unknown
Act2
響也の身体はぐらりと傾いて、法介の方へと倒れ掛かってきた。
「わっ!」
法介は声を上げ、咄嗟にそれを抱きとめる。
体格差がある分、響也の身体はずっしりと重く、法介は両足に力を込め踏ん張る。
「ちょ……牙琉検事!
ど……どうしたんですか!?」
答える声はない。
その代わりに耳に届くのは、荒い息遣いと、熱い呼気。
触れ合っている体から伝わる体温も、普通よりも随分と高いように思う。
「熱……?」
呟いて、法介はもう一度響也に呼びかける。
「牙琉検事!
しっかりして下さい!」
しかし返ってくるのは、やはり苦しげに繰り返される呼吸だけだ。
まさかそのまま響也を放って帰るほど、法介は人非人ではない。
響也の身体を支えたまま、法介は渾身の力を振り絞り、室内へと入る。
引き摺るようにしてなんとか響也の身体を、彼のベッドルームへと運んだ。
部屋の位置は以前世話になったから知っていた。
ベッドの上に、響也の身体をようやく横たえて、法介はその場に座り込んだ。
へたり込んだという表現のほうが正しいのかもしれないが。
はぁはぁと呼吸が乱れ、法介は額に滲んだ汗を拭った。
「ダメだ……日ごろの運動不足が身にしみる……」
ひとりごち、ベッドに寝かせた響也に視線を向ける。
いつもきっちりと整えられている響也の髪は乱れ、ジャラジャラとしたアクセサリーの類も身につけていない。
シャツとジーンズというラフな格好だった。
その響也の顔を改めて見れば、目を閉ざし、頬を上気させて、ぐったりとして弱々しい。
常に自信に満ち溢れ、爽やかな笑顔で自分をからかってくる響也のイメージが法介には強くて、そんな彼の姿を見ていると何となく不安を覚える。
法介が響也の額に手をのせると、予想通り熱かった。
ただの風邪からくる発熱なのだろうか。
それとも別の病気だったりするのかもしれない。
(素人判断は良くないよな……)
法介はそう考え、往診に来てもらえる医者を探すことにしたのだった。
「風邪による発熱ですね」
何件か電話をかけ、往診に応じてくれた壮年の医師は、そう診断を下した。
それを聞いて、法介はほっと胸を撫で下ろした。
危惧していたような悪い病気ではなくて良かったと。
「栄養剤と解熱剤の注射を打っておきましたから、あとは暖かくして安静にしておいて下さい。
汗をかいたら、着替えさせてあげてくださいね。
一度熱が下がってもまた上がる可能性もありますので、もし辛そうでしたらまた呼んでください。
薬も置いておきますので」
医師はそう指示を出し、立ち上がった。
法介は「ありがとうございました」と医師を見送った後、バスルームへと向かった。
タオルと水を張った洗面器を手に、再び響也のベッドルームへ戻る。
注射の効果か、響也の様子は幾分落ち着いたように見え、法介は安堵の息を吐いた。
ナイトテーブルの上に持ってきた洗面器を置き、タオルをその中で湿らした後、固く絞り、それを響也の額にのせた。
その時、「うっ」と響也が呻いて、目を覚ます。
ぼんやりと視線を宙にさ迷わせ、やがて法介へとそれが移された。
「お……デコ……くん?」
ひどく掠れた声は、いつもの甘く響く声の名残もない。
けれど熱に潤んだ瞳が、妙に色気があって、法介は思わずドキマギとしてしまう。
「オレがここに来たことは覚えてますか?」
平静を装い法介が尋ねると、響也は微かに頷いたように見えた。
「お……ぼえて……いるよ。
ドアを叩く音と……君の大声が聞こえた……気がして……玄関に行った……ところまでは」
そこまで言って、響也はゴホゴホと咳き込む。
その拍子に、額のタオルが滑り落ちた。
「あぁっ!すみません!
もう喋らなくていいですから、オレの話だけ聞いていて下さい」
タオルを再度響也の額にのせて、法介はここに至るまでの事情を掻い摘んで話した。
それを聞いて口を開きかけた響也を、法介は首を振って制した。
「とにかく今は、ゆっくり眠って休んで下さい。
オレ、ここにいますから、大丈夫ですよ」
法介は響也を安心させるように、微笑む。
なんだかこの間と立場が逆転したなと感じつつ、法介は無意識に響也に左手を伸ばすと、彼の頬を撫でた。
響也の目が驚きに見開かれ、法介もまたはっと我に返る。
「うわーっ!
す……すみません!
オレどうしちゃったんだろ……その……トクベツな意味はないので……許してください。
オトコのオレにそんなふうに触られても、気持悪いだけですよね……あはは」
慌てて手を離し、最後は照れ隠しのように笑って誤魔化す。
響也は微かに溜息を落としただけで、何も言おうとはしない。
呆れているのだろうが、怒る元気はないらしい。
響也には申し訳ないが、今は心底彼が病人で良かったと思った。
自他共に認める女好きの響也である。
通常の状態の彼であったなら、今頃どんな言葉でからかわれ、責め立てられていることか、考えるだけで恐ろしい。
おそらく自分が病気で寝込んだ時のことを、思い出したのだ。
自分が無意識に行ってしまった行為を、法介はそう分析する。
生死を彷徨うような重病にかかったことは幸いにもないが、法介とて風邪で伏せったことくらいはある。
そんな時、しんと静まり返った部屋で一人横になっていると、ふと不安や寂しさに襲われたものだ。
なんだか世界にたった一人取り残されしまったように。
誰かが傍に居てくれたら……とも。
だからそんな想いと合間見合って、響也に触れてしまったのだろう。
大丈夫、傍にいるからと示すように。
すると、響也の手が離された法介の手に伸び、捕らえた。
えっと驚く法介を尻目に、響也は法介の手を再び自分の頬にもっていく。
「キミの手は……暖かくて……安心するね……。
しばらくこのままで……いてくれない……かな?」
響也はそう言って僅かに微笑んだ。
響也も病気で弱気になっているのだろうか。
天才と称される響也もやはり人の子ということか。
そう思うと、響也がより身近な存在に感じられて、法介も笑顔を見せた。
「オレの手でよければ、どうぞ」
そう答えると、響也は「ありがとう」と呟き、目を閉じる。
世辞ではなく安心したのか、それとも薬の副作用なのか、響也はそのまま眠ってしまったようだ。
すぅっと静かな寝息が聞こえてくる。
そんな響也の寝顔に法介は思わず見入ってしまう。
(睫長い……鼻筋も通っているし―――くやしいけど、やっぱカッコイイよなぁ)
同性の自分から見ても格好良いと認めざるを得ない響也なのだから、喜んで面倒をみてくれそうな女性は沢山いるだろうに、何故誰にも連絡を取らなかったのだろうか。
茜は携帯にも連絡がつかないと言っていたから、電話を掛けることも出ることも億劫なほどに、辛かったということか。
とすれば、響也が目を覚ましたら、聞いてみたほうがいいのかもしれない。
連絡を取って欲しい女性―――例えば恋人がいるのなら、代わりに連絡してあげるべきだろうかと。
響也にしてみれば、男の法介よりも、女性に看病して貰う方が余程嬉しいだろう。
自分なんかの手でも安心するというくらいに、人恋しくなっているようであるし……。
きっと響也の恋人ならば、モデルとか女優とか……もの凄い美人だろうなと勝手に法介は想像する。
まさかこの響也に限って、恋人がいないということはないだろう。
何故だろう―――すると法介の胸に不可思議な感情が湧いてくる。
それはここで法介が世話になっている時にも感じたことがあるものだった。
胸がずきりと痛むような、もやもやとしてあまり気持の良いものではない。
あれは確か風呂に入っている時に、響也と女性の並ぶ姿を思い描いて今と同じような気持になったのだ。
あの時はそれが同じ男としての羨望だと思った。
(いや……違う……これは―――)
思い当たったその感情の正体に、しかし法介はそれを振り払うように、大きく頭を振った。
「何考えてんだ……オレ。
そんなことある訳ないだろ。
もしかして牙琉検事の風邪、うつっちゃったのか」
法介は自分に言い聞かせるように声を出し、眠る響也を見つめる。
すると、ドクッと今度ははっきりと心臓が強く脈打った。
さっきまでは全くそんなことはなかったというのに。
(馬鹿だ、オレ……あんなこと考えちゃったから勝手に意識しちまう)
落ち着けと自分に言い聞かせ、法介は大きく息を吸い込み、吐き出す。
響也はぐっすりと眠ったままだ。
法介はゆっくりと響也の頬から自分の手を離し、温くなったであろう額のタオルを換え、そっと部屋を出て行った。
「わっ!」
法介は声を上げ、咄嗟にそれを抱きとめる。
体格差がある分、響也の身体はずっしりと重く、法介は両足に力を込め踏ん張る。
「ちょ……牙琉検事!
ど……どうしたんですか!?」
答える声はない。
その代わりに耳に届くのは、荒い息遣いと、熱い呼気。
触れ合っている体から伝わる体温も、普通よりも随分と高いように思う。
「熱……?」
呟いて、法介はもう一度響也に呼びかける。
「牙琉検事!
しっかりして下さい!」
しかし返ってくるのは、やはり苦しげに繰り返される呼吸だけだ。
まさかそのまま響也を放って帰るほど、法介は人非人ではない。
響也の身体を支えたまま、法介は渾身の力を振り絞り、室内へと入る。
引き摺るようにしてなんとか響也の身体を、彼のベッドルームへと運んだ。
部屋の位置は以前世話になったから知っていた。
ベッドの上に、響也の身体をようやく横たえて、法介はその場に座り込んだ。
へたり込んだという表現のほうが正しいのかもしれないが。
はぁはぁと呼吸が乱れ、法介は額に滲んだ汗を拭った。
「ダメだ……日ごろの運動不足が身にしみる……」
ひとりごち、ベッドに寝かせた響也に視線を向ける。
いつもきっちりと整えられている響也の髪は乱れ、ジャラジャラとしたアクセサリーの類も身につけていない。
シャツとジーンズというラフな格好だった。
その響也の顔を改めて見れば、目を閉ざし、頬を上気させて、ぐったりとして弱々しい。
常に自信に満ち溢れ、爽やかな笑顔で自分をからかってくる響也のイメージが法介には強くて、そんな彼の姿を見ていると何となく不安を覚える。
法介が響也の額に手をのせると、予想通り熱かった。
ただの風邪からくる発熱なのだろうか。
それとも別の病気だったりするのかもしれない。
(素人判断は良くないよな……)
法介はそう考え、往診に来てもらえる医者を探すことにしたのだった。
「風邪による発熱ですね」
何件か電話をかけ、往診に応じてくれた壮年の医師は、そう診断を下した。
それを聞いて、法介はほっと胸を撫で下ろした。
危惧していたような悪い病気ではなくて良かったと。
「栄養剤と解熱剤の注射を打っておきましたから、あとは暖かくして安静にしておいて下さい。
汗をかいたら、着替えさせてあげてくださいね。
一度熱が下がってもまた上がる可能性もありますので、もし辛そうでしたらまた呼んでください。
薬も置いておきますので」
医師はそう指示を出し、立ち上がった。
法介は「ありがとうございました」と医師を見送った後、バスルームへと向かった。
タオルと水を張った洗面器を手に、再び響也のベッドルームへ戻る。
注射の効果か、響也の様子は幾分落ち着いたように見え、法介は安堵の息を吐いた。
ナイトテーブルの上に持ってきた洗面器を置き、タオルをその中で湿らした後、固く絞り、それを響也の額にのせた。
その時、「うっ」と響也が呻いて、目を覚ます。
ぼんやりと視線を宙にさ迷わせ、やがて法介へとそれが移された。
「お……デコ……くん?」
ひどく掠れた声は、いつもの甘く響く声の名残もない。
けれど熱に潤んだ瞳が、妙に色気があって、法介は思わずドキマギとしてしまう。
「オレがここに来たことは覚えてますか?」
平静を装い法介が尋ねると、響也は微かに頷いたように見えた。
「お……ぼえて……いるよ。
ドアを叩く音と……君の大声が聞こえた……気がして……玄関に行った……ところまでは」
そこまで言って、響也はゴホゴホと咳き込む。
その拍子に、額のタオルが滑り落ちた。
「あぁっ!すみません!
もう喋らなくていいですから、オレの話だけ聞いていて下さい」
タオルを再度響也の額にのせて、法介はここに至るまでの事情を掻い摘んで話した。
それを聞いて口を開きかけた響也を、法介は首を振って制した。
「とにかく今は、ゆっくり眠って休んで下さい。
オレ、ここにいますから、大丈夫ですよ」
法介は響也を安心させるように、微笑む。
なんだかこの間と立場が逆転したなと感じつつ、法介は無意識に響也に左手を伸ばすと、彼の頬を撫でた。
響也の目が驚きに見開かれ、法介もまたはっと我に返る。
「うわーっ!
す……すみません!
オレどうしちゃったんだろ……その……トクベツな意味はないので……許してください。
オトコのオレにそんなふうに触られても、気持悪いだけですよね……あはは」
慌てて手を離し、最後は照れ隠しのように笑って誤魔化す。
響也は微かに溜息を落としただけで、何も言おうとはしない。
呆れているのだろうが、怒る元気はないらしい。
響也には申し訳ないが、今は心底彼が病人で良かったと思った。
自他共に認める女好きの響也である。
通常の状態の彼であったなら、今頃どんな言葉でからかわれ、責め立てられていることか、考えるだけで恐ろしい。
おそらく自分が病気で寝込んだ時のことを、思い出したのだ。
自分が無意識に行ってしまった行為を、法介はそう分析する。
生死を彷徨うような重病にかかったことは幸いにもないが、法介とて風邪で伏せったことくらいはある。
そんな時、しんと静まり返った部屋で一人横になっていると、ふと不安や寂しさに襲われたものだ。
なんだか世界にたった一人取り残されしまったように。
誰かが傍に居てくれたら……とも。
だからそんな想いと合間見合って、響也に触れてしまったのだろう。
大丈夫、傍にいるからと示すように。
すると、響也の手が離された法介の手に伸び、捕らえた。
えっと驚く法介を尻目に、響也は法介の手を再び自分の頬にもっていく。
「キミの手は……暖かくて……安心するね……。
しばらくこのままで……いてくれない……かな?」
響也はそう言って僅かに微笑んだ。
響也も病気で弱気になっているのだろうか。
天才と称される響也もやはり人の子ということか。
そう思うと、響也がより身近な存在に感じられて、法介も笑顔を見せた。
「オレの手でよければ、どうぞ」
そう答えると、響也は「ありがとう」と呟き、目を閉じる。
世辞ではなく安心したのか、それとも薬の副作用なのか、響也はそのまま眠ってしまったようだ。
すぅっと静かな寝息が聞こえてくる。
そんな響也の寝顔に法介は思わず見入ってしまう。
(睫長い……鼻筋も通っているし―――くやしいけど、やっぱカッコイイよなぁ)
同性の自分から見ても格好良いと認めざるを得ない響也なのだから、喜んで面倒をみてくれそうな女性は沢山いるだろうに、何故誰にも連絡を取らなかったのだろうか。
茜は携帯にも連絡がつかないと言っていたから、電話を掛けることも出ることも億劫なほどに、辛かったということか。
とすれば、響也が目を覚ましたら、聞いてみたほうがいいのかもしれない。
連絡を取って欲しい女性―――例えば恋人がいるのなら、代わりに連絡してあげるべきだろうかと。
響也にしてみれば、男の法介よりも、女性に看病して貰う方が余程嬉しいだろう。
自分なんかの手でも安心するというくらいに、人恋しくなっているようであるし……。
きっと響也の恋人ならば、モデルとか女優とか……もの凄い美人だろうなと勝手に法介は想像する。
まさかこの響也に限って、恋人がいないということはないだろう。
何故だろう―――すると法介の胸に不可思議な感情が湧いてくる。
それはここで法介が世話になっている時にも感じたことがあるものだった。
胸がずきりと痛むような、もやもやとしてあまり気持の良いものではない。
あれは確か風呂に入っている時に、響也と女性の並ぶ姿を思い描いて今と同じような気持になったのだ。
あの時はそれが同じ男としての羨望だと思った。
(いや……違う……これは―――)
思い当たったその感情の正体に、しかし法介はそれを振り払うように、大きく頭を振った。
「何考えてんだ……オレ。
そんなことある訳ないだろ。
もしかして牙琉検事の風邪、うつっちゃったのか」
法介は自分に言い聞かせるように声を出し、眠る響也を見つめる。
すると、ドクッと今度ははっきりと心臓が強く脈打った。
さっきまでは全くそんなことはなかったというのに。
(馬鹿だ、オレ……あんなこと考えちゃったから勝手に意識しちまう)
落ち着けと自分に言い聞かせ、法介は大きく息を吸い込み、吐き出す。
響也はぐっすりと眠ったままだ。
法介はゆっくりと響也の頬から自分の手を離し、温くなったであろう額のタオルを換え、そっと部屋を出て行った。
2007.11.03 up