とまどい
Act3


それから法介は響也と幾度となく食事に行った。
以前の裁判所の資料室でのように響也の誘いは幾分強引だったりするが、断ることとてもちろん可能だ。
現に本当に予定がある時には、法介がそう告げれば、響也は決して無理強いしない。
「そう、じゃあまたの機会にね」
と、不機嫌になるでもなく、そんなふうに響也は笑顔で受け入れる。

予定があろうがなかろうが、響也と食事したくのないのならば断ればいいのだが、法介はそれが出来なかった。
渋々といった顔をして法介は響也の誘いに乗るのだが、実際はそれほど嫌とは感じないのだ。
いくら鈍い法介とて、もう徐々に自分の響也に対する感情の正体に気付き始めていた。
けれど、それに向き合い、認めることはまだ法介には出来なかったのだ。
それは「常識」や「戸惑い」、「互いの立場」とかいった様々なものが障害となっているから……。
今ならまだ引き返せる―――そんな想いすら抱いていた。

「どうしたの?
何か悩みでもあるのかい?
元気がないみたいだけど……」
向かい合って座っている響也が、法介の方をじっと見つめて、小首を傾げる。
まさか「アンタが原因なんだよ!」とは言えず、法介は「いえ、別に」と首を振る。

それで響也が納得した様子はなく、探るように法介を見つめる。
淡いブルーの瞳が、とても綺麗で、法介の意識とは関係なくドキドキしてしまう。
流石は人気ロックバンドのボーカリストとでもいおうか。
人を惹きつけるカリスマ性を充分に持ち合わせているのだろう。
(同じ男にナニをドギマギしてるんだ!?オレは……)
法介は平静を装いつつも、心の内では動揺を隠そうと必死だった。

そんな中、
「もしかして、ぼくのことを考えてくれていたのかな?」
と、響也はにっこりとこれまた完璧な笑みを浮かべて、法介をじっと見つめたまま問いかけてきたのだ。
尚早くなる鼓動と、火照ってくる頬を隠そうと、法介は怒りを装い、響也を睨み付ける。
「そんな訳ないでしょう!
どうしてオレがアナタのことを……」
響也は法介の反応をどう受け取ったのか、くすりと小さく笑い声を漏らす。
「そうか……残念だな。
キミが少しでもぼくをレンアイの対象として、意識し始めてくれているのかと思ったよ。
けど、出来るだけ早く、そうなってくれたら嬉しい」

法介はぎょっとして、目を見開く。
「そ……そういうことを、こういう場所で言わないで下さい!
誤解でもされたらどーするんですか!?」
すると、心外だとばかりに響也が肩を竦めた。
そして僅かに表情が硬くなる。
「ゴカイもなにも……ぼくは思っていることを正直に言っただけだよ。
別にぼくは恥ずかしいことだとは思わない。
おデコくん、キミはまさかまだぼくがからかっていると思っているんじゃないだろうね?」
「いや、それはもう分かってますから!」
慌てて法介は響也の言葉を否定する。

最初は確かに響也にからかわれているだけなのだと思っていたが、キスされて、愛を囁かれて、何度も食事に誘われて―――さすがの鈍い法介も今や響也が真剣なのだと認識している。
腕輪とて反応を示さない。
ただ響也は自分の気持ちを正直に伝えることに戸惑いはないらしいが、法介にとってみればやはり慣れてないし、羞恥がある。
特にこんなふうに外で食事を摂っている時は。
しかし、一般人である自分よりも、有名人である響也の方が同性に想いを寄せているなどというスキャンダルを知られれば困るだろうに……。
そうは思うのだが、響也は一向に気にしている様子はない。

「心配しなくても、誰にも聞こえてなんていないよ。
個室なんだからさ。
別にぼくはなにも思わないけど、おデコくんは気になるみたいだね」
さも法介が特殊なように響也は言う。
もちろんそれは法介にしてみれば心外だった。
(オカシイのはアンタの方だよ!)
と法介は心の中で毒吐く。

今日、響也に連れられて法介がやって来たのは、とある中華料理店だった。
確かに響也のいう通り今居る場所は個室で、二人以外に誰もいない。
壁も厚いのか、さもなくば防音が整っているのか、他の客の話し声も聞こえてはこない。
そしてテーブルの上には、様々な料理が並べられていた。
湯気を立て、食欲をそそる香りが、料理から漂ってくる。
場所も、雰囲気も、料理も―――法介が普段行きなれている中華料理店とは異なっていた。

だからといって、いつも響也がこういった高級な店に法介を誘うという訳ではない。
恐らく法介の財布の中身を気遣ってのことだろう。
響也は奢ってくれようとするのだが、法介のほうがそれを良しとはしないのだ。
いつも対等でいたい―――それは例え恋人同士であっても……そう思っているから。
まして響也と自分の現在の関係は、恋人ではなく、あくまで検事と弁護士なのだ。
だからこそ一方的に奢られるようなことは、嫌だった。
いくら響也が裕福で、自分の財布が万年軽かろうと。

それを正直に話した時、響也は笑った。
馬鹿にしたようなそれではなく、暖かな笑顔だった。
「うん、おデコくんらしいね」
と。
そしてこう続けた。
「ならこうしよう。
基本は割り勘にして、ぼくがキミにどうしてもご馳走したいと思った時だけは受け入れてくれないかな?
で、その次はキミがぼくにご馳走してくれるっていうのはどうかな?
高いとか安いとか、値段は関係ナシだ。
それぞれがイイと思ったトコロに連れて行くってことで」

二人の間では、結局それがルールになった。
今日はこの店のレベルからして、響也が支払をする気なのだろう。
とすれば、今度はどんな場所に響也を連れて行こうか。
ラーメンの屋台でも喜んでくれた響也は、法介がどんな店に連れて行こうが不満を訴えたことは一度もなかった。
とても楽しそうに過ごしてくれるものだから、法介とて悪い気はしなかい。
そんなことが自然と頭に浮かんでくる自分に、法介は驚きと戸惑いを覚えた。
一体いつの間に、響也とこうして出掛けることが当たり前のようになったのだろうかと。
次の予定を既に考えている自分に。

「おデコくん……?」
怪訝そうに掛けられる響也の声に、法介ははっと我に返る。
また意識が別の方向へと飛んでいたようだ。
響也に驚愕の告白をされて以来、法介はついつい彼についての色々なことを考えてしまう。

慌てて法介は首を振って、
「本当に美味しそうだなと思って。
冷めちゃったら勿体無いですし、食べましょう」
言って、「いただきます」と手を合わせると箸を手に取った。
自分の小皿と、そして響也の小皿にも何品か取り分けてやり、法介は料理を口に運ぶ。
「うわっ、美味い!」
お世辞でもなんでもなく、思わず法介は感嘆の声を上げる。
素材も一流のものを使っているに違いなかったが、味付けも抜群だった。

舌鼓を打つ法介に、ここに連れてきた甲斐があったと思っているのか、響也は嬉しそうだった。
「本当におデコくんは、美味しそうに食べるよね」
響也も法介につられるようにして、小皿に取り分けられた料理に箸を伸ばす。
しかし、何口か食べた後、響也は「うん……?」と首を傾げた。

それを見て、法介はきょとんと目を瞬いた。
「どーかしたんですか?牙琉検事。
すごく美味いでしょう?」
料理を食べた響也の反応があまり芳しくないので、法介は自分の味覚がおかしいのかと不安になる。
響也が口にした小皿の料理を見れば、それはチンジャオロースだった。
法介も既に食べていたが、今まで食べたチンジャオロースの中で一番の味だった。

「うん、オイシイとは思うんだけどさ……。
キミが作ってくれたものの方が美味しかったなぁって思ってね」
「ちょ……アンタって人は!」
不意打ちのような響也の言葉に、法介は対応しきれず、思わず声を荒げた。
反則だろう―――そんな台詞をさらりと言ってのけるのは。
頬が熱いのは気のせいではない。

忘れもしないあの日。
響也に想いを告げられ、彼の自宅に残された時に、混乱と立腹しつつも、空腹を覚えた法介は確かにチンジャオロースを作った。
ついつい二人分作った自分に法介はまたも腹が立ったが、捨てるのももったいないと、結局ラップをかぶせて置いておいたのだ。
あの時の感情は、様々なものが入り混じっていて、言葉でどうだったとは言い表せはしないが、その料理が響也の為に心を込めて作ったことでないことは確かだ。
かといって、法介の料理の腕がプロ並みということもない。
一人暮らし歴が長い故に、料理は作れはするが、それだけのもので、可もなければ不可もないといった程度だ。

にも関わらず、響也は一流のシェフが作った料理よりも、法介の方が美味しいという。
それは響也なりの法介に対する称賛なのだろうか。
こうやって褒めれば、手放しで喜ぶとでも思っているのか。
最初は思わぬ台詞に恥ずかしくなってしまったが、そう考えると、ふつふつと怒りが湧いてくる。
いかに法介が単純だとて、そんな見え透いたおべんちゃらは馬鹿にされているとしか思えない。

「オレを喜ばせようとしてそんなことを言ったってムダですよ!
そういう嘘はムカつくんですけど!」
法介がきつく睨み付けると、響也は驚いた様子で目を見開く。
「えーっ!なんで怒るのさ!?
キミを喜ばせようなんて下心があって言ったんじゃない。
ぼくは自分の思ったことを、ショージキに話しただけだ!
ウソなんて吐いちゃいないよ」
心底不本意だといった表情で、響也は法介に反論する。

響也の言葉を証明するように、法介の腕輪は反応しない。
つまり先程の言葉は真実だったということか。
いや、しかし―――この不思議な能力とて完全とはいえないと思う。
ただ響也の方が上手で、法介がそれを見抜けていないだけかもしれない。
それともやはりそれが本音なのか。

考えても分かるはずもなく、法介は溜息を落としつつ、ぼそりと呟く。
「けど、オレ、そんなふうに言われるほど料理上手じゃないですよ……」
「もっと自信もちなよ、おデコくん。
本当に美味しかったんだからさ」
「はぁ……」
なんとも釈然とせず、気の抜けた返事をする法介を前に、響也は「そうだ!」とぽんと一つ手を打つ。
「今度ぼくの自宅で、もう一回キミの手料理を振舞っておくれよ。
ここの食事はぼくがご馳走するからさ、その代わりに今度はお店じゃなくてキミの料理が食べたい。
もちろん時間のある時でいいからさ」

断る理由も見つからず、法介は結局響也に手料理を振舞うことを約束してしまうのだった―――。
響也のペースに巻き込まれているなと思いつつも。



2008.05.05 up