とまどい
Act4
これはまんまと嵌められたというべきなのか……。
響也に手料理を振舞う約束をさせられた法介は、彼に気付かれぬよう小さく息を吐き出した。
こうやっていつもいつも響也のペースに乗せられてしまう。
それをまた自分は嫌だと感じていないのだから、法介自身困惑しているのだが……。
法介との約束を取り付けた響也は上機嫌になって、音楽や映画のこと、自身が取材を受けた時の様子などを楽しそうに話す。
響也の話は、芸能関係に疎い法介にとってもの珍しい話題ばかりで、決して飽きることはない。
こういう話術に長けたところも、異性にモテる要素なのだろうと思う。
けれど弁護士である法介を前にして、響也は検事としての仕事のことは一切口に出さない。
いくら法介に想いを寄せてくれているのだとしても、そのあたりの線引きは響也の中できっちりとなされているようだ。
それがまた法介には響也に対して好感が持てる要素となる。
どれだけ親しくなろうとも、検事と弁護士である以上、法廷では対峙することになるのだ。
携わっている仕事の内容を軽々しく口にして良い訳がない。
「そろそろ、行こうか」
豪華な食事を終えて、響也と法介は店を出た。
「今日はご馳走さまでした。
ありがとうございます、とても美味しかったです」
法介の予想した通り今日の食事代を響也持ちだった。
それに対し、法介はぺこりと頭を下げる。
すると響也が小さく笑った。
「本当におデコくんはリチギだよね。
でもそんなふうにお礼を言ってもらえたり、美味しかったって喜んでもらえるのは、ウレシイな。
奢ってもらってアタリマエっていうようなコも多いからね」
法介にしてみれば、ご馳走になれば礼を言うのは当たり前のことなのだが、そんなことで感心されることこそが驚きだ。
一体今までどんな経験をしてきたのやら……。
「それって今まで付き合ってきた女の人のことですか?」
何気なく法介が問えば、響也はうっと一瞬言葉に詰まり、しまったというように顔を僅かに顰めた。
「も……黙秘する」
響也にしては珍しく声が上擦っている。
何をそんなに焦っているのかと法介は疑問に思うが、響也は突然法介の手をしかと握った。
「今はキミだけだから、おデコくん!
ぼくが愛しているのはキミだけ……」
「わーっ!」
法介は大声を上げて、慌てて響也の言葉を遮る。
夜も遅く、人通りも少ないとはいえ、公道で突然なんということを言い出すのだ、この男はと。
しかし法介の大きな声の方が、却って周囲の注目を集めてしまう。
それを感じ、法介はばっと響也の手を振り解くと、その場から逃げるようして走り出す。
「あっ、待ってよ、おデコくん!」
響也の制止の声を振り切って、法介は足を止めずに懸命に駆ける。
顔が赤くなっているのが分かった。
恥ずかしさに居た堪れなかったのだ。
周囲の人達の耳に、響也の言葉が届いていないことを祈るばかりだ。
先程の食事中も響也は似たようなことを言っていったが、個室と外とでは大違いである。
自分の考えや思っていることを正直に口に出せるのは、良いことだとは思う。
そうは思っていても、アメリカにいた響也とは違って、法介はこの国で生まれ育ってきた故に、ストレートな感情をぶつけられても対応することに慣れていないのだ。
(それにしたって、場所を弁えろって!)
心の中で法介は毒吐きながらも、同時に疑問も湧き上がる。
だいたい同性に想いを寄せているなどと知られて大変なことになるのは、響也の方だろうにと。
眉月大庵の件があり、ガリューウエーブは現在活動を休止しているようだが、有名人であることには変わりない。
無名の弁護士で―――しかも男の自分が相手でスキャンダルになるのかどうかは疑問だが、マスコミに面白おかしく取り上げられれば、大きなダメージを蒙るだろう。
それは一般市民である法介とは比べ物にならない。
それが分からぬほど、響也は愚かではあるまい。
なのに何故ああも周囲の視線を気にすることなく、好きだの愛しているだのを言葉にするのか―――。
「本当に何を考えてんだ……もし誰かにバレでもしたら、困るのはアンタの方だ……」
ぶつぶつと呟きながらも走る法介の腕を、その時後ろから何者かが捕らえた。
はっとして法介は立ち止まる。
無我夢中で走ってきて、気がつけばそこは人情公園の中だった。
「ぼくはベツに困りはしないよ」
法介が振り返ると、法介の後を追ってきたらしい響也が立っていた。
「やっと……捕まえたよ、ウサギさん」
(誰が、ウサギだ!)
そう声に出したかったが、全速力で走ってきた為、息が乱れて声にならない。
響也もまた荒い息を大きく肩で息をしている。
しかし、響也の手にはしっかり力が込められており、法介を逃がすまいとする意思がありありと感じ取れた。
「逃げたり……しませんから、手……離して下さい」
少し呼吸が落ち着くのを待って、法介が口を開く。
真意を測るようにじっと法介の目を見ていた響也だったが、やがて法介の腕は解放された。
近くのベンチに法介が腰を下ろすと、響也もその隣に並ぶ。
完全に呼吸が整うまで、しばらく二人は無言のままだった。
公園内に他の人の気配はない。
秋口の涼しい夜風が肌に気持ちよく、それが冷静さも取り戻させてくれる。
それは響也も同じだったのか、法介の隣でふぅっと大きく息を吐き出した。
「ぼくはさ、本当の気持ちが誰に知られたって構わない。
世間に何を言われようが、気にもならない。
そんなものよりも、キミへの想いを押さえつけるほうが苦しいし、イヤなんだ。
ぼくたちは別々の人間なんだし、言葉にしなきゃなにも伝わらない―――そう思ってるからついつい口に出してしまう」
そうやって先に沈黙を破ったのは、響也の方だった。
確かに響也の言うことは一理ある。
真意は思っているだけでは、伝わらないのは確かだ。
けれど―――。
「そ……れは、アナタの言う通りでしょうけど、人がいるところでは止めて下さい……。
恥ずかしい……んですよ」
法介がもごもごと言うのに、
「……分かったよ、なるべく善処する。
おデコくんに嫌われるのは本意じゃないからね」
響也はしぶしぶながらも、頷いた。
但し、止めると言わないところが、正直なのか頑固なのか。
しかし法介としてもとりあえずは妥協すべきなのだろう。
「じゃぁさ、ヒトがいないところだったら良いんだよね?
例えば今みたいにさ」
「うっ……まぁその……でも外だし……」
「異議は認めないよ。
そんなことさっきキミは言わなかったよね?」
勝ち誇ったような笑みを浮かべて、響也は法介を見つめてくる。
存分に色気を含ませた眼差しで。
思わず目を伏せた法介の耳元に、響也は唇を寄せてきた。
「ぼくはキミのことがスキだ。
おデコくんはぼくのこと、今はどう思ってくれているのかな?
少しは特別なイミでぼくのことをスキになってくれた?」
法介の胸は今や激しい鼓動を繰り返していた。
響也に対する己の気持ち―――それにはもう気付き始めていたが、まだやはり向き合う気持ちにはなれない。
「常識」や「互いの立場」、「怖れ」などが壁になっていて。
ならば、引き返すべきだと思うのに、それもまた出来ずにいる。
「ごめんなさい、やっぱりアナタの気持ちは受け入れられません」
そう告げれば、それで決着はつくと分かっていながら。
無言でぎゅっと唇を噛み締める法介の頬を響也の両手が包む。
伏せていた視線を上げると、響也の端正な顔が近付いてくる。
響也が何をしようとしているのか分からない程、法介も子供ではない。
止めてくれと言えば、響也は恐らくそれに従ってくれるだろう。
けれど法介は響也に応えるように目を閉じてしまう。
唇に柔らかなものが押し当てられる感触。
目を閉じていても分かる―――それは響也の唇だ。
響也の想いを受け入れることも、断ることも決断できないくせに、こんなふうにキスは受け入れてしまう。
卑怯だと思う。
こんな曖昧な状況をずっと続けていてはいけない。
何よりも真剣にぶつかってきてくれる響也に対して失礼だし、申し訳ない。
そう思っていても、なかなか決心がつかないのだ。
何とも不毛な堂々巡りだ。
唇を重ねるだけのキスを終えて、法介は目を開く。
目の前の響也の嬉しそうな顔に、胸が痛んだ。
「牙琉検事……オレまだ答えが出せなくて……。
すみません……オレ……」
「キミを困らせるつもりはないんだから、そんな顔はしないでおくれよ、おデコくん。
ぼくは焦らず待つよ。
でも覚えておいて―――ぼくはおデコくんのことが本気でスキなんだってことはさ」
法介の気持ちは揺れる。
だが、牙琉響也という人を知るにつけ、自分の中の蟠りなどすべて捨てて、正直な気持ちを曝け出してしまおうかと思えてくる。
自分も響也に魅かれているのだと。
しかしそんな二人に、この後すぐ大きな波が襲い掛かってくることになろうとは―――この時は法介も、そして響也もまた想像もしていなかった。
そこで二人の関係に大きな転機が訪れることになる。
十月七日―――それが運命の裁判の始まりだった。
2008.05.23 up