん。
あいつとて立派な男だぞ。
女をこうして抱きもする。
ただそれを周囲に悟られぬようするのが、俺より格段に上手いだけだ」
「これ以上趙将軍を愚弄なさると許しません!
決心がつきました……私は貴方から趙将軍を奪ってみせる。
私だけのものにしてみせる!」
姜維はそう言い残すと、昂ぶる感情をそのままに立ち去っていった。

「さてどうなるかな」
言って、残された馬超はくつくつと楽しげに笑うのだった。





姜維はその夜、趙雲の邸を訪ねた。
もちろん昼間のことがあったからだ。
あの後顔を合わせた趙雲は至って平然としていたが、姜維には趙雲が無理しているとしか思えなかった。
想いを寄せる相手のあのような裏切りの行為を目の当たりにして、平静でいられるはずがないと。
本当は深く傷付いているに違いないのだ。

通された部屋は、趙雲の自室だった。
初めて入る趙雲の部屋は、彼らしく至って質素なものだった。
「ようこそ参られた、姜維殿」
突然訪ねてきた姜維を快く迎えてくれた趙雲の笑顔が、姜維には痛々しく思えてならなかった。

円卓を挟んで、酒を酌み交わす。
内政のこと、軍のことなど、他愛のない会話をかわす。
だが実のところ姜維の心は別の所にあった。
いつ昼間のことを切り出そうかと。
そしてこの想いをどのように伝えようかと。

高まる緊張感が、酒を呷る速さを上げる。
「少し飲みすぎではないか?姜維殿」
心配そうな眼差しを投げかけてくる趙雲に、姜維は心配には及びませんと首を振る。
元来酒には強い方ではなかった。
実際には身体は火照り、鼓動も早まっている。
それは酒のせいなのか、それとも胸に秘めた想いのせいなのか、姜維自身にも分からなかった。

「それで今日は如何されたのだ?
何か用があって参られたのではないのか?」
話がひと段落した頃、まるで姜維の心に内を見透かしたかのような問いを、趙雲は口にする。

今しかない―――

姜維は真剣な瞳でもって、趙雲を見つめた。
「趙将軍は昼間の件、どう思われたのですか?」
「昼間…?」
一瞬趙雲は何のことか分からず、首を傾げる。
たがややして理解したようだ。
「あぁ、あのことか。
どうって……別段何も」
「嘘を仰らないで下さい!
何も思わなかった筈はないではありませんか!
貴方は馬将軍のことを愛していらっしゃるのでしょう?」
姜維の言葉に趙雲は面食らったように目を瞠る。
だが姜維は決して目を逸らさなかった。

すると趙雲がふぅっと大きく息を吐き出す。
「どうやら相当酔っておられるようだな。
今日はもう帰られた方が良い。
誰かに送らせる故……」
立ち上がり、部屋を出ようとした趙雲の腕を姜維は捕らえた。

姜維もまた立ち上がると、そのまま趙雲を抱き寄せた。
「姜維殿?」
「もう無理をなさらないで下さい!
馬将軍は貴方が想いを寄せるような人ではない!
私なら貴方だけを大切に致します。
決して悲しませるようなことはしません。
私は貴方のことが―――好きなのです」

趙雲から返る答えはなかった。
だが抱き締める姜維の腕を振り解くでもなく、その身を預けたままだ。
姜維はそれを答えとして受け取った。

一度身体を離し、夢中で趙雲へ口付けた。
それだけで姜維の頭の中は真っ白になる。
後はもう本能の赴くままに身を任るのだった―――





扉が開く音に、趙雲は寝台に伏していた顔を上げた。

先ほどまで隣にいた青年の姿はない。
酔いに任せて行為を青年は酷く恥じ入っていた。
酔いが覚めて居たたまれなくなったのか、それとも羞恥に耐え切れなくなったのか、自分の邸へと帰って行った。
だが去り際には、自分の気持ちに偽りはないと、顔を赤らめつつ何度も青年は繰り返して。
趙雲はただ微笑を返しただけだったが、青年はそれで安心したようだった。

「あいつは帰ったみたいだな」
近付いてくる人影に、趙雲は驚いた様子もない。
まるで来ることが分かっていたように。
うつ伏せに寝そべったまま、趙雲は寝台の傍らに立った馬超へと視線を投げ掛ける。

乱れた掛布。
何も纏ってはいない体。
そしてその肌に散らされた赤い痕。

何をしていたかなど一目瞭然の姿を、趙雲は全く隠そうともしない。
「お前が姜維殿を煽ったのだろう?孟起」
「分かったか?」
「あれで分からぬはずはないだろう。
全く……困った奴だ」
だがその言葉とは裏腹に、趙雲の口許には笑みが刻まれている。

「で、奴はどうだった?」
「若いな」
「そうか、若いか」

馬超は声を上げて笑う。
「俺は一応忠告してやったのだぞ。
お前は子龍の上辺しかみていないと。
だがあいつは決して信じようとはしなかったがな」
「だから若いというのだ。
まだまだな……」
「お前の本質をあいつが見抜けるのは一体いつのことだろうな?」
馬超は寝台の趙雲の身体の下に手を差し入れ、仰向かせる。
そうしてさっさと衣を脱ぎ捨てると、当然のようにその上に覆い被さった。

趙雲が誰を抱いたとて、そして抱かれたとて―――自分以外の誰にも興味を持たぬことを馬超は知っている。
そして趙雲もまた然り。
何を恐れることがあろうか。
だから互いに思うが侭に生きるのだ。

趙雲の首筋に顔を埋めれば、戦場とはまた違う香りがする。
「あいつの香りがしっかりと染み付いているな」
「お前こそ、女の甘い香りが抜けきってはおらぬぞ」
互いに視線を絡ませ、そうして笑い―――唇を重ねる。

こうしていつも互いとは違う香りを漂わせて、二人は抱き合う。

血の香り。
女の香り。
男の香り。

だがそれらはあっという間に溶け合い、消え去っていく。
そうして、馬超には趙雲の香りが、趙雲には馬超の香りが移っていくのだ―――





written by y.tatibana 2004.09.01



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