unknown
Act5

それからどのくらい眠っていただろうか。
ゆっくりと目を覚ました響也であったが、それは爽快な目覚めとは到底言い難かった。
頭が霞掛かったようにボーっとする。
息が乱れ、苦しい。
再び熱が上がってきてしまったようだと、響也はぼんやりとした意識の片隅で辛うじて認識する。

(おデコくんは……?)
そんな中でも頭にあったのは、法介のことだった。
決して夢ではなかった筈だ。
法介の温かな手の感触は、しっかりと響也の肌に残っている。

無意識に室内を見渡し、響也は法介の姿を探す。
しかしその何処にも彼の姿を見つけることはできなかった。
帰ってしまったのだろうか―――身体の不調よりもそのことの方が響也にとっては辛かった。
やはり病気で気弱になっているのだろうか。
法介が傍に居てくれないことが、とても寂しく思える。

しかし響也のそんな懸念はすぐに晴らされた。
響也の願いが通じた訳ではあるまいが、ドアが開き、法介が姿を見せたのだ。
その嬉しさを表情に出そうとしたのだが、響也は高熱のせいで上手く笑うことができなかった。
じっと法介を見つめるのが精一杯の状態で。

法介はそんな響也の様子を見て取ると、慌てて部屋を出て行ってしまう。
だがすぐに法介はグラスを持って戻ってきた。
「牙琉検事、大丈夫ですか!?
薬は飲めますか?」
と、法介は響也の身体を起こし、訊ねてくる。

響也は間近に法介がいることに安堵して、答えを返すこともなくただぼんやり彼の顔を見つめてしまう。
相変わらず綺麗な瞳だなと、そこに意識をもっていかれる。

再度法介に名を呼ばれ、薬を飲むよう促されるが、どうにも口を開けることすら響也には億劫だった。
すると法介は何を思ったか、その口に薬と水を含むと、響也の唇にそれを重ね合わせたのだ。
それでもまだ響也は、何がどうなっているのか分からなかった。
錠剤と共に、冷たい水が、重なった唇から響也の中に流れ込んでくる。
拒むことはなく、ただ本能で響也はそれを飲み干した。
それが響也の霞みかかった意識を、ようやく僅かに呼び覚ます。

(今、おデコくんとキスした……?)
正確に言えば、それはキスなどではなく、非常事態故の口移しだったのだが、響也はドクリと心臓が脈打つのを感じた。
キスなんて今まで、それこそ挨拶代わりのように行ってきたのに、まるでファーストキスのようにドキドキしてしまう。
身体が熱い。
けれどそれは決して熱のせいなどではない。
事情はどうあれ、法介と唇を重ねたのだという事実が、響也の身体を……心を熱くさせた。

「み……ず……」
もう一度、響也は法介に水を強請る。
喉が酷く渇いていたことは事実だ。
だがまったく自分で飲めないほどではない。
法介の手に触れた時と同じく、響也は自身が卑怯だと思いつつも、法介ともう一度口付けたかったのだ。
きっと法介ならば、病人の響也を放っておくことなどできず、また同じように口移しで水を飲ませてくれると思ったから。

(ズルいオトコだな……僕は)
高熱に浮かされて、意識が混濁したように装い、法介の優しさにつけ込んで。
体調のせいで理性の箍が緩くなっているのだろう。
普段の響也であったならば、そんな騙すようなことをしてまで、法介に触れるようなことはしない。
己のプライドがそれを赦さないだろう。

けれど、今は我慢できなかった。
いつもの余裕は全くない。
ただただ法介が欲しかった。
もっと触れたい、近付きたい欲求に突き動かされる。
どれだけいつも余裕を漂わせ、格好をつけてみても、自分も所詮ただの雄なのだと思い知らされる。
湧き上がる法介への欲情に、何もかも押し流されてしまいそうだ。

こんな自分の気持ちを知れば、法介はどう思い、何を感じるだろうか。
軽蔑され、拒絶されるか。
もう二度と自分に近付こうとはしなくなるだろうか。
それとも―――彼もまた自分と同じ気持ちだということは在り得ないだろうか。
そんなものは都合の良いだたの妄想か……。

その響也の思考を中断させるが如く、法介は口に水を含むと、響也へと唇を落とす。
響也の望み通り再び重なる唇に、法介への愛おしさが込み上げてくる。

水を口移し、唇を離した法介によって、響也はベッドへと身体を横たえさせられた。
そうして軽い溜息の後、法介は身を離そうとする。
離れていく法介の温もりを敏感に感じ取り、響也は法介へと手を伸ばし、その腕を捕らえる。
そうしてそのまま自分の方へと引っ張った。

熱のせいで大して力は入らなかったが、法介にとっては予期しないことだったのだろう―――バランスを崩して法介は響也の上へと倒れこんでくる。
それを胸元で受け止めて、響也は法介の背に自分の腕を廻した。
逃がさないとでもいうかのように。
「寒……い……」
と呟き、抱きしめた法介の身体はとても暖かかった。
ついさっき、法介が身体を離そうとしただけで感じた寒さは嘘のようだ。
とても心地よい安らぎを響也へと齎してくれる。

病人の響也を無下に振り払うようなことはできないのだろう―――法介はじっと響也に抱きしめられたままでいる。
今、法介は何を考えているのだろう。
同性である響也にぎゅっと抱きしめられていても、病人のすることだと諦めているのか、それとも呆気に取られて固まっているのか。

そもそも法介は一体自分に対して、どういった感情を抱いてくれているのだろうか。
やはり自分のように恋心を抱いていてくれているとは、思えない。
ただ骨折した法介と一週間ほど共に暮らして、距離感は随分と縮まったように思う。
少しは自分のことに興味を持ってくれただろうか。
検事としてだけではなく、プライベートでも係わりあっても構わないくらいの位置に、果たして自分はいるのか。
あとどのくらい距離が近付けば、この気持ちを受け入れて貰えるのだろう。
こんな風に病気ではなく、恋人同士として、キスをして、抱きしめあって……そして一つに繋がることができるのか・

止め処ない、様々な疑問が次々と響也の中に浮かんでくるが、その答えは何一つ分かりはしない。
どう頑張ったところで、法介の心の内を読み取ることなど出来ないのだから。

もっともっと法介に近付きたい。
そんな溢れる想いが、法介を抱きしめる響也の腕に更に力を込めさせる。
そうしてそれだけに留まらず、響也は法介の耳元にとうとう囁いてしまう。
「法介……好きだよ」
そう、愛しさを込めて。

ただ声が掠れていて、上手く音ならなかったようにも思えた。
しかし法介の反応を確かめるよりも前に、響也は再び眠りへと落ちていってしまう。
飲まされた薬と、そして法介の齎してくれる体温があまりにも心地よくて―――。





翌日の目覚めは、打って変わって清々しいものだった。
響也は随分と軽くなった身体を、ベッドの上に起こす。
高熱を出していたことなど、まるで夢であったかのようだ。
そして法介と唇を重ね、彼を抱きしめて、想いを伝えたことも―――。

今、室内に居るのは響也一人だった。
だが、響也がベッドから降りようとした所で、部屋のドアが開いた。
昨夜と同じように入ってきたのはトレイを手にした法介だった。

起き上がった響也の姿を見て、驚いた様子の法介を響也は探るようにじっと見つめる。
看病してくれたことに対する礼を響也が述べれば、法介は大したことでないと言い、手にしたトレイをナイトテーブルの上へと置いた。
トレイの上には、法介が準備してくれたらしい粥の入った茶碗が湯気を立てていた。

明るく喋る法介はいつもと何ら変わりないように見える。
しかし響也には先程からずっと気になっていることがあった。
法介は部屋に入ってきてからずっと、自分と目を合わせようとはしないのだ。
顔はこちらに向けられていても、視線は微妙に逸らされている。

「おデコくん、キミ―――」
響也の言葉を遮るように、法介は事務所に戻るというようなことを一気に捲くし立てた。
まるで響也の言葉など聞きたくないと示すように。
一方的に告げ、立ち去ろうとする法介の手を響也は反射的に捕らえる。
「待ちなよ、おデコくん。
どうしてずっとぼくから目を逸らしているんだい?
そんなに慌てて帰らなくても……」
「いい加減にして下さい!」
すると法介は突然激昂し、響也の手を振り払った。

「寂しいのなら、女の人を呼べば良いでしょう!?
オレを身代わりになんてしないで下さい!
オレは……アンタの恋人じゃない!」
吐き捨てるように言って、法介は振り返ることもなく部屋を出て行ってしまう。
玄関のドアの閉まる音が、微かに響也の耳に届く。

荒々しく振り払われた己の手を半ば放心状態で見つめながら、響也は眉を顰めた。
(コイビト……だって?)
突然叩きつけるように法介に言われたその言葉の意味が分からなかったのだ。

昨夜のことは少し記憶は曖昧なものの、ほぼ覚えている。
だが身代わりだとか、恋人などという話が突然出てくるようなことに思い当たる節はない。
自分の告白に対するそれが法介の答えかとも思ったが、そこになぜ身代わりというような言葉が出てくるのか響也には分からない。
昨日のことが自分達の間の何かを狂わせた―――響也に理解できたのはそんな曖昧なことだけだった。



2007.12.22 up