真実
の
探求者
法介はローメイン・レタス殺害に関するマキ・ドバーユの弁護を終えた。
弁護人席に立ったのは三度目だったが、今回の事件もまた荒れに荒れた。
綱渡り状態ではあったが、それでも法介は何とかマキ・ドバーユの殺人容疑を晴らすことが出来た。
本来ならば、弁護士としてこれほど嬉しいことはないだろう。
だが……法介の心は一向にすっきりとしないままだ。
寧ろ酷い疲労感が全身を包み込み、心にも濁った澱が溜まっている。
もちろん無罪を勝ち取れたことを喜んでいないのではない。
ただマキ・ドバーユは殺人に関しては無罪であったが、別件で罪を犯していた。
その上、ローメイン・レタス殺害の真犯人は、法介の見知った人物だったのだ。
眉月大庵―――彼と親しかった訳ではない。
けれどその眉月は、法介と今回を合わせて二度法廷で対峙した検事牙琉響也がリーダーを務めるロックバンドのメンバーだ。
警察関係者で結成されたという「ガリューウエーブ」は、ミリオンヒット連発の人気バンドらしい。
法介はといえば、響也と知り合うまで、その存在を認知していなかったのだが……。
その同じバンドのメンバーが真犯人だと、法廷で暴かれた響也の心中はいかばかりか。
それらのことを考えると、法介は到底喜ぶような気分にはなれなかった。
あの裁判から早数週間―――。
法介は地方裁判所の資料室にいた。
室内には法介以外誰もいない。
参考にしたい資料があってここを訪れたのだが、静まり返った部屋の中にいるとついつい思考が別の所へ飛んでしまう。
(二度目……だな)
法介は心の内で呟き、溜息を落とす。
響也の近しい人達の罪を暴くことになってしまったのは―――。
一番目は初法廷で彼の兄牙琉霧人を。
そして二番目は彼の親友眉月大庵を。
(俺のこと、恨んでいるだろうか……)
もちろんそれらを計画していたことはないし、意図して出来るものでもない。
偶然なのか、それとも陳腐な言い方だが運命だったのか、新人である法介が弁護を担当した三件中二件が響也に関係するものだった。
結果的に彼から兄と親友を奪ったのは自分なのだ……それが法介を暗澹たる気持ちにさせる。
響也のことが憎い訳では決してない。
軽薄な言動とは裏腹に、響也の真実を追究しようというその姿勢を法介は尊敬していた。
真実に重きを置き、勝ち負けに拘らない彼に、幾度も法介は助けられた。
だかだこそ、そんな彼の大切な人達を告発することとなったことに心が痛むのだ。
けれどその真実は時としてとても残酷だ。
それが白日の下に晒される事により、助かり喜ぶ人間もいれば、その逆に傷付き悲しむ人間もいる。
事件の当事者だけじゃない。
その人達と直接的もしくは間接的にでも係わり合いのある存在に多少なりと影響を及ぼすのだ。
今回の事件は、世間を特に賑わせている。
人気ロックバンドのメンバーが殺人容疑で逮捕され、その上その容疑者は刑事でもあったのだ。
新聞や雑誌、ワイドショーなどでは、連日大きく取り上げられていた。
法介の元にも、取材の申込みや、レポーター達が事務所に押しかけてきたりと、今までの平穏さが嘘のような騒々しさだ。
それらもちろんすべて断っているが、巻き込むことになってしまった成歩堂親子に法介は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
本人達は「芸能事務所っぽいねー」などと、至って呑気に状況を楽しんでいるようではあったのだが。
法介でさえそんな状態なのだから、響也の方はもっと大変なのだろう。
あれから響也とは顔を合わせる機会もなく、法介は彼の姿を見ていない。
いつも余裕を漂わせるような笑みを崩さない響也だが、今回の件はいかに彼とて相当にショックを受けていると思う。
検事局きっての天才だって人間だ。
身近な人間が逮捕されて、心を痛めない筈はない。
そんな中、多くの人々の注目を集め、無遠慮にマイクを突きつけられ、あることないこと書きたてられる―――更に傷付くだろうことは容易に想像できた。
真実は決して全ての人々を幸せにする訳ではない。
そんなこと法介とて頭では分かっていた筈なのに、現実は想像以上に辛いものだと思い知らされる。
響也同様、弁護士として何としてでも真実を追究したいと強い信念を持っていた法介だが、それが本当に正しいことなのか揺らぐ気持ちを止められなかった。
深々と溜息を吐き、法介は軽く頭を振ると、資料室を出た。
とてもではないが、資料を手に取っても、それに集中出来るような心理状態ではないと自覚したからだ。
「おや、おデコくんじゃないか」
資料室の扉を閉め、廊下に出た法介は、掛けられたその声に思わず肩を揺らした。
なんというタイミングの悪さだろう。
しかし無視する訳にもいかず、法介は声のした方を振り返った。
廊下の向こうから、響也がこちらに向かってやって来る。
法介が拍子抜けする程に、響也は普段と何ら変わりなく元気そうだった。
落ち込んでいる風でも、疲れている様子もない。
法介も見慣れた王子様然とした爽やかな笑顔も健在だ。
「久しぶりだね、おデコくん。
あの審理以降なかなか会うキカイもなかったけど、元気だったかい?」
響也は身を屈めて、法介と目線を合わせてくる。
だが法介と目が合うと、僅かに響也は眉を顰めた。
「……って、あんまり元気そうじゃないみたいだね。
キミってカオに感情が出ちゃうタイプだから、分かりやすいよ」
「悪かったですね……」
思わず法介はむっと唇を尖らせる。
法介にしてみれば、響也のいつも通りの姿こそ奇異に映る。
響也は法介と違い、無理して明るく振舞っているのだろうか。
さすがは芸能人と言うべきか―――仮面を被ることには長けているのだろう。
「ホめてるんだけど、僕は。
スナオなのはいいことだよ」
そう言って笑う響也の、法介に対するからかうような態度も、今までとまるで変わらない。
てっきり恨まれているだろうと考えていた法介は、響也からこんな風に接せられるとは思ってもみなかった。
あの響也のことだ―――まさか罵詈雑言浴びせられるとまでは思っていなかったが、恨み言の一つ二つは覚悟していたし、当然一線を引かれるものだとばかり思っていた。
しかしそんな素振りを一向に響也は見せない。
これもまた自分を殺して、平静を装っているのかもしれない。
「あの……牙琉検事……俺急いでるんで、今日は失礼します」
だが法介の方はどうにも落ち着かなくて、まともに響也の顔も見れず、踵を返した。
まるで響也から逃げるようにして、法介はその場を立ち去ったのだった。
響也と別れ、そのまま裁判所の外に法介は出た。
そこには記者やレポーターと思しき人間の姿が数名見えた。
彼らは法介を見つけると、途端に寄って来ようとする。
しかし、それよりも早く法介の前に躍り出た影があった。
若い女の子二人連れだ。
彼女達はは無言のまま法介の前に立つと、手にしていた缶ジュースの中身を法介の顔に向かって浴びせかけた。
ぽたぽたと顔を伝い落ちる冷たい液体を拭うこともできず、法介は立ち尽くす。
咄嗟に自分が何をされたのか、分からなかったのだ。
呆然と目を見開いたまま、法介は目の前に仁王立ちする彼女達を見つめる。
彼女達はそんな法介を憎々しげに睨みつけ、空になった缶を今度は法介の胸に向けて思い切り投げつけた。
「アンタのせいよ!
アンタのせいで、ガリューウエーブは解散しちゃうかもしれないんだから!
あのダイアンが殺人犯な訳ないじゃない!
嘘に決まってる!
一体どんな汚い手を使ったのよ、この人でなし!」
黙り込んだままの法介を前に、彼女達は容赦ない罵りを投げつけてくる。
どうやらガリューウエーブの熱烈なファンらしい。
突きつけられる純然たる悪意。
この少女達にとって、真実は到底受け入れられるものではないのだろう。
その憤りや憎しみが全て法介へと向けられている。
どれだけ証拠を並び立て説明したとて、彼女達は眉月の罪を認めることはないのだろう。
そんな真実など彼女達には必要ないものなのだ。
彼女達もまた今回の事件の被害者といえるのもしれない。
そしてこの少女達と同じような想いを抱いているガリューウエーブのファンも恐らく沢山いる。
法介の胸にまた痛みが走る。
やはり真実など何を差し置いても求めるべきものではないのだろうか。
多くの人を犠牲にするくらいならば―――。
法介はそんな彼女達を見続けることが辛く、思わず俯きかけた。
しかし、その時。
「俯くんじゃない、王泥喜法介」
そう背後から良く通る鋭い声が飛んできた。
びくりと肩を震わせて、法介は伏せかけていた顔を止める。
「しっかりと前を見据えるんだ。
謝る必要なんてどこにもない。
そんなことをしたら、僕はキミを赦さない」
女の子たちの表情が、先程までとは一変してぱっと輝いた。
法介が振り返ると、すぐ傍に響也の姿があった。
きゃーっと歓喜の声を上げる少女達に、響也は一瞥たりともせず、その瞳は法介を見つめている。
珍しく口元に笑みは浮かんでおらず、響也の表情は今までにないくらい真剣で厳しいものだった。
「キミは何も間違ったことはしていない。
眉月大庵は殺人というユルされない罪を犯した―――それが真実だ。
そう僕とキミとで辿り着いたんだ。
僕たちは検事と弁護士―――真実を追求するのが役目だ。
真実を捻じ曲げるようなことが赦されるはずもない、そんなのは酷いボウトクだよ。
法曹界を生きる道に選んだ自分自身に対するさ」
そう語る響也の眼差しもまた、表情同様にとても真摯だ。
「胸を張りなよ、おデコくん。
誰がなんと言おうが、恥じ入ることなんて何一つない。
僕はキミを恨んでなんていないし、これからもキミと法廷というステージで真実を見つけていきたいと思っている。
そうしなければ、本当は苦しむ必要のないヒトを罪に染めてしまうことになるかもしれない。
それこそ不幸なことだと思わないかい?」
冤罪―――その言葉が法介の中を駆け巡る。
そうだ自分達が真実から目を逸らしてしまったら、それはまた別の罪を作り出すことになってしまう。
影響の大小ではない。
真実は明らかにされなければならない。
それによって齎される悲哀があったとしても、人はそれを乗り越えていかなければならないのだ。
法介が弁護士である以上、これから先、同じようなことが幾度もあるだろう。
もしかすれば親しい人が罪を犯すこととてあるかもしれない。
それでも法介は真実から目を背ける訳にはいかないのだ。
それが弁護士という道を選んだ法介の誇りだ。
「俺―――大丈夫です!」
法介は力強く頷いて、振り返る。
少女達や記者達の視線が法介へと向けられても、もう法介は下など向かない。
少女達はその法介に気圧されるように、道を空けた。
響也はそんな法介の姿に、満足げな笑顔を見せる。
しっかりと前を見据え、法介は堂々とした足取りで歩き出す。
もうそこに迷いはなかった。
2008.03.07 up